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どうして続く趣味ができたのか

 私はこのところNintendoのリングフィットアドベンチャ(以下リングフィット)にハマっています。特にがお気に入りで、毎日、朝昼晩とやっています。始めると没入して、リング君というキャラクタと共にせっせとカラダを動かしています。他のゲームのように作業をしているという感覚には陥りません。私はどうしてリングフィットにハマったのか考えて、今の所感をづづっていこうと思います。

1.趣味へと昇華した理由

私が動画を見ながらや自主的な筋トレやストレッチよりもリングフィットを好む理由は次の4点です。

1.直感的でやりやすい
2.予想と検証のバランスがちょうどいい
3.自分で判断している感覚がある
4.励ましがあり心が折れない

 対して、動画を見ながらストレッチだけしている時はここまで夢中になっていませんでした。動きをしていると思ったら、すぐに次の状態に移ることが心理的なストレスだったのでしょう。自分のペースでできないことが没入感をそいでいたのだと思います。つまりはリングフィットは動画と比べると「直感的でやりやすい」という特徴がったのです。ルールを理解するフェーズと取り組むフェーズに分かれており、場面場面で何をすれば良いのかすぐにわかるのことが、とてもやりやすいのです。

 また、動画を見ながらストレッチをしている時は「受け身」感が拭いきれませんでした。動画を何回も見て流れを覚えても、その頃には飽きています。対してリングフィットは習得した筋トレを使って新しいステージに挑戦するという形になっています。筋トレに慣れてきた頃には新しいステージが来ます。動画では動作だけでしたが、ゲームでは動作と知らない世界が組み合わさっており、「予想と検証のバランスがちょうどいい」ところもハマったポイントでしょう。主人公の服、ストーリー、個性的なキャラクタなど、まだ見ぬ世界があるがあることは次々にこんなことが起こるだろうなと予想して、ゲームを進める中で検証しているのです。

 更にリングフィットでは走ったり、筋トレしたり、ストーリを進めたりとユーザが選択できます。対して動画であると、動画の内容を無視して自分のやりたいことをするというのは少しストレスがあります。「自分で判断している感覚があること」が続いている理由だと思います。

 またリングフィットでは筋トレやストレットをする中でGREAT-GOODと評価があります。仮にGOODであったとしても「もう少し」「頑張って」と励ましがあります。これはパーソナルトレーニングジムなどに通う場合も同じでしょうが、自分にかけられる声かけは励みになります。リアルなジムのトレーナは人なので、時には励ましではなく叱咤激励をする人も中にはいるかと思います。私は叱咤激励されてもモチベーションにはつながらないタイプなので、リングフィットのリングくんの声かけは「励ましがあり心が折れない」ことにつながっています。

2.趣味になったきっかけ

 フリーな生活を始めた時は、自分の趣味が筋トレやストレッチになることなどは予想もついていませんでした。しかし、毎日充分に休息してあれこれ試す中で、筋トレやストレッチをするに至ったのです。
 
 リングフィットに出会ったのもたまたまでした。ある休日にやる気がなんだか出ないねという話になり、以前から気になっていたマッサージガンを家電屋さんに買いに行ったのです。このマッサージガンは通っているパーソナルトレーナさんがオススメしていたことや、ストレッチをする中で筋肉を刺激で柔らかくすることは、カラダを柔らかくすることにつながることを知ってからは欲しいと思うようになりました。

 ジムに通い始めたのはフリーな生活の中であまりにも人に会わず、どこか寂しさを感じたためです。はじめは居場所作りと思って通い始めたのです。最初は人生の指針を示してくれるメンターみたいな人に出会えないかなと思っていました。孤独な生活の中で人に甘えたいな、頼りたいなという気持ちになっていたのです。そうして、あれこれ試したり町中を歩き回りました。SNSで見ず知らずの人と交流したり、配信したり、カフェに行ったり、図書館に行ったり、占いに行ったり、エステに行ったりしました。そうして落ち着いたのがマッサージとジムでした。

 そもそもジムに通う前は自由な時間を持て余してゲームをしたり動画を見たりしていました。サラリーマン時代にできなかったうっぷんを払うかのようにやり込みました。何者でもない自分になったような感覚を払いたかったとも言い換えられるかもしれません。そう、この頃はサラリーマンからフリーになりたてだったのです。日中、日の光の中を歩くことにも違和感を感じるような状態でした。働いていた頃は朝早く家を出て日が沈んでから帰るのが当たり前なので、昼間に出歩くことに慣れなかったのです。そのくらい環境がガラッと変わった反動で、私がゲームに没頭していました。何か将来のことをどうしようとかよぎる気持ちにフタをするかのように、焦る気持ちにフタをするかのようにゲームに没頭していました。

