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貯金を切り崩す日々

私は休職中の30代サラリーマンで、貯金を切り崩す日々を送っている。日々通帳の残高は減っていき、この貯金で収入がない期間を1年続けた場合、3年続けた場合、5年続けた場合…と、月々いくらで生活すれば、収入がなくとも今の生活を続けられるか、あれこれシミュレーションする。しかし、条件から考えれば大丈夫な状態であるとはわかっていても、不安になることがある。

不安になることは他にもある。先のことを決めていないことだ。不安に感じないこと、満たされそうなことを目標としてイメージを持って、それを今の状態まで細分化し実行可能な状態にして取り組むこともできると思う。そうしてみたこともある。しかし、何か束縛された気持ちになり、その小分けにしたやることーTODOは十分実行可能なものであるが、できない。やらないという方がニュアンスは近いかもしれない。一番障壁の高いことは、やろうと思っていることをやることだなと感じる。

しかし、不安になっても、先のことを決めない。決めないと、こうしなければいけない、ああしなければいけないという制限されるような思いはない。朝起きて、自分のなんとなくやりたいなと思ったことに従って生活している。

これまでの私は目標を立てて達成してきた。狙って理想や夢を実現してきた。例えば、私は大学で首席であったが、もっと遡って高校でも内申点が全て上限だった。(私の高校は1〜5で成績がつき、5が最も良い成績だったのだが、全て5だった。)中学でも同様であった。ALL5とまではいかなかったが、4が1個か2個あるような成績だった。部活動でも、何かと表彰された。文化祭のポスターには採用される。習字をすれば学年で選ばれ、周囲の市役所などに飾られる。運動をすれば、陸上部の人よりも足が速かったり、それに時間を費やす人と比べて同等以上の成績を出した。当時の私は、これらを狙ってやっていた。この傾向がある、こういったものが好まれる、こうすると評価される。わかっていた。

私はリケジョであるが、研究や仕事でも同様の能力を使った。しかし、だんだんと世の中にないものをつくる、全く新しいものを創造する、具体化するといった世界となり、難易度が高く、これまでのやり方が通用しなくなった。試行錯誤した結果、全く新しいものを生み出すには、従来のように目標に対して傾向と対策を立てるのではなく、頭を空っぽにさせてリラックスして発想する形が最も近道であるということも見出したりもした。そのやり方は結果となり、私を予想していなかった未来へと連れていった。

貯金を切り崩す日々となり、お金に不安を、今後に不安を感じた時、これまでと同じように目標から逆算したり、ある効果を狙うことはできる。私はいくつかYoutubeをやったり、コンテンツを作って販売し、月々にちょっとした稼ぎもある。そのため、こうすればより稼げるなとかある程度法則が見えるため、腰を据えてやれば、今よりも収益が上がることも予想できる。しかし、これがウケる、伸びると狙ってやることは、多くの人の手に届いて人の役に立つことがあるかもしれないが、やろうと思えない。より自分自身にこたえた先の世界を見てみたいと思っている。

誰かにこたえることは、不安や囚われからきている。私はより満たされるために、まっすぐに自分がいいと思えることを発信することをしている。これが自分をどこに連れていくのかとあれこれ予想することはできるが、それを手放して表現を続けている。

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