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考えることについて

考えることについて考えてみたので、ここに書き残しておきます。


検索ツールに頼って考えなくなったのか? 

 ある興味深い記事を読みました。それは「日本が衰退しているのは検索ツールに頼って考えなくなったからだ」をいうものです。この件について私なりの所感を語っていこうと思います。

 私はかつては理系の研究職畑で働いていました。どんなにトップを走っている人でも検索ツールを使っています。些細なことや分からないことは検索したり、世の中のツールを使うのが実にうまいです。どこからか便利なものを見つけてきて愛用しています。業界の中でTop of the topの人々を観察した私の感想は「日本で生まれ育った人は他国に比べて理想が高いのではないか?」ということです。別に考えていないわけではありません。ただ物事の完成度が高い、細かいところまでこだわる気質があったりするのかなと思います。その理想が故に大胆に行動できない傾向があるのかなと捉えています。

 理想が高いことは物事に着手した時に見通しを立てられているということです。取り組む前にどのような結果が得られるか予想を立てられているのです。対して他国の場合は日本人ほどの精度の高い理想はないと思います。何となく感覚で進めるところがあると思います。たとえば何か新しいモノを発見する、生みだす時に日本で生まれ育った人は「再現性」が高いです。対して他国の場合は必ずしも再現性に特化しているわけではないと思います。日本以外で生まれ育った人は「センス」で物事を進めると思います。その人の性格もありますが、国や地域特有の性質もありますが、日本人の場合は特に「再現性」だけは非常によくできます。

 最初にどのような完成形になるかイメージできて周りに共有できること、再び同じような精度で生み出すことができること、つまりは「再現性」があることは「考えている」証拠です。何となくな「センス」の場合はまず完成形が曖昧です。考えているわけではありません。主従関係や情報の粒度が異なる情報が結びついて形を成しているというようなものです。様々な情報が繋がりあって理想を作っているのです。つまり側から見ればカオスな形となっています。そのカオスなイメージは、とりあえず方向性や得たい効果だけは予想を立てておくという形です。これは考えているというよりも、感覚に近いです。

 グローバルな中で成果に着目すると甲乙が出ます。研究という特殊な世界をのぞいた時に日本と世界の違いは「考える」のが得意か「センス」が得意かという形だと思います。日本で生まれ育った人は別に考えていないわけではありません。検索ツールで情報を取ってくるのも器用にできますし、それを元に自分なりに考えています。将来に対する鮮明なイメージを持つことができます。ただ、考えて精度高く考えられるが故に「余白」がないのです。何か新しいモノを組み合わせる柔軟さ、つまりは「センス」と言えるところの意識が弱いのです。

 理系の研究職の世界も厳しくなりました。1〜2年などすぐに成果を出すことが求められます。ここで手っ取り早いのは異分野のモノを組み合わせることです。また業界で当たり前とされていることを権利として守ることです。研究も突き詰めれば成果は見せ方次第なので、型破りな異例の速さで成果を出している人はこの法則に則っています。他の分野から見れば「新しいことをしている」と認知されるので評価されます。ただ同業者からは「ずるい」と思われます。しかし結果が出れば良いじゃんと考える人がいます。プロセスなどを共有せずとも結果が出ればいいと捉えるのです。それが「センス」を理解している人です。対して「再現性」を重視するとプロセスまで見える化することを求めます。考えていることを体系化していくのです。この場合はワンマンでいくことがなかなか難しいです。

 結局のところ「考える」ことは物事を解決する手段の一つです。別に物事を進めるに当たり、それは誰かがやっているかもしれない、何かの2番手になるかもしれないと予想して考えるのではなく、気楽にやってみれば良いのではないでしょうか。検索するのも同じです、手段にしか過ぎません。世の中に何かの見解が書かれていたとしても、本当にそうなのか気になったら自分で確かめてみるくらいでいいと思います。それは個人や会社など規模が異なっても本質は同じだと思います。面白そうだからやってみるとそこから派生して予想しなかった結果を得ることもあります。慎重な綱渡りも良いですが、「大胆に行動できるように試してみる」というハードルの低いスタンスでいても良いかなと思うのです。

