周りがみんな行くらしいので、適当に大学行った5

9 2018年9月6日

 最後にちらっと書いたのだが、この船旅は帰省することが第一目的になっている。さらに詳しく言うと18きっぷという学生がよく使用する格安切符を存分に使って時間をかけて帰るということを楽しみにしていた。そのため、東京まで行くときに99%の人が使うであろう飛行機という手段を取らなかったのだ。
 9月5日20時。船に乗り込むと雑魚寝部屋に案内される。二等寝室とかいうチケットは布団すら用意してくれない底辺共生象徴空間だった。八戸港までの約8時間の旅を汗くさい中楽しむことになった。
 晩御飯は船の中にある自販機を使い長万部のかにめしを購入。当時は長万部なんか行く機会もあれば手段もないので存在しか知らなかったコンテンツだった。うまい。意外とそういう地域の隠れた名産物とかも売っているので北海道の人たちには船旅は非常にお勧めできる。皆さん乗ってみてくださいね。
 ゲームコーナーには僕の大好きなパチスロ偽物語がありついつい1000円ほど溶かす。解呪の儀すら入らず溶けていくお金を見てると、与謝野晶子もこういう気持ちだったのかなとか思ってしまう。よくよく考えてみたら当たってもお金は帰ってこないどころかゴミを押し付けられて終わるだけなので座らないことが正解だったのだが。
 着替えとタオルを持って風呂を浴びに行く。船内には立派な大浴場があり、船の出航前から利用できたりする。走り出してから利用すると、波に打たれるたびに風呂の水がバシャバシャあふれ出していくので非常に愉快だ。知らないトラックドライバーと「室蘭から来て、これから東京の実家まで帰るんですよ~」とか話してると、向こうからいろんな日本の名所の話をされる。それを聞きながら思いをはせていると気づいたら日付は変わりそうになっていた。寝床へ戻り、それまでの4日間をまとめるレポートを書こうとするが揺れてまともに作れたもんじゃないと悟る。深夜を活かせないのは誠に遺憾だが自分のスペースへと戻り眠りについた。

9月6日3時

 とんでもない音量のサイレンが船内に鳴り響く。土方のおっちゃんたちと同時に飛び起きる。
 携帯電話を確認するも海の上のためもちろん圏外。さらに指している時刻は午前3時。八戸港に着くころには明るくなっている船内も、見渡すと未だ消灯している。非常用の赤いランプだけが船内を照らす。誰も言葉を発することはなかったが全員心の中で「何事?」の四文字しか浮かんでいなかったはずである。アナウンスも無いまま5分ほどたったので、そんなこともあるのかな?と考えながらまた夢の中に戻っていった。
 朝5時、定刻通り船は八戸港に到着した。荷物をまとめながら携帯電話を開くと親戚からの大量のメッセージが届いていた。「●●(自分の名前)、大丈夫か?おばあちゃんも無事??」といった内容。台風の被害のことかと思い、「全然平気だよ~船も定刻通りついたから、これから18きっぷで東京まで下ります~~」というメッセージを送り返した。
 さて降りようか。八戸駅まで向かうバスは1時間後とのことで適当にタバコでも吸って時間をつぶそうか。なんて考えながらホール前につくとテレビの前に人だかりができていた。NHKがついている。災害が起こった時によく出る青枠が映し出されていた。視力の悪い僕はそれを見たとき「あぁ、まだ台風やってるのかぁ。大変そうだもんなー」と思ったのだが、徐々に書いてある内容が見える距離になると事情が違うことに気づく。文字がはっきりと見える。
 

”胆振で震度6強”


 テレビの中継は苫小牧や厚真を映し出している。僕は30秒ほどフリーズした。

  (津波は?ない。バイト先の苫小牧の震度は?6弱。6弱??あの建物は相当古いけど大丈夫なのか?室蘭の震度は5弱。札幌も同じくらい。友達の安否は?大丈夫なのか?家は平気か?何故僕は無傷で青森県まで回避できた?大規模な停電?電波も通じない?大変なことが起こったぞ!!!)

