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医者の不養生

医者の不養生という言葉がある。人に休むことをすすめる医者が、自分が休まず身体を壊すようなことだ。正しいとわかっていながら、自分では実行しないことの例えで、広辞苑では次の通り説明されている。

○医者の不養生いしゃのふようじょう
ひとには養生をすすめる医者も、自分は案外いい加減なことをしていること。また、理屈のよくわかっている立場の人が、自分では実行をしないことのたとえ。儒者の不身持。坊主の不信心。

私は日頃、休めば、頭を空っぽにすれば、エゴのない意欲が湧いてきて、それを取り組めば、自分らしいものを生み出し、結果もついて周囲にも恵まれ、より満たされるようになると語っている。私は現在休職中なので、休む時間がたくさんある。好きなことができる。そうして、気分のままに何かに取り組んでいるのだが、今一番夢中になっていることが、このnoteを書くことである。結論から言えば、noteに記事に書くことに夢中になりすぎて、肩や首が痛くなったという話だ。休むことを忘れていた。没頭してしまったという話だ。

首や肩が痛くなったことに気づいたのは、下を向くことがなんだかしんどくなったためだ。記事の一番上の絵は自分で書いているのだが、これはiPadで書いている。その時は机にiPadを置いて書くのだが、下を向く。痛い。あれ?と気づいた。記事を書く時間はPCのディスプレイを見ながら書くので、下をみることがない。キーボードもブラインドタッチ、下を見ずに打つので、姿勢はいい。しかし、こちらの記事の自画像をせっせと書いている時に、下を向きづづけて痛めてしまった。痛めた結果、整体に行き、予想よりも全然凝っている。とコメントを頂いた。

この絵は、本当に久々に描いた絵であった。5年ぶりくらいだろうか?スマホに自分の写真を写しながら、iPadでそれを見ながら描いていた。稜線(色と色の境目)を追うこと、ネガスペース(モノとモノの隙間のスペース)を追うことを久々にした。事実を事実として捉えていく過程に癒された。夢中になった。ネガスペースについてはこちらに記事を書いているので参考までに。

安心すれば、集中してても自分の身体の変化に気づくよ、ということを提案しているのだが、安心しているのに気づけなかったという話だ。

夢中になるのは良いけれど、物事はほどほどにして休息しよう、と思った自分への戒めと、安心している人もこんなことがあるんだという見せしめも兼ねて。

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