エゴなく考えていくこと

 ウチのお母さんはこれは「良いもの」と探索することが好きでした。一緒に買い物に行っては、これが似合うんじゃない?こっちは色がいいよとあれこれ探索していると本当に楽しそうでした。

 他にもお母さんは生き物も好きでした。好きというよりも大切にしています。お手洗いに立つと寝ているペットが起きちゃうからと微笑みながらちょっと我慢している姿を見ると、本当に生き物のことを想っているなと感じます。大人になってわかったのですが、私もこうして愛されて育ったんだなとしみじみと実感します。いつも気にかけてそばにいたのです。

 またお母さんは旅行などの記事をあれこれまとめているのも好きでした。特に印象的なのが家族で旅行に行くと、旅行の様子を絵日記のようにまとめていました。私はそれが好きで溜まりませんでした。旅行ももちろん楽しいのですが、その絵日記を見ると楽しかった思い出がより特別なものに感じられました。完全に安心して日々に満足している姿を見て私は本当に満たされていました。

 苦手なものとしてはジェットコースタや人混みを嫌いました。それでも幼い私が一生懸命せがむとジェットコースタが値段が高いとブツブツ言いながら乗ってくれたり、街に連れて行ってくれたのが印象的でした。ジェットコースタでは落ちる時に写真を撮られてそれを見返した時にお母さんと私は全く同じ顔をしていて、家族だなと思いました。その写真を見て笑い転げた思い出があります。

 対してウチのお父さんは本が好きでした。毎週BOOKOFFから古本を買ってきて読んでいました。私もその本をパラパラとめくっていました。お父さんが本を私に勧めることはありませんでしたが、毎週増えていく本に私は気づき興味を示していました。

 他にもお父さんは工作が好きで、丸太で一緒にロボットを作ったりしました。近所で枝を拾ってきて一緒に何か作るのです。そうして私が工作している横でお父さんの方が工作を一生懸命やっている姿を見て嫉妬したりしていましたが、それでも何だか楽しかったという思い出があります。一緒に次はこれを作ろう、あれを作ろうと語り合っているのが好きでした。

 またお父さんはフラっと散歩に行くことが好きでした。早朝や深夜が多かったので私がついていくことはほぼありませんでしたが、一度朝のお散歩についていった事があります。朝の空気が冷たくてなんだかとても特別な1日に感じました。ただ近所を歩いただけなのに、いつもは車がたくさんいる道が静かな様子や人が全くいない様子にちょっとしたときめきを覚えました。なぜか特別な思い出として刻まれています。

 特にお父さんは人が好きだったなと感じます。数は少ないですが私が友達を家に呼ぶとお父さんはご機嫌に友達に声をかけるのでした。普段よりも少しハイテンションで楽しそうなお父さんが友達に話しかける様子を少し嫉妬するものの、私はその楽しそうな姿が好きでした。

 お父さんとお母さんを比較するとお父さんは概念的なことを言う人でお母さんは具体的な対処方法や実利について話す人だなと思います。たとえば算数の問題で分からないところがあるとお母さんはどう解くかを教えてくれます。お父さんの場合はその概念について話します。他のことについても同様でした。進路選択どうしようと相談した時はお母さんはこっちの進路に進むとこんな大変な事がある、良い事があるとメリットデメリットを語ります。対してお父さんは自分が一番興味があることをするといいというニュアンスのことを言うのです。

 私はお父さんと話しても悩みが解決しないので、次第に相談しなくなりました。対してお母さんはその場で白黒つけてくれるので、楽さからかそちらを取るようになりました。大人になって思うことはお父さんの話すことは本質でした。ただその時はその回答は求めていなかったというところなのです。どちらを取るにせよ、私は事ある度に自分で選択して今日までやってきました。試してみて結果が出てから考えるというスタンスを私は取ってきました。いくら知識を持っていても、やってみないと分からないと考える自分がいたのです。