 急いでtwitterを確認する。三人くらい僕に対して「(ろうにんくん)、脱北(北海道から脱出すること)成功してるの許さねえ、死んでくれ」という今回に限ってはマジで言ってそうな言葉を見る。みんな元気そうで安心した。音ゲーマーのKっちゃんに関しては、夜勤の休憩中に、行ってはいけない山岡家に隠れて行ったところで地震に遭遇し、絶望とともに急いで会社に戻ると集会が開かれており、こっそり呼び出しを食らった彼はそのままこっぴどく怒られたとか。彼のつぶやきは面白い(多義)ことで身内間で有名だったのだが、その日の深夜に投降した「俺の会社燃えてて草」というツイートを超えることは金輪際できないのではないだろうか。
 とりあえず神がかった回避をしたことを理解した僕はニッコニコで八戸駅に向かった。よく見るとばあちゃんの無事も確認されていたのでなにも俺をブルーにするものはなかったからだ。
 青い森鉄道線の切符売り場に行く。盛岡まで法外な料金を請求している。18きっぷを使えないこの区間はこの法外な運賃を支払わなければいけない。念のため新幹線の切符売り場ものぞいてみる。なんと600円しか変わらないではないか。もちろん新幹線ホームに行き、適当に来た新幹線に飛び乗り盛岡で降りる。そこからは各駅停車だけを使って東京方面をひたすら目指す旅の始まりだ。早速ビートマニアの岩手行脚を逃した僕は一ノ関行きに乗り込むと、朝ラッシュの東北本線を下り始めた。
 そこから適当な回数乗り換えたり、宮城と福島の行脚を手に入れたりしつつ、12時間くらいかけて東京は立川に到着した。実家に帰り、久々に食べた母の味は格別だった。自炊はこの時期たまにしていたがやはりかなわない相手がいるということを実の母からわからされるという大変な構図になってしまった。
 その後は花澤香菜のライブを見に行ったら、たまたまpart.2でもご紹介した「flattery?」を歌っていただき、感動で動けなくなったり、高校時代の友達と飲みに行ったりなんなりして過ごした。そして流れるように北海道に戻ってきたのだった。すぐ苫小牧で塾バイトがあるのでそれに向けて予習をしたりしなければいけないからだ。

10 限界をアピールする体

 北海道に帰ってきてからほんの少し経った9月後半、急に眼に違和感を感じた。ほんの少ししか開かなくなっている。さらに激痛が走り続け涙がぼたぼたと落ちてくる。なんだこれは?
 とりあえず近くの眼科に行って診察を受けると医師は「目にばい菌が入ったんだね~お薬出しておくね。でもこれ子供しかならない病気なはずなんだよね。体が限界を迎えていることはないかい?ストレスからもこういうことは起こるから気をつけなさいよ。」となぜかお叱りを受けた。苦しみながらひねり出した言葉は「はい。」だった。
 今も昔もわかっていないが、なにやらその病気はすぐ人にうつるらしいため二週間の外出禁止令が出た。ものすごい目が痛い中外に出ることもできない二週間は苦しい。塾バイトも休まなければならない。連絡するのもつらかったのだがなんとか電話をかけて状況を分かってもらう。何もかもが苦しかった。
 この外出禁止令は不幸なことに後期の最初の授業とかぶっていた。この二週間体も心もボロボロになってしまった僕は、大学になかなか行けない体になってしまった。
 そんな時、たまたま後に室蘭音ゲーマーで一番仲良くなったり仲悪くなったりするSくんとお話をする機会があった。塾バイト辞めたいけど次のバイト探すのも面倒くさいし大変。との話をすると彼は「俺のバイト先紹介するか?多分入れるけど。どうする?」と声をかけてくれたのだ。すぐに塾という縛りから解放された僕は室蘭苫小牧両校舎に電話をかけ、バイトをやめる旨を伝えた。函館の塩ラーメンやoratio(DistorteD)よりもあっさりとした対応で僕を送り出してくれた。逆にうれしかったまである。
10月。僕はホームのゲームセンターの向かいにあるスーパーマーケットでレジを打ち始めたのだった。
 なんと研修期間は三週間。研修中の札が取れるまで半年弱という徹底的なサポート。五時間だろうが四時間だろうが、必ず10分以上の休憩時間が確保されている。事務所があって自分の着替えるスペースが確保されている。喫煙所も中にある。塾バイト時代にはなかった”当たり前”な環境がその場にはあった。
 研修初日。遅刻。
 伝えられた時間が間違ってたのか、僕が聞き間違えたのかン全くわからないがスーパー側が想定していた時間に僕は来なかった。電話を取ったのは向かいのゲームセンター。謝り倒しながら2分で到着。めちゃくちゃ謝りながらタイムカードを押す。「遅刻してしまい大変申し訳ありません。今日からお世話になります。」レジ以外の人たちが大半だということを知らない僕の謝罪は事務所に響き渡った。研修担当は同い年のMさん。とてもかわいらしくて気を抜いたら惚れてしまいそうだった。相手に彼氏がいることがすぐ判明したので何とか耐えたが。
 素敵な笑顔でちゃんと怒られたのち、接客の基本的な姿勢や文言を教わっていく。かわいい女の子とお店屋さんごっこをするだけで時給が発生する神バイトは前述の通り三週間続き、Sくんに心底感謝しながら毎日充実した生活を送っていた。
 しかし、大学に行くことは困難を極めた。そのころには”朝ちゃんと一限前に起き、シャワーも浴び、着替えて、荷物も持っているのにも関わらず、家のドアを開けることができない。”という、自分史上最悪な時期に突入していた。学校は行ってないくせにバイトはできたしゲームセンターに行くこともできた。そんな精神状態であることは友達にはあまり言えず、ただのサボりとしか思われていない人間が生まれた。親になんか絶対に言えなかった。
 Cannon Ballersも終わるころ、自分の人生のVictoryをつかむレースに出場しても勝率0%と表示されている状態。自分でも今後どうなっていくのか路頭に迷い始めたのだった。

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