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78年前の母のこと

今日は終戦記念日
わたしの母は戦争経験者

母は古い繁華街近くの商店の娘だった

近所に食品工場があり
爆撃がくるかもと
市内の市街地から離れた土地へ
疎開した

「とにかく食べるものがなかった」

白米を愛していた母には
とても辛くてガリガリだったらしい
戦争の再現ドラマを見るたびに
ふくよかな子役を見ると
こんな子はいなかったと
いつも言っている

配給品だけで食料が足りるか試して
命を落とした大学教授がいた
という話も良くしていた
身の回りのものを駆使して
家族5人の食料を用立てていたようだ

「こんなもので勝てると思えなかった」

祖父は戦前に貿易船に乗っていたらしい
世界各国を見てきた祖父には
この戦争の結末は
ある程度予想していて

子供達にもそれを話していたのだろう
小学校での竹槍を使った訓練に
母が思っていたのは先ほどの言葉

8月15日
疎開先で朝から川遊びをして
お昼に帰宅すると
大人が集まって泣いていた

祖父から
戦争が終わったと聞かされた
その後、家族だけになると祖父が言った

「これで夜に電気をつけて寝られる」

叔父は冗談めかして
祖父は非国民だったからと言っていた

確かに当時の一般的な感覚からすると
ズレていたかもしれない

それから程なくして
母は自宅に戻る

戻れたのから家屋は爆撃の被害から
逃れたのだろう

その後、強く覚えているのは
叔父が進駐軍の後ろをついて周り
チョコレートをもらっていたこと
自分は怖くてもらえなかったこと

進駐軍のいる場所は
塀に囲まれていたけれど
隙間から覗いたら
食卓に磨かれた銀食器が並んでいたこと

どれも小さなことかもしれないけれど
小学生の少女が見た小さな戦争体験

わたしも忘れないように記録しておく


今日は台風接近の可能性を考えて
勤務日を変更した

朝ごはんをのんびり食べて
仕事いけたなーと思って
猫かわいいとながめて
ゴミ出すのめんどいと思って
スマホを持ってゴロゴロしている
なんと平和なんだろう

平和な世の中がずっとあるのではなく
平和でない日々があって
そこで命を落とした人や
生き抜いてきた人たちがいる
その時間があり今があることを
忘れずにいたいと思う


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