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生活 と 幸せ の両立

生活と幸せの両立をどうすればいいか。これには解はないし、これがベストということもないと考えているが、お金に対する執着をなくすことも一つの手段なのではないか、と考えている。

生活にお金は欠かせない。生きるだけであれこれ出費がかさむ。食費、家賃、水道代、光熱費。おそらく今の時代にはスマホ代も必要不可欠だろう。

お金に対する執着をなくすということは、お金を稼ぐことにムキにならなくていいということである。むしろ、お金を稼ぐことは一旦置いといて、"結果的に出費を減らす"ということを意識するのはどうか、ということである。

お金を稼ぐためには、労働する必要がある。居酒屋でバイトしたり、交通整備、コンビニでアルバイトして生活のためのお金を担保する。最初は新鮮に感じていた仕事も、毎日する中でどこか疲れたり、ちょっと休みたいなと思ったりする。しかし、シフトは組まれるし、ちょっと休むモノなら、シフトに入りにくくなったりする。流れを止めたり、また流したりと自分からやるのは大変である。それならば流されていた方が楽である。例え自分の身が傷つこうとも。

そんな中でどうにかこうにか得たお金を衝動的に使ったりする。頑張った自分へのご褒美、明日は休みだという気持ちよさからの利用、様々である。

その高揚感、大変わかる。周りが今日は使っちゃおうかなぁなんてウキウキしていたら、それに便乗したくなる。ちょっと心がトキメクものを見ようなら買ってしまう。

しかし、そのようなことを積み重ねていると、なぜかお金は貯まらない、なくなっているし、生活のために休めないの悪循環にハマっていないだろうか。疲れ、やる気がなくなり、弱っていく。もっとイキイキした自分でいたいと思い頑張るが、うまく行かない。そのうち何かと怒りっぽくなったり、何かとつっかかったりする自分がいる。不満が溜まっている。辛い。

冒頭に述べた"結果的に出費を減らす"というのはどういうことかと言えば、今の生活に満足するということである。この終わりのないトンネルの日々のどこに満足できるんだと思うかもしれない。このマラソンは疲れたと思うかもしれない。しかし、今に満足することはできる。今の置かれた環境に満足することはできる。

ひとりになって、口を閉じてその環境に身体を投げ出してみることである。ゴロンと寝っ転がってみることである。その寝っ転がった時、他にはばかられるものはない。あれこれ言ってくる人もおらず、静寂に包まれている。外に出て比較するから疲れる。スマホであれこれ青い芝居を見るから疲れる。自分と比較する。自分の芝は青くないと思ってしまう。自分の芝を青いと思うことに、何か比較する必要はない。よく見てみるといい。自分の芝は青い。他の誰がなんと言おうと、その芝は青い。自分がこれまで困難がありつつも、育ててきた、育ってきた芝がある。自分を大丈夫と思うことに、何もいらない。

今の環境に満足できると、お金を使ってアレコレやらなくても大丈夫になる。確かに、お金を払えば、ちょっといい感じのものが手に入るかもしれない。しかし、ひとりになれば、素朴だが安心できる世界が待っている。"結果的に出費を減らす"ことができる。

多くの人は、自分のこの暗いトンネルを抜けるために、何か他の環境を探す。お金をより稼ごうとする。お金を稼ぐことは、誰にでもできるが、時間がかかったりする、今、すぐに、とはなかなかいかない。生活と幸せの両立には、出費を減らすことが、軌道に乗りやすい。ただ、出費を減らすぞ!と意気込まなくていい。それはストレスだ。今の環境に満足するだけで、自分は今のままで大丈夫と思うだけで、物事はうまく周り始める。

お金に対する執着をなくすことは、生活と幸せの両立を保つ一つの手段である。なお、本筆者は、ある程度労働をしてお金も貯まり、貯金をきり崩す日々にはなっているが、より満たされるために、自分の気持ちにこたえる時間を多く取るという試みをしている。これが自分をどこに連れていくかはわからないが、どこにも連れて行かないかもしれないが、あれこれ書くことを楽しんでいる。満たされている。自分は大丈夫と思っている。あぁ、今日も豊かだなぁと思っている。


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