 今思い返すと私は精神的に満たされている「安心している人」に愛を持って育てられました。ですが私は「安心している人」ではなく「不安な人」となりました。自分の身を守ろうと条件ばかりを気にし、人の顔色を伺うようになりました。自己保身に走り、興味があるものを気ままにやってみようという形にはなりませんでした。いつも理想や狙い、目標を作り、何かを達成しようと生きていました。

 私は理系の研究者となりました。それはお父さんと同じ職業です。分野は違えど同じような空気感を持つ世界に行きつきました。子供の頃、お父さんがスーツを着ている姿は見たことありませんでした。子供ながら他のお父さんが真っ黒い服を着て毎朝早く家から出ていくのに対し、ウチのお父さんは気ままに起きて外にふらっと出て行っているという印象でした。それを子供の頃は特別に思っていました。結局同じ職業を選んで私はお父さんとほぼ同じようなあり方になったと思います。毎日好きな服に身を包み、好きな時間にお気に入りの場所に足を運びました。そこには自分が生み出すためのツールがたくさんあり、好きなだけ引きこもれました。それが推奨されるような環境でした。正直、サイコーだと思います。世界のどこを見渡してもこんなに恵まれている職場はないと思えます。それでも私は理系の研究畑から去ることを決めました。

 私は「子供には大人のイキイキした姿を見せる事が一番の成長につながる」という価値観を持っています。イヤイヤ会社に行く大人よりもお金がなくても毎日楽しく工夫して暮らしている大人の方が子供の成長につながると思っているのです。理系の研究職は限りなくそれに近いなと思えますが、実際に働いた所感は異なりました。条件としては十分な環境で働いていましたが、見切りをつけたのです。それは組織に所属する上での忖度でいつまでも悩むからでした。忖度とは「他人の気持をおしはかること」のことです。研究者と言えど組織に属しています。成果を求められます。組織の中で目標があり、その組織の目標を達成するように研究テーマを決めて進めていく事が必要なのです。たまにノウノウと本当に好きなことをやってもいいとされる研究環境はありますが、私は研究の世界の中でも競争が激しい分野に身を置きました。これも私自身が決めたことです。今はこの分野が伸びるから、この分野で成果を出そうと狙っていたのです。私の研究はすぐに多くの人が利用するようなある意味かなり成功している研究をしていました。だからこそ失敗はタブーであるし、毎年目覚ましい技術的進歩を求められました。

 その結果、私は当初の自分が見込んでいたところよりもずいぶんと遠く高いところまで辿り着きました。高校生の私が働いている私を見たらとても感動すると思います。まさにかっこいい憧れている姿だからです。しかし私の実態は異なりました。競争によって伸びた私の能力はありますが、どんなにできることを増やしても、成果を出しても心が満たされなかったのです。どんどん管理者として人をリードしていくような立場となっていきました。今思い返すとお父さんはほぼ1人で研究を進めていましたが、私は大所帯を引っ張っていくという立場の違いもあるでしょう。競争の世界だからこそ、毎年毎年、飛躍した成果を求められます。私はそれに疲弊していたのです。私はイキイキしていませんでした。もちろん仕事にはやりがいを感じますが、これ以上、新しい技術を確立する必要があるのか?と思うに至ったのです。つまり私の取り組んでいる研究分野を引っ張っていこうという気概がなくなっていたのです。

 自分の成長や条件の良い環境を求めた結果、それは十分に得られました。しかしどんなに成長や条件を得られても「満たされること」にはつながらなかったのです。私は心の不安を深めていきました。おそらくほとんどの人はそれでもこの環境でいいと思うでしょう。私の同僚もそうでした。しかし私の場合は自分の心の違和感を解消しきれず、「より満たされる」をテーマにして動き始めたのです。

