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孤独を感じる瞬間

 どのような時に孤独を感じるでしょうか?私は社会からつまみものにされたと思った時に孤独を感じます。

 子どもの頃は必死に周りに合わせようとしました。割と最近まで周りが良いと思っているような価値観を選択するようにしました。今でも「あれ?ここはみんなに合わせた方がいいのかな?」と思うタイミングもあります。だけれども、自分が「こっちかな」と思える方向を選択するようになりました。自分にこたえているものの、周りと違うことを自覚するので、孤独を感じます。

 孤独を感じる時は周りから受け入れて欲しいという衝動が大きくなります。私の場合は家族に連絡を取りたくなります。ちょっとした、たわいもない雑談を交わしている中で「まぁ、大丈夫だよな」と思うことができます。そうして今の自分が1番興味があることを取り組む生活に戻っていくのです。

 昔は孤独をどうにかしなければならないと思っていました。疎外感を自分で味わうこともなく、すぐに人にシェアしていました。楽になろうとしていました。今は違います。自分を責めることはしなくてもいいと思いますが、何でもかんでも放り投げて楽になろうとするのは違うかなと思えるようになりました。

今では孤独は自分の囚われを知る手段となりました。囚われは物事を決めつけます。決めつけることは自分を生きづらくすることにもつながります。周りもなんだか窮屈にすることにつながります。自分も周りもなんだか大変な状態にします。

孤独で自分の心の揺れ動き方を知ることは、私がより満たされるようになることに繋がりました。たとえば自分は何か悪いことをしたかなと不安になることがありました。自分の中では軸を持って選んだことが、想いもよらない結果を招きました。そのような時、私は周りの顔色を伺ってしまいます。怒っていないかな、面倒くさいと感じていないかな、負担になっていないかなという形にです。これらは相手を気を使っているようですが、自分が攻撃されることを恐れているのです。本質的には相手を思いやっているわけではありません。このような気持ちの変化に孤独になって気づくと。私はエネルギーが搾取されることを嫌っていることがわかります。自己保身に走っているのです。

 ただし人生では自己保身に走りたい欲求を持ちながらも、勇気を持って自分が決めた方向に歩もうとする挑戦の欲求に従うことがあります。私はこれがなかなかできませんでした。周囲から反対されても自分が信じた道を行くということです。今はなぜできるようになったかと言えば、ひとまず周りは置いておいて、自分にこたえるようにしたためです。孤独になったためです。周りと関わると孤独を感じますが、ひとりになれば孤独は感じません。あるのは自分の囚われだけです。これまで積み上げてきた固定概念がミラーとなって映す世界がそこにはあります。

 固定概念は外せます。自分の興味の赴くままに物事をやってみることはできます。そうした自分にこたえる世界はどこまでも続いてきます。これが安心している人が見ている景色なのだと思います。

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