腰が重いだけの話ではない

いえ、体重の話ではなく。(体重の話か?)

なんせ腰が重い、というかやり始めるまでにどえらい時間がかかるしやりはじめても続かない。
勉強やらピアノやらなんでもかんでも幼い頃から「よしいっちょやってやるか」と思って続いたことがない。続けられなさすぎて嫌気がさすことしばしば。
受験生のときも、「よし、勉強、するぞ・・・!」と心に決めてから実行に移すまで1年くらいかかったし、その実行に移してからあ、もうこれ以上は続けられないなと糸が切れるまでは2週間もかからなかった。

やばい、とお尻に火がついたように腰が飛び上がって行動できるのはテストの前日夜中、テストまであと数時間!みたいなタイミングだったりするし、ピアノの発表会の2日前くらいに突如練習し始めたりする。学会発表でそれで何度か本気の泣きをみたこともある。

それでなんとか乗り切る自分がどうせ好きなんだろうと言われるがそんなことは全くなく、これは本当に本当に本当なのだがやると決めたことをやり始めて、続けることのできる人間になりたいのだ。

自分がそういう性質なのだと気づいたのは高校生くらいで、そのときはまだよかったのだ。なんだかんだとテストがやってくる、部活だって習い事だって発表会があるから一夜漬けであろうとする機会がくる。
大学生になってからも勉強はまだそれでもよかった。
でもそのあたりで気づき始める、あれ、この性分やばいのでは。このまま一生こうやってやっていくのか?

ただその段階では私はまだ自分を見誤っていた。追い込まれたらやるのだと。
そして社会人になってからが致命的である。
仕事に関わる勉強もおざなりになる。社会人にはテストはない(具体的にはテストや資格試験はあるが日常の研鑽とはまた別である)が、しかし自分の仕事をするためには勉強は必須である。が、しない。そもそもしても数日も続かない。必要に迫られたときにだけ迫られたことをする。これではなんの意味もないのだ。わかんないことをググって終了、みたいなクソさである。真摯でありたいはずの仕事に対してこの体たらくなのが泣けてくる。
もちろん仕事だけではなく他のことも同様である。

とりあえずやり始め続ける、それができない自分があまりにも嫌で仰向けで大の字に寝てついついTwitterを永遠にみている。
あーーあとちょっとしたらやろうかな、と思いながら永遠にスマホでBLコミックを読む。

これではいけない、と自身に少しずつでもよいから毎日やること、のタスクを課した。1ヶ月ともたなかった。昨年のことである。

ちゃんとしたい、なにをもってちゃんとしているのかはわからないが。
決めたことを続けられる人間になりたい。
ある意味完璧主義者なのかもしれないね。

こうやって書いていると本気で自分が恥ずかしくなってくる。
ちなみに同様のことをチラシの裏のようなメモ書きに4年前にも3年前にも残していた。成長がない。

4年前は本当に自分に嫌気がさしていて、努力できない自分があまりにも恥ずかしくて消えて無くなりたい、生き恥だ、って書いていたし3年前のメモ書きは最後に「内側から爆発して霧散したい」って書いてあった。わかるよ自分。今もそうだぞ自分。

がんばろうな。

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