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自律、自立すること

私はかつて自分で主体的に動けるようになりたいと思っていた。自分の身の回りのことを自分でできるようになり、誘惑や困難があっても、自分を律して行動したいと思っていた。広辞苑で自律、自立は次のように書かれている。

じ‐りつ【自律】
①自分の行為を主体的に規制すること。外部からの支配や制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること。

じ‐りつ【自立】
他の援助や支配を受けず、自分の力で判断したり身を立てたりすること。ひとりだち。「経済的に―する」

要するに、強くなりたかった。大きな目標を掲げ、それを小さなできることに細分化して達成した人の話を聞くと、すごいと思った。親元から離れて、自分で全てのことをやりくりしている人をすごいと思った。そんな人たちは、どこか強く、立派に見えた。

それから時が経ち振り返って見ると、自分は自立、自律したと思う。集中と選択をして結果を出した。自分を律してきた。経済的に誰を頼ることもない。多くのことは自分で判断する。自立した。

そんな今思うのは、自立、自律したいと思っていたのは、なんだか不安だったということだ。社会に出ておらず、学校を主な生活の場としていた頃は、なんだか将来のことが不安だった。何かひとつ決めるにしても、周囲の様子を伺ってから決めていた。何かアドバイスをもらって背中を押してもらう時もあれば、選択した後のことをあれこれ考えたりもした。

しかし、どんなに自分でルールを決めて行動して結果を出しても、ひとりだちしても不安は拭えなかった。むしろ、何をしても不安はいつでもそこにあった。何かをしていないと、大丈夫と思えない。ぼーっとすることができない。ついついスマホに手を伸ばす。頑張って何かできるようになっても、周囲に認められるようになっても、どこか居心地が悪い。できることは増えて、選択肢も増えているのに満足しない。満たされない。疲れる。やる気がなくなる。

不安があると、どこか偏りが出る。エゴが出る。こうしなければいけない、こうするとうまくいくと企てる。不安は依存を生む。何か正しいと思える型をつくって、それをなぞる。囚われができる。囚われは、思考や行動を制限して、ずいぶんと窮屈になる。それは不機嫌になったり、恩着せがましくなったり、攻撃的になるといった形となり、人間関係もうまく行かなくなる。疲れる。なんだか落ち着かない。

一方で、同じく自律、自立していても、イキイキとしている人がいる。不安を感じていない人がいる。同じような環境にいても自由で、興味のあることをやってみる。楽しむ。周囲の人との関係も良好で、協力的である。

自律すること、自立することは、一般的にいいこととされがちである。しかし、どんなに自分の行動を規制して結果を出そうと、親元から離れて独り立ちしようと、それを追求しても安心することはない。安心するためには、囚われをなくすことである。充分に休息することである。


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