 サラリーマン時代には責任感と忙しさに追われていました。仲間に囲まれてお金ももらえて、条件はいいなと思い返せますが、私は機械のように働いていたのです。そこには「私はどうしたい」という意志はほぼありませんでした。会社の求める方向性や社会から求められることをキャッチして体現できるように計画して行動していくのです。正直大変でした。このまま今の生活をしていても私の人生において良いことはないな、人に魅せるためだけ、自慢したいがためだけの人生だなと思えたこともありました。毎日の重圧の中でただ焦っていました。おそらく中間管理職はみんなこのような形でしょう。仕事では焦りは出しませんが、問題が起こる度に心は振れます。焦ります。しかしスケジュールを見直したり、業務量を調整したり、論理的なところを軸にすることで、振れる心を落ち着かせてうまくいくように調整し続けていきました。時には自分がプレイヤとなってなんとかすることで乗り越えてきました。そうした身を削る生活の中で、フリーになることを「えいや」と決断したのです。後先のことなんて考えていません。正直そこには勇気しかありませんでした。

3.継続できる趣味ができた所感

 長くなりましたが、こうして私はリングフィットに出会ったのです。私のブログを2021年の4月から辿れば、その経緯を追うことができます。それでは長くなりますが、こうような経緯で継続できる趣味を見つけるに至りました。今では焦ることなく日々、リングフィットを楽しんでいます。私は「自分は大丈夫」という感覚があって、明日、明後日がどうなるか分からないけれども、とにかく楽しいという状態の中にいます。

 サラリーマン時代の時は目標を掲げて、何か新しくできることを増やそうと努力し続けてきました。しかしそれでも負担は大きくなるばかりで、私は心理的に弱っていきました。この頃は何をしても継続できませんでした。何かひとつ成し遂げたと思ったらやらなくなってしまうのです。それは目標があったからでしょう。理想像があったからでしょう。目標や理想を叶えるまでは没頭してなりふり構わず邁進しました。しかし達成した途端にそれまでのことをパタッとやらなくなる刹那的な人生がそこにはありました。


 私が継続できる趣味ができた理由は「将来に対する目標を立てないこと」、「興味が湧いたら挑戦してみること」、「休むこと」に徹したためです。「将来に対する目標を立てない」ことに徹したのは「安心している人」がそうしていたためです。かつての私は「不安な人」でした。目標や理想を掲げて現実の自分がそれに少しでも近づくように頑張るのです。今の自分のままではいけないという感覚がありました。何者かにならないといけないと思っていました。しかしどんなに努力をしても心にはどこか不安がありました。どんなに住む場所や食べ物が良くても、周りから歓迎されたり認められても、自分の能力をもって活躍できても、不満がありました。満たされていませんでした。その証拠が「人に魅せるための人生だ」という感覚です。常に演じている自分がいたのです。対して私の周りには「安心している人」がいました。「安心している人」は子供のようにイキイキとしていて、仕事も大変なハズなのに毎日楽しそうです。周りとの関係も良好で、親しみをもって雑談しています。そうしてなぜか成果を出して、時代の先駆者となっていくのです。

 私は「安心している人」に出会って、私と「安心している人」は何がこんなにも違うんだろうと考えました。そうして「安心している人」を観察し、分析し、どうすれば「不安な人」である自分が「安心している人」になれるのだろうと思慮してきました。その結果「不安な人」と「安心している人」の行動の違いは3つで、「将来に対する目標を立てないこと」、「興味が湧いたら挑戦してみること」、「休むこと」という解を持つに至りました。

 誰しもがフリーになって趣味を見つけられるわけではないと思います。普通ならば社会から弾き者になったと悩むはずです。自分は周りとは違うのかと悩むはずです。時には自分が悪かったのかもしれないと自分を責める人もいるでしょう。時には目標を掲げて邁進していく人もいるでしょう。しかしそうして行き着いた先は、フリーになる前の擦り切れて無気力になった自分です。なぜかやる気が出ずに、周りに気を使ったり、周りなんて自分のことをわかってくれないと思う自分がいるはずです。

 続く趣味ができるための条件は「安心すること」だと思います。安心することは今の自分から他の自分になることではありません。今以上に社会的地位を増やしたり、できることを増やしたり、結果を出したり、有名になったり、資格を取ったり、お金を稼ぐことではありません。安心することは「休むこと」で勝手になれるのです。過去にどんな避けがたい困難があったとしても「安心すること」はできるのです。ゆっくり休んでアタマとカラダを空っぽにしたら、「興味のままに挑戦してみること」です。すると続く趣味が見つかります。かつては「不安な人」であった自分が予想もできなかったところに行き着いています。いつの間にか「安心している人」になっています。私は今、「不安な人」から「安心している人」に状態が変化していっているなと実感します。それは休んだためです。休んで興味のままに動いたのです。その時に目標を立てないように、下手なまま取り組む、とにかく楽しんでみようということに徹したのです。そうした結果が継続する趣味を見つけました。この世界はこんなにも満たされるのかと感じています。


 ※リングフィットと欲しいと思ったマッサージガン

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