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安全でありたい人

安心できる環境、リラックスできる環境にいたいと思うのは自然なことである。

子供の頃は、親が喧嘩しているよりも、和やかでいる方が良いなと思う。何かとあれやれ、これやれと強要されるよりも、気ままに何かに取り組んだり、ゴロンと横になって寝られる環境の方がいいと思う。

動物でも同じことが言える。ずっとカゴの中に入れているよりも、自由に動き回れる方がイキイキしている。多くの人に囲まれている場合は、人の手の届かない場所にいるか、多少人に触られたりしたとしても、落ち着いている人の膝の上なんかを選ぶ。何かと触ってきたり、ずっと干渉してくる人の近くにいるよりも、よっぽど安全でリラックスできるからである。

大人になって充分安全であるのに、それに固執する人がいる。避けがたい困難を経験すると、自分でルールを作り、その枠組みの中で生活するようになる。

安全でありたい人が悪い状態であると、人に強要してくる。独りよがりで道徳を振りかざし、融通がきかない。何事も完璧を目指す。
対して、良い状態の時は努力家で、整理や見抜くのが上手で、社交性がある。

人の囚われは、大きく分けて3種類に分かれると思う。本能的か環境的か論理的かである。安全でありたい人は本能的なところに囚われがある。

私は大学で首席だった30代のサラリーマンである。そんな私も安全を求めていた。大学で首席になるためには、物事をほぼ完璧に進める。試験ではどれも満点近い成績を取る。

また、私は2回転職を行ってきたが、こういった人を見てきた。理論武装し、少しのミスも見逃さない。相手に完璧ー理想を強要する。

安全でありたい人の何が厄介かと言えば、その言動、行動は批判しにくいというところにある。つまり、側からみれば正しい。しかし、その正しさは、本人を疲弊し無気力にさせ、周囲からも搾取して弱らせて無気力にする。

私は、囚われを持っている人を仮面をつけている人と呼んでいる。そして、人生で最も困難なことは、仮面から逃れること、そして仮面を外すことだと思っている。それに関する記事がこちら。

安全であり続けても、行き着くところは無気力である。何もできなくなる。(ちなみに、仮面をつけていると、突き詰めるとみな無気力となる)ルールを守ればそれなりに保てるかもしれないが、自分で作ったその枠は自分を束縛し、ワクワクすることなどがなくなり、最後はやる気がなくなる。

ルールや法則、環境はあくまでも手段である。しかし、安全でありたい人はそこに固執する。しかし、大人になる過程で、仮面をつけた人に囲まれた結果、過去や未来に不安を抱くようになる。自分を信じられなくなる。それは、完璧に振る舞うこと、良い子を演じることでそれ以上傷つくのを防ぐ。

完璧主義という仮面を外すためには、自分は大丈夫と思うことである。つまり、自己肯定感を高めることである。自己肯定感を高めるのは、次々と何かできるようになって達成感を積み上げることではない。自分はできるという感覚を身につけることではない。自己肯定感を高めるには、まず手放すことである。今思考していること、感じていることを全て手放すのである。

手放すことは、人に自分の気持ちを話したり、ノートに自分の気持ちを書くことではない。これも効果的ではあるが、人に話すとリアクションがあり、またルールに囚われたりすることもある。人に話す場合は無頓着な人、事実を事実として認識して意味づけをしない人に話すことを薦める。しかし、こういった人は少ない。心理カウンセラーなどがこれに該当し、効果を発揮するが、心理カウンセラーも法則に乗っ取って行動する。つまり、自然ではない。自然ではないものと対話しても、本当に手放すことには繋がらない。
ノートに気持ちを書くと、自分が感じていることを認識して、気持ちがスッキリする。特に自分の過去について受け止める。自分なりの物語を紡ぐことは、過去を認識して今に集中できるようになる。しかし、自分は大丈夫と自己肯定感を抱くことには、あと一歩行きつかない。

手放すためには、ひとりになり何もしないことが近道だ。ゴロンと横になって、身体と心を休める。初めは周囲の環境に気を取られて、気が休まるどころではないかもしれない。しかし、徐々になれる。脳がちょっとした音や変化に反応しなくなる。

マインドフルネスや瞑想と検索すれば、その方法がたくさん出てくると思う。ここで進めているのはそういった類のものだ。

また、多くの人は僧侶でもないし、何かと忙しい日々を過ごしていると思う。学校があったり、会社があったり、子育てをしてなかなかそんな余裕も時間もなく、追われている。私もそうであった。自己肯定感を高めるHOWTOを検索して試してみたり、あれこれ試行錯誤した。また、完全に拘ってない、一見自由な人の真似をしてみたりした。

その結果、わかったことは皆はじめは仮面をつけている。今は仮面をつけていない人でも、仮面をつけていた時期がある。そして、仮面は誰にでも外せる。しかし、世の中ではHOWTOを発信しているものがあまりにも多い。HOWTOは手段であり、本当に自分がそれをやって満たされるとは限らない。そもそもスタート地点が異なる。自分の今置かれている環境とHOWTOの中で語られる効果、結果と自分の置かれている環境にはギャップがある。HOWTOを発信している人は、仮面をつけていない人も多い。つまり、過去や未来に囚われがなく、今を生きている人である。しかし、HOWTOを検索するこちらは、満たされていない。どこか満足しない。何かに固執して囚われて、頑張って、守って、クタクタになっている。もはやその検索をしただけでもすごいという、ギリギリな状態であったりもする。

仮面は外せる。そして、実際に自由で、行動的で、執着しない人に私は会ってきた。

まぁ、無難な人生だけど、何かものたりない、ふつう以上満たされ未満の人を、仮面をつけていない状態にしないために、情報発信をしていきたい。



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