見出し画像

賞賛されたい人

いつも何かしていることを好み、いい仲間と働きたいと思う人がいる。失敗を嫌い、時間を有効活用することに熱心で、成功を追い求めている。

私は大学で首席だった30代サラリーマンだが、学歴が高い人にこの特徴が多く見られるように思う。高学歴の人は、向学心や上昇思考が強く、計画や目標に情熱を捧げる。そして、私も賞賛されたかった人のひとりだった。

一方で、賞賛されたい人が苦しみ、周囲も困らせる姿を見てきた。自己中心的で、ひとりよがりとなる。チームで失敗に導きそうな人がいれば、能力の低い人や非生産的な人を許さない。人を道具のように扱い、実績や名誉にこだわる。

人の囚われは、本能的、感情的、論理的の3種類できる。賞賛されたい人は、感情的なところに囚われがある。

世の中には囚われのない人がいる。どのような能力であっても受け入れ、一緒にいることを楽しむ。子供のように無邪気に物事に取り組み、チームプレイを得意とする。自惚れて、自分の名誉や実績を振りかざすこともなく、謙虚である。できない人の気持ちにも共感し、明るくおおらかである。このような人は頭の良い人、統合的な人である。

断っておくが、賞賛されようとすることが良いこと、悪いことと言っているわけではない。囚われのない人を頭の良い人と紹介したが、これがいい、わるいと判断しているのではない。賞賛されたい人が、自分の感情を満足させたく、成功したいと思っても、どこか焦ったり、虚栄をはってしまったり、他の人によく思われたいのに結果が出ない、生きづらい、困難だと感じている場合に、今の状態よりも、もっとイキイキと過ごせる状態があることを伝えたい。

なぜ、賞賛されたいと思うようになったかと言えば、いい成績や聞き分けがいいことをばかりを褒められてきたからである。成功体験を積み重ねた結果、周囲からの注目をそれでしか得られなくなった。そのままでいいという形の接し方をされなかった。認められるために努力をしてきた。自分を成り立たせていた。しかし、自分の気持ちはどこかに置いてきた。何か周囲からの評価を愛情だと思うので、それがないと、不安になる。焦る。得られない時はどんどん弱っていく。

これ以上虚栄を張らずに、色々な人とうまくやれるようになり、生活に張りがあるように感じるようになるためには、囚われをなくすことである。囚われをなくすためには、こうしなければならない、ああしなければならないと型をつくってきたことを手放すことである。手放すためには、休息することである。ひとりになることである。ただ、これは充分に時間を取って休め、人と会うな、孤独となれと言っているわけではない。今の状態もある状態の一つと認識できるようになることを言っている。ある状態の一つと認識できるようになると、安心する。今の状態を良いも悪いもなく、緊張するでもなく、リラックスするでもなく、ただ、一つの状態と把握する。これは、自分は大丈夫だと思うことに繋がる。満たされる。瞑想やマインドフルネスは、この手段の一つである。

どんなに成果をあげても、満足しない。努力をしても焦るような人は、心のどこかに不安がある。まわりの人に、何かすることでのみ、いいねとされた。無条件で応援されることはなく、何か結果を出すと応援された。そうした背景から、表舞台に立ち、成功者になろうとしてきた。しかし、いくら頑張っても、次々と実行しても、満たされることはない。

賞賛されたい人は、囚われからどんどん自分を追い詰めていく。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?