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竹園別館Sam's place
結局のところバイトに明け暮れ受験対策をしなかった小生は、芦屋にあるデザイン専門学校への道を選ぶ。近所にある原チャで通える学校、まさにイージーな人生設計なのだが、入学した芦屋芸術学院はプロの育成を前提としており、そんな若者の甘えを許してはくれなかった。
予想以上にハードなカリキュラムは、170名いた同期が夏休みを跨ぐと100名を切り、卒業する頃には50名ほどに減るというパンチ力を秘めていた。もちろ
朝日ヶ丘のバイト天国
1978年にタイトーが発売した「スペースインベーダー」は、世界的なヒットとなった伝説的なシューティングゲームだ。当時は大人も子供もこぞって熱中した社会現象と云えるほどヒットしたゲームであり、テーブルタイプの業務用だったことから設置しているゲームセンターや喫茶店は大賑わいだった。それだけになかなか手に入れることのできないゲームだった。そんなゲームをなんと全席に配置した喫茶店が芦屋の朝日ヶ丘にあった。
もっとみる高校進学、1年サイ組。
無事に高校へと進学できた小生ではあるが、そこは県立とは名ばかりの建築現場さながらのバラック校舎だった。その名は兵庫県立甲北高校。新設の高校である。この記憶は芦屋とはあまり関係はないが面白いので記録しておこう。
甲というのは地元では六甲山の意味であり、北というからには六甲山の北側にあるべきなのだが、所在地はなぜか灘区にある王子動物園の中。正確には動物園の敷地と同じエリア内にある原田の森・関西学院跡
芦屋じゃないけど「芦屋ボウル」
これも小学校高学年の頃の話。当時はボウリングが一大ブームになっており、西城正明や須田開代子などプロボウラーも続々登場し、中でもパーフェクトゲームを達成した中山律子は連日TVCMを飾るほど大人気だった。
それだけにボウリングがしたくても予約が取れないような状況であり、各地のボウリング場は連日賑わっていた。子供心としてはそんなお祭り騒ぎのところに興味がわくことは自然なことで、ボウリングをするわけでは
35年間の芦屋への旅を終えて青木へ帰還
2023年4月、小生は長年住み慣れた芦屋から実家のある神戸市東灘区の北青木へと妻と共に引っ越した。神戸を出たのは30歳の頃、フリーランスとして独立したばかりであり、これからのキャリアに不安だらけであった。
思えばここを離れて35年にもなるのかと改めて感慨にふける。実家の二階の窓から見える神社は、子供の頃から見慣れたものであり、勝手ながら八分咲きの桜が小生の帰還を歓迎してくれるかのようであった。