ツイ廃はブロガーの夢を見るか

日記を続けられた試しがない。でもTwitterは10年と3万ツイートも続いたのである。それはもう、圧倒的に時間を費やしてしまった。
この違いは何か。

Twitterを始めたのは大学生の頃だった。某chで間接的に知り合ったような経緯を持つ仲間と始めたのがきっかけだったか。古き悪しきインターネッツの仲間たちだ。馴染むのは速い。往時は公式のUIが良くなかったように記憶していて、スマホ用にはTwiccaとかPC用では何か別のものを使っていたが名前は今思い出せない。以前はこういう細かいことも気にしてログを漁っていたがそんなことを一々やっていては遅筆過ぎて前に進まない。




Done Is Better Than Perfect.
- Mark Zuckerberg? Sheryl Sandberg? [要出典]

スマホと言ったが、この頃はiPhone3GSが出た頃で、舶来スマホが世間を席捲(おっと!)していた頃だ。天邪鬼な筆者は当然にそんなものは手にせず、こんなシロモノを使っていたのだが、Twitterとの相性は良かったように思う。


この前衛的なディヴァイスの話をしているとそれだけで盛り上がってしまうので、これくらいにしておく。ただ、プチギークな亡父が生前、PHS最盛期に「もうじき携帯パソコンの時代が来る。手の平にパソコンが乗るんや」と言っていたこととの繋がりを後講釈で付け加えることは簡単だ。多分週刊アスキーとかで聞きかじった知識だったと思う。

閑話休題、Twitterにハマった大きな理由の一つに、間違いなく「短文主義」があるだろう。カッコつければアナロジー思考、平たく言うと妄想癖が強い筆者は歌詠みカルチャーとの類似性を指摘せざるを得ない。諸言語と比較した際の、日本語の文字当たり情報量の多さと絡めても良い。とにかく短い文章の中で「上手いこと言う」楽しみがあるのだ。そのため、他人のツイートを読まずとも、自分のツイートが読まれずとも、虚空に向かってツイートするだけで楽しいのである。それはもう、空也上人のごとく、思いつきがそのままツイートとして結晶し、デジタルタトゥーとして世に残っていくのである。

余談だが空也上人像を初めて見た感想は、「あ、これコエカタマリンだ!」であった。恐るべきことにこのことに言及している大学教員の方がいらっしゃった。自分の考えそうなことは、他の誰かが既に考えている。この辛く厳しい現実を知らしめて俺たちのセルフエスティームを蝕んでいくのもまたインターネッツだ。

また話が逸れたが、今日の世では短文主義、それにより支えられる短く浅い思考が蔓延しているように思う。これは自身も例外ではないというか、その影響をモロに受けていると感じている。

聞きかじりであるが、デジタルマーケティングの世界では「長文<短文<画像<長い動画<短い動画」という公理系が成立している様子である。某デジタルマーケティング会社のCEOは、YoutubeやTwitterのバンプ広告の文脈で、「5秒以上の動画は見られない」という趣旨の発言をしていた。それくらい、忍耐力が失われているのである。

「失われている」という表現は適切でないかもしれない。というのも、消費者≒一般大衆≒人間というのは、そもそも落ち着きがなく、飽き性で、我慢ができない生き物なのかもしれないからだ。デジタルマーケティングやコンシューマー企業は、テクノロジーの進化に応じて、最終顧客であるそうした飽きっぽい個人にベッタリと寄り添い、その関心を惹き続けるために行動し続けているだけであるとも解される。つまり、テクノロジーの進化と企業行動の変化は、あくまでも人間にサーブし続けているのであって、これら総体の運動が大きく目立った結果として、人間の本性を炙り出したに過ぎないと見ることもできる。

自身の頭の中身も例外なく、こうした散発的で途切れ途切れの、まとまりのない思考に大部分が支配されており、年々その傾向が強まっているように自覚している。過去、様々な場面で「disorganizeされている(原文ママ)」という評価を受けることが多かったが、それはその通りだと思うし、別にTwitterや昨今のインターネッツのせいではなく、元来持っている性質に従ったインプット / アウトプットに惰性的に寄り添っている格好であると認識している。

メールよりチャット、長時間の会議より15分のクイックコール、専門書熟読よりエキスパートインタビュー、有価証券報告書より決算説明会... 「百聞は一見に如かず」を地で行くスタイルは馴染みやすいものだが、人や空間とのリアル接点が減ったせいか、以前よりも情報量が少なく、また非常にスポット的でセレンディピティを失った感が強い。対話は、議論は、旅は、ありのままの現実は、チェックボックスには還元できない。上野の、秋葉原の、東南アジアのマーケットの、あのカオスに足を踏み入れた時ほど脳が稼働していないのである。

こういう背景から、少しまとまりのある文章を書く習慣を身に着けようと思い立った(n年ぶりm回目)。かくして、このnoteが更新された

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