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私たちが手放してきた大切なものって何だろう? 【イベントレポート】

先日、またまたKAIGO LEDERSのイベントに参加しました。だいぶ間が空いてしまいましたが、イベント参加後、いろいろと考えたことについてまとめてみたいと思います。

今回は、「WITHコロナ時代の介護を考えよう」というテーマで4週連続で行われているイベントです。

最近、介護や福祉という分野に関わるようになって、日本語教育との共通点が非常に多いことに気がつきました。それはなんなのかを考えつつ、これまでと違った視点から「日本語教育」のあり方を捉え直すことによって毎回多くの学びがあります。

今回のnoteは、7月4日に行われた第1回目のイベント
介護現場の変化に迫る!あおいけあ・はっぴーの家ろっけんの“今”
に参加して考えたことについて書いてみたいと思います。

イベントの概要

今回のイベントのゲストは、
株式会社 あおいけあ 代表取締役 加藤忠相さん
株式会社Happy 代表取締役 首藤義敬さん

のお二人でした。

介護業界では、あちこちで取り上げられている超有名どころだと思いますが、日本語教育業界ではあまり馴染みがないかもしれないので、(私も介護業界に関わるまでは知りませんでした)このお二人が運営している施設について少し説明したいと思います。

あおいけあ

映画ケアニン』のモデル事業所と言えば、「ああ」となる人も多いかと思いますが、あまり映画を見ない私にとっては、それすらぴんと来ず(本当にすみません!)、緊急事態宣言発令下の外出自粛中に配信されたドキュメンタリー映画『僕とケアニンとおばあちゃんたちと。』を見て、初めて、この施設のことを知ったのでした。

詳しくは、映画を見たらよくわかると思いますが、ドキュメンタリー映画『僕とケアニンとおばあちゃんたちと。』では、「認知症」を抱えるおじいちゃん、おばあちゃんが楽しそうに、生き生きと暮らしている様子がに描かれていて、「むちゃくちゃ楽しそう。年を取るのも悪くないなー」とか、ケアニンと呼ばれる「介護福祉士」って、ものすごいやりがいのある仕事だなーとすごく共感したのを覚えています。

と言いつつ、私は、介護が専門ではないので、専門職の方から見たら「そこ?」って思われる感想を抱いているかもしれません。「一般の」介護施設がどのようなものなのか、介護福祉士がどんなところに苦心しているのかなどの認識が弱いため、「あおいけあ」のすごさというのを、本当の意味で理解できていないような気もします。

ただそんな素人の私が、利用者の生き生きとした姿に注目できたのは、次のような理由があると想像しています。

それは、利用者自身が施設の中心に存在し「自然に楽しそうに見える」とき、その暮らしを支えているプロのケアニンたちは、どんどん気配を消し、本当の裏方になっているのではないかと思うのです。このようなことがごく自然に、日常的に行われている「あおいけあ」は、だからこそ、すごいと評価されているのではないかと想像しています。

はっぴーの家ろっけん

「はっぴーの家ろっけん」を一言で説明すると、「多世代型介護付きシェアハウス」だそうです。が、首藤さんによると、「0歳児から100歳越えまでを対象として、みんなのわがままをどんどん聞いて暮らしを作っちゃおう」というシェアハウスなんだそうです。

「はっぴーの家ろっけん」は、様々なメディアに取り上げられていますが、私が初めて読んだのが、確か次の記事だったと思います。

世代も国籍も関係なく、みんなが集まって、ガヤガヤと暮らすシェアハウス。まさに、私が作りたいと思っていた世界が、実際に存在しているということを知り、とっても衝撃を受けたのを覚えています。

特に、記事にあった代表の首藤さんの下記の言葉が印象に残っています。

「最近思うのは、『“違和感”は3つ以上重なると、どうでもよくなる』ということ。集団の中に一つだけ違和感があると排除しようとするけれど、3つ重なると『多様性』として認めることができる。無理して理解し合わなくていいし、同じ空間で別々のことをやっていることがダイバーシティなんじゃないかと。ここは、『違和感』な人がたくさんいるけど、それぞれの“居場所”でもあるんです」

「はっぴーの家ろっけん」の存在を知ってから、Twitter「はっぴーの家」をフォローし、時々流れてくるカオスなtweetを楽しみながら、いつか行ってみたいと思っていました。

このようなある意味、異色の施設の代表の話を聞けるということで、このイベントはとても楽しみにしていたのでした。

コロナ禍での「その人らしい暮らし」とは?

