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惨めさを訴える人

自分はこんなに大変だったんだ、と語る人がいる。自分の人生は恵まれていないと思う人がいる。そのような人は人を愛せない。

大変な環境に置かれてきた人に語るなといっているわけではない。それが良い、悪いと言っているわけではない。ただ、今本当に大変なんだと語らずにはいられない人に、今よりも満たされる状態があることを伝えたい。

自分は惨めだと語る人の中には、身体は元気な人がいる。ものすごく元気に見える人がいる。声を荒げて敵意を向ける。憎しみが溢れている。何もできないが、自分がいかに大変かを語ることだけは精力的にできる。時にはヒステリックにもなることもある。

大変な状態になって、大変な環境に置かれたのも、周囲に仮面をつけた人に囲まれたからである。これは避けようがなかった。置かれた環境がそうだったのだから。その代償として、自身も仮面をつけた。囚われを持った。不安を感じるようになった。

仮面をつけた人は様々な形がある。道徳を振りかざして融通が効かない人もいる。何かとお節介を焼いてきて、操作的である人もいる。冷酷で何かと比較、競争させたがる人もいる。感情の浮き沈みが激しく、言動と行動に一貫性がない人もいる。どこか他人行儀で愛想がない人もいる。詮索好きで被害者意識が強い人もいる。場当たり的で協調性がなくどこか不機嫌な人もいる。無礼で命令的、高圧的な人もいる。ことなかれ主義で挑戦することを否定する人もいる。様々な囚われがある。

囚われがある人に共通していることは、不安を感じていることである。そして、不安を感じている人は、人に対して甘えてくる。冷酷で無視するような形であっても、それは甘えである。自分の意見が通らないから、これ以上傷つかないように無視する。自分を理解して欲しい。相手に甘えている。しかし、それが叶わないと思い込んでいるから、無視する。

仮面に囲まれると、自分をありのままで良しとしない。なにか要求される。搾取される。攻撃される。本当に大変である。自分が甘えることができない。甘えることができなくて、不機嫌になる。怒る。やる気が出なくなる。

今よりも満たされるためには、仮面をつけた人と距離をとることである。そして、自身も仮面を外すことである。自身の仮面を外すためには、口を閉じることである。口を閉じて、何もしないことである。頭も体も空っぽにすることである。

特別、人に話したり、自分の気持ちを書いたり、癒やそうとマッサージに行くなどしなくて良い。ひとりになってゆっくりと休むことである。頭と身体を空っぽにすれば、自分は大丈夫と思える。自然と意欲が湧いてくる。エゴのない意欲だ。こうしてやろう、ああしてやろうと思わない。その意欲に従って生活すると、満たされる。

満たされた状態になると、子供のようになる。何事も意欲的で目がキラキラしている。また、子供と異なるのは、物事を俯瞰して捉える点である。そして自身の性格が如何なる性格にも当てはまるようになる点である。世の中のことを一歩引いた客観的に把握するので、流れを見出すことができる。無理をしない。また、性格も外交的でもあり内向的でもあり、論理的でも感情的でもあるようなバランスの取れた性格となる。人付き合いは誰とでもうまくいく。好きなことに熱中して、結果的にユニークなものを作る。人が集まる。そしてまた好きなことをする。満たされる。何者にでもなれる。

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