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朝一で金たかられた話

私はタクシーが嫌いだ。

朝、マンションのエントランスを出ると、おじさんがいた。待ち合わせだろうか。気にも留めず通り過ぎた。
イヤホンをしていてよく聞こえなかったが、何度も名前を呼ばれている気がして振り返った。
父がいた。タクシーが停まっていた。
彼は、仕事を辞めないといけないかもしれないと同情を誘うように話した。もう私に貸せるお金などなかった。急いでいると言うと、車で送るからと懇願されたが、あとで帰ってくるからと言って半ば強引に走り去った。

私は今日殺されるのかな。ヤミ金にお金を借りるように言われるのかな。
合鍵を渡している。私の家で待っているだろう。部屋も荒らされているかもしれないな。
そういえば退職する同僚にみんなでプレゼントを買うので、お金を渡さないといけなかった。私も人にお金を借りているようなもんだと思った。今すぐ返そう。
私はすぐ自分の過ちに気付いた。
財布を家に忘れた。
五千円ぐらい入っていたと思う。あーあ、やっちゃった。私もお金ないのにな。でも、お金よりも保険証、マイナンバーを家に置いてきたことが気がかりだった。
考えられることはひとつ、私の個人情報を使って危ないトコロに登録していること。もう何も考えたくなかった。誰か私を殺してくれたらいいのに。

お金をたかられることもなく普通に生きているみんなが羨ましくて仕方がなかった。みんなを恨んだ。みんな死んじゃえ。また大人げなく会社でひっそり泣いた。

ねえ、私がお金を貸した後どんな生活を送っているか想像したことある?
パパはさ、頼むときだけ頭を下げればもう私への罪悪感なんて消えちゃうんでしょ。もともと罪悪感なんてないのかもね。でもどれだけ酷いことをされたってパパは私のパパだから。だから、好きなままでいさせてほしかった。私の給料ひと月分のお金を貸して連絡が取れなくなったときも、どこかで元気にしてくれてたらいいなって思ってた。これ以上嫌いになりたくなかった。

私もくだらないことで悩んで暮らしたかったけど、そんな余裕はなかった。
「お金がないと心も貧しくなる」ってあの言葉は本当だ。
貧しさを経験していないやつに人生など語れないとひねくれているのは父のおかげだ。

帰り道、何か買わないといけないものがあった気がしたが、思い出せなくて駅を離れた。
今までで一番ゆっくり歩いた。涙を拭きながら、一歩ずつ歩いた。別に帰らなくたっていいはずなのに家に帰ろうとしているのは使命感か、それとも親孝行のためなのか。どっちにしろくだらない。

朝見たタクシーはなかった。家にもいなかった。
ハンドソープを切らしていたことを思い出した。


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