この2つの施設に共通していることは、利用者それぞれの「その人らしい暮らし」を徹底的に保証しているところだと感じています。

それともう一つ特徴的なのが「地域とのつながり」です。積極的に地域に施設を開き、近所の人が気軽に訪れるような場を作っています。「地域」に関心を持つ私にとっては、この点にも注目していました。

しかし、このような方針を持つ施設は、「新型コロナウイルス感染予防」という観点から考えると、とても相性が悪いのではないかと思っています。外出の自粛が奨励され、人との接触を避けたほうがリスクが少ないという状況下において、どのように運営しているのだろうというのが率直な疑問でした。

最近、介護領域の日本語教育に関わり始めた私も、コロナ禍では非常に苦労しています。外部との接触を避けるため、家族との面会すら自粛し、必死で利用者の健康を守ろうとしている施設の方々の緊張感を目の当たりにすると、私自身、迂闊に施設を見学したいとは言えなくなります。リスク回避のためオンライン授業に限定し、距離を置きつつ関係を作らなければならないという歯がゆい状況が続いています。

しかし!

代表二人から報告された施設の「今」は、なんだか相変わらず楽しそう。というか、この状況を逆手にとって、さらにパワーアップしているのではないかと思うほどでした。

そうは言っても、表に見えないところで、職員の皆さんは、細心の注意を払い、利用者さんが「自由に」「その人らしい暮らし」ができるようにあれこれ苦心しているだろうことは想像できます。

考えてみれば、新型コロナの感染リスクがあるという状況も日常。そのリスクのある日常を、どのようにその人らしく形作っていくのかということを職員の皆さんは必死で考えているのだろうと思いました。お二人の話を聞きながら、利用者さんにとっては「感染しない」以上の大切なこともあるのではないかと思ったのです。

同時に、このような「その人らしい暮らし」を続けることができるのは、まさに、これまでの関係性(職員、地域の人、同居者など、関わる人全てにおいて)の積み重ねがあったからこそ、成り立つのではないかとも思いました。

このような施設や暮らしのあり方に魅力を感じ、ますます惹かれるものがありました。そして、それを笑顔でさらりと語ってしまうお二人には、尊敬しかありません。一方で、お二人の話を聞きながら、新たな疑問も生まれてきました。それが次の2点です。

・なぜ地域とつながる必要があるのだろうか。
・私たちはこれまで何を手放してきたのだろうか。

ここは、少し説明が必要だと思いますので、以下に詳しく書いていきます。
(毎度、長くてすみません)

なぜ地域とつながる必要があるのだろうか?

この2つの施設は、積極的に施設を地域に開いています。これは、私が日本語学校を地域に開こうとしてきたこととつながります。しかし、私は、この「地域とつながる」ことの意味を、なかなか言語化できずにいます。

今回、お二人の話を聞きながら、この考えのヒントになった話がありました。(お二人の言葉全てに含蓄があり、宝の山のようでした。いろんな話や言葉が私の中で再構築されているので、この通りに話していなかったかもしれません)

あおいけあの加藤さんは、今回のコロナ禍でのエピソードとして以下の話をしてくれました。

「近所の子供たちは、入り口で、手を消毒してから入ってきて、勝手に遊んでいる。コロナ禍だからといって、これまでの関係性が変わるわけでなく、おじいちゃん、おばあちゃんと自然に接している。認知症だという認識もあまりない」

首藤さんは、次のように話していました。

「この場を大切にして守りたいと思っている人は、ちゃんと感染症にも気をつけて入ってくる」

また、「未来は”今”この瞬間の積み重ね」ともおっしゃっていました。

「日常」というのは、これまでの暮らしの積み重ねであって、新型コロナによる感染リスクがあっても、そこで途切れる訳ではなく、関係性が変わる訳でもない。これまでの関係性の積み重ねが、今を形作っている。