 どんなに束縛や誘導がなくて時間的に金銭的に余裕があっても、私は不安を抱えました。その経緯はこのブログに綴っています。私は逐一不安を感じ、その度にどうしてこう思っているのだろうかと考えたりしてきました。家族からはそんな私を「文化的だね」「思想家だね」と言われます。「実利」の方向に走ってきたからこそ、その衝動と言わんばかりに実利がない世界にいるのです。「子供には大人のイキイキした姿を見せる事が一番の成長につながる」という価値観の私ですが、私はイキイキする作法を忘れてしましました。現に私は笑わなくなったと思います。狙いをなくただやってみるという事ができなくなっているのです。何事にもエゴがあるのです。

 何事にもエゴが出るようになった今は、エゴとの付き合い方をずっと考えています。子供の頃はこれをやったらどうなるなど考えずに、ただ目の前のことに夢中になっていました。私の子供時代はその時間が非常に長かったと記憶しています。だからこそ、その状態に入れば自覚できるのですが、すぐにエゴが出てくるのです。この癖を治すのは非常に大変だと実感しています。今自分にできることは大人になってエゴがないあり方となった「安心している人」を真似ることです。「休むこと」「気ままに取り組むこと」「エゴを持たないこと」「夢を掲げること」をしてみているのです。

 私の夢は「私自身が満たされて、周りも満たされていくこと」です。初めは私自身が満たされる方法を発信していくことかなと思っていました。たとえばカウンセラーやコンサルタントや先生などのような存在になることです。しかし、次第に既存の職業で分類されるものにならなくても、周りが満たされていくことはできるなと捉えるに至りました。何かの方法を確立して発信したり分析するのではなく、私自身が毎日、集中できる何かがあればいいのです。

 私自身がそうであるように「不安な人」となるに至った経緯は複雑です。囚われがコロコロと変わる人もいればずっと変わらない人もいるでしょう。他の人では問題となることがある人では問題とならないかもしれません。

 〇〇診断や〇〇メソットのように何かの枠組みに当てはめて人のことを判断するのは簡単でしょう。しかし私はひとりひとり問題は異なると思います。万物に当てはまる方法はないと考えるのです。ですし結局のところ不安な人から安心している人に変わるためには、何かの方法に即すのではなく、本人自身が気づくしかないのです。私ができることとしては「おばあちゃん」のようにその人に起こったことを聞いたり、少し助言したり、自分の話をしたりすることくらいでしょう。

 気づくためには特別何かの組織に属していなくてもいいと私は思います。ひとりでも考えられるのです。しかしひとりで考えるのは孤独も大きいです。考えにも偏りが生じます。度々私は今のフリーな生活に不安を感じたりします。それでもなぜだか目の前の集中できることを見つけられているのは「下手でもいいからやってみよう」と思えることなのです。私の場合は運動でした。運動してこなかったからこそ、運動初心者だからこそ、運動だけは自由に取り組めています。エゴなく自分にこたえています。

 ひとりでいても考えられます。そこには少しの工夫が必要で、全くの初心者なものを取り組むのがいいのではないでしょうか。初心者であると自分がその世界のどこへんに位置していて、どこまで深堀できるのかなど知りません。世の中でどれほど人類が発見したことがあるかどうかも知りません。しかし知らなくていいのです。

 しかし自由気ままに進めても「エゴ」や「思い込み」は出てきてしまうので「自分を客観的に捉える」ことをしてみてもいいのかなと思います。私の場合は運動量を測る指標を参考にしています。カロリーから運動量を測っています。他にも自分のカラダが何度動くようになったということを見ています。それによって自分の「エゴ」や「思い込み」初期化できるのです。

 取り留めなく書いたので長くなってしまいましたが、「全くの初めてのものに取り組む」ことが「エゴなく考える」ことの近道になることを、サラリーマン時代の私は知りませんでした。エゴをなくすためには「休むといい」「興味のままに取り組むといい」ということには気づいていましたが「初めてのものは固定概念がない」という考えたらわかりそうなことに気づいていなかったのです。まったくの初めてのことなので自分がどうなっていくかはわかりませんが、これからもエゴなく取り組むことをテーマに生活していきたいと思います。これが恵まれた会社を辞めてまでやることだったのか?と言われると正直ひよる私もいますが、とにかく試してみようと思います。

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