なまけと声と。

目に見えないものに排除される恐ろしさは、真っ暗やみの中で幻のかいぶつに見つめられている時とおなじく、「孤独」を感じるという共通点がある。

その目に見えないかいぶつは、実際には存在しているわけはないし、周りの視線もそこまで辛らつではないはずだし、ではどこに潜んでいるかというと自分の心の中にいるようなのだ。

心の中の声ほど、手に負えないものはない。

その声は自分の行動を制止したり、反対に突き動かしたり、味方かと思えばきついひと言で希望を打ち砕いたりする。

心の声にもてあそばれて(それとも助言にしたがってというべきか)、もう30年近くなる。

そろそろ自分の心の声の意見を無視する勇気も必要だと思いはじめている。


ここ最近ずっと考えていた心の声について、書きながらさらに思うことがある。

この声は、わたしが選ばなかった道の(つまりパラレルワールドの)わたしが心を通して語りかけてきているんじゃないだろうか。そっちで何やってんの、あんたはこれをやったほうがいいよ、と。

で、みんながが強すぎて、本体(本体でいいのか?)が混乱しているんじゃないだろうか……。


そうだったとしたらなんて、妄想もいいとこ。

真実はなまけの言い訳である。

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