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創造的でユニークな人

感性が豊かで、あれこれ創作することが好きな人がいる。思いやりがあり、人を応援して支えることが好きである。

私は30代のサラリーマンで、絵画教室に通っていた時期があるのだが、芸術を好む人はことタイプの人が多い。表現豊かで、上品な趣味を持ちユニークである。

しかし、このような人が葛藤する姿も見てきた。平凡を避けて特別な存在になろうとする。嫉妬しやすく、思い通りにならないと、感情的になりその浮き沈みが激しい。自分勝手になることもあり、被害者意識が強くして引きこもることもある。自分の想いにこだわり独占欲が高く、何かと依存しがちである。結果、周囲から距離を置かれたり、孤独感を強める。

人の囚われは本能的、感情的、論理的の3種類に分かれる。創造的でユニークな人は感情的なところに囚われがある。

世の中には、囚われがない人がいる。普通であることを受け入れて、無理して特別になろうとしない。意欲的に取り組むことは、周囲から特別視されるためではない。自分がやってみたいと思ったからやっている。感情の起伏が激しくなく、穏やかで落ち着いている。何かの思考に依存することなく、物事を体系立てて客観的に把握することができる。このような人は頭の良い人、統合的な人である。

ここで主張したいことは、創造的でユニークであることが良いこと、悪いことというわけではない。頭の良い人と言ったが、頭が良い、悪いではない。創造的でユニークな人が、何かうまくいかないな、イライラするな、落ち着かないなと感じている場合、今の時点からより満たされる状態があるということを紹介したい。

なぜ、創造的でユニークな人になったかと言えば、子供の頃に周囲が無関心であったためである。優越感や特異性を感じることによって、自分を守ってきた。自尊心を保ってきた。感情の起伏を感じることで、退屈でどこか満たされない日常に彩りを添えてきた。しかし、いくら求めるものを獲得していっても、より満たされないことに繋がっていく。乾いていく。

より周囲と良い関係を得たり、傷つかないようにするためには、囚われをなくすことである。囚われをなくすには、ゆっくりと休むことである。頭と体を筒のように空っぽにすることである。不安ではなくな理、安心する。自分は大丈夫だという感覚になる。現状を受け入れることを、平凡になるから嫌だと感じるかもしれない。しかし、何かとうまくいかない、孤独だ、特別になれないと感じている場合は囚われがある。囚われをなくすことは、自分の気持ちを向き合うことではない。自分の気持ちを受け入れなくても、自分は大丈夫と思うことはできる。感情を満たさなくても、満足する状態になれる。瞑想やマインドフルネスは、頭を空っぽにする手段の一つである。

平凡さを避けて、刺激的な日々に囲まれても、どこか満たされない。好きなことをしているのに満たされない。そう感じている人は、心のどこかで不安を感じている。周囲から何かをしないと関心を得られなかった。そのままでいていいと思えなかった。自分の身を守るためには、気持ちを高ぶらせる必要があった。しかし、どんなに特別な存在になろうとしても、満たされることはない。

それは、囚われが思考や行動を制限しているからである。



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