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慎重で忠実な人

責任感があり、誠実な人がいる。面倒見がよく、誠実かつ聡明で洞察力に優れている。

私は30代のリケジョであるが、いわゆる大企業に勤めている人はこのタイプの人が非常に多いと思う。人の真意を汲み取ることができ、人に対してあたたかく接し、受け入れる。

しかし、このような人が拗らせる姿も見てきた。疑り深くなったり、保守的で何かと慎重になる。感情の起伏が激しく、どこか怒りっぽい、不機嫌になる。人のことを詮索することが好きで、自分が安全にいられる条件を見出す。結果、周囲にこたえようとしたり、するが、ルールを厳守するあまり物事を先送りにしたり、回避的となる。恐怖心で行動できなくなって、無気力になっていく。

人の囚われは、本能的、感情的、論理的の3種類に分かれると思う。慎重で忠実な人は、論理的なところに囚われがある。

世の中には、囚われない人がいる。権力に依存したり迎合することがない。何かを先送りにしたり、ワーストパターンを考えて萎縮することもない。やりたいことを意欲的に取り組む。周囲の顔色を伺ってお膳立てすることもなく、周りと対等な関係を築く。これまでのルールに囚われずに、新しい創造、挑戦をすることができる。このような人は統合的な人である。

ここでことわっておきたいことは、慎重で忠実であることが良いこと、悪いことといっているのではない。慎重で忠実な人がなんだか逃げ場がなくなったな、生きづらいなと感じている場合、今よりも満たされる状態があることを紹介したい。

なぜ、慎重で忠実になったかと言えば、子供の頃に感情的な人に囲まれたためである。接し方に一貫性なかった。ムラがあった。そのため、日頃からよく観察して、危険を察知する必要があった。避け難い困難があっても、対応する必要があった。両親など周囲の強い人に対して忠実になることで、その身を守ってきた。しかし、警戒を続けていると安心せず、疲弊してくる。

より穏やかになったり、安心するようになるには、囚われをなくすことである。囚われをなくすには、休息をとることである。頭を空っぽにすることである。体も心も空っぽにすると、自分は大丈夫だという感覚が得られる。安心できる。何か強いものの影に自分の身をひそめなくとも、自分は大丈夫だと思えるようになる。満たされる。瞑想やマインドフルネスは、頭を空っぽにする手段の一つである。

何かの規則を忠実に守っていても、多くの人の手助けをしても、どこか満たされない。あれこれ好きなこともできるのに満たされないと感じている人は、心のどこかに不安がある。自分が安心できるためには、周囲の状況を察知してうまくやる必要があった。自分の心に蓋をする必要があった。しかし、いつまでも物事を着実に積み上げても、誠実さを保っても、自分は大丈夫だと思えなければ満足しない。

それは、囚われが思考と行動を制限しているからである。

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