こう考えると、毎日の暮らしの中で、少しずつ関係性を重ねていくことがよりよい未来を作っていくことになるのではないか、様々なつながりが存在することによって、リスクの多い状況に直面しても、その人らしい日常の選択肢を増やす(リスク分散をする)ことができるのではないかと、この2つの施設の豊かな日常の様子を伺いながら思ったのです。

私自身「なぜ地域とつながる必要があるのですか」という質問を何度も受け、答えに窮していたのですが、今回の話を聞き、そこに何か特別な意義や目的を持たせる必要はなく「そうすることが自然だと思うから」という答えでいいのではないかと思ったのです。

私たちが手放してきたものは何か?

この2つ目の疑問については、私自身の経験を説明する必要があると思います。

今回のお二人の話を聞いて、私は、自分が子供の頃の地域の様子を思い出していました。私が生まれたのは、地縁、血縁の非常に強い、いわゆる「ムラ」と呼ばれるようなところです。このムラ社会では、今回のような日常は結構残っていました。

家に鍵をかけるということはしなかったし、玄関先(縁側)に普通に近所の人が来て、おしゃべりしながらお茶を飲んでいました。「人寄り」と呼ばれる、いわゆる「ホームパーティ」みたいなものもあり、何かにつけ、人が集まる機会がありました。考えてみれば、割と自由に人の出入りがあり、お互い協力しながら生活していたように思います。

一方で、このような生活に窮屈さを感じ、地域を離れる人がいたり(私もそのうちの一人です)、また、しきたりに縛られた古い習慣を簡素化しようという動きもありました。こうやって近所の人と一緒にご飯を食べたり、気軽にお茶を飲んだり、さらには話をする機会も減っていったように思います。そうすることがいいことだと考えられていたようにも思います。

こんな田舎の生活を思い出しながら、なぜあのような生活や近所づきあいがなくなったのか、そして、「あおいけあ」や「はっぴーの家ろっけん」が「いい」と評価されるのはなぜなのかを考えていました。人と関係を作る中で生まれる煩わしさが嫌で、田舎を離れていったのではないの? この想いがずっとグルグルと頭の中を巡っていました。

このことをイベントの後に行われた懇親会(なんと、zoomで登壇者を交えた懇親会まで設定されていた!)で、直接お二人に聞いてみました。

首藤さんは、「僕らがやっていることは別に新しいことではない」と、さらりとおっしゃいます。

「いやいや、でも、人と人が一緒に暮らすと結構面倒くさいこともありますよね?」とさらに食い下がると、「面倒くさいことを面倒くさいと思わず、解決すべき課題だと捉えている」とのお答えでした。

面倒くさいことは、解決すべき課題である!

この発想はなかったとうーんと唸ってしまいました。

あおいけあの加藤さんは、「自分たちの施設は、プラットフォームの一つだ」とおっしゃっていました。

みんな横並びに同じことをするのではなく、それがいいと思う人が集まる、つまり、選択肢を増やすということなのかな、とも思いつつ、この辺は、いまだにモヤモヤとしています。

(以下、私の中に生まれたモヤモヤです)

・このような場は、そこに集まる人全員がそういう場にしたいと思わなければ、成立しないのではないか。誰かに責任を押し付けて、支えてくれる人への配慮がないまま、自由でのびのびした暮らしだけを求めると別の誰かが苦しくなってしまうのではないだろうか?

・なんとなく、今までのしきたりに従って成り行きに任せているだけでは、地域は崩壊する。しかし、こういう場所にしたいという意思があれば、思い描いた場を作ることが可能なのか?

・それとも、場のサイズの問題なのか?

・私たちは何のために、何を手放してきたのだろうか?

深い深い問いが私の中に新たに生まれたイベントでした。

このような素敵な機会に巡り合うことができ、自分の領域をちょっと離れて別の視点から眺めてみるって必要だなーと思っています。

結局、結論は出ないままですが、引き続き、「地域」や「暮らし」について考えていきたいと思っています。

今回も、最後までお読みいただきありがとうございました!

共感していただけてうれしいです。未来の言語教育のために、何ができるかを考え、行動していきたいと思います。ありがとうございます!