機動戦士ガンダムは現代の一般教養
教養とは
私が子供のことから好きな「機動戦士ガンダム」(ファーストファンダム)は、上記の教養の定義のように、見れば見るほど心の豊かさが養われると個人的に思っています。しかし、単純になんとなくガンダムを見ているだけでは、ガンダムに教養としてのエッセンスがどのように詰まっているかは理解しにくいかもしれません。
今日は一般教養として「機動戦士ガンダム」を見るため、この作品をいくつかのレイヤーに分けて、僕たちはガンダムから何を学べるかについて語りたいと思います。
この記事では、「ガンダム」と記述する場合はすべてファーストガンダムのことで、他の作品については「Zガンダム」とか「逆襲のシャア」などどの作品かわかるような呼称をします。
難しいこと抜きでガンダムを見るべき理由
機動戦士ガンダムが社会現象になったのは、1979年のオリジナルの放映の後のことで、1980年の再放送の時だったと思います。団塊ジュニア世代の最大のボリュームゾーンである私は、当時小学1年生でした。そして、ガンダムに熱狂したのは当時の小学生から大学生くらいまで幅広く、現在社会を動かしている層の多くの人は「機動戦士ガンダム」に1度は夢中になっています。
「通常の3倍で接近するザク」とか「赤いモビルスーツ」とかおじさんたちは会話の中で頻繁に出してきて、30代くらいまでの人にはこれが普通に通用してしまっています。
つまり、社会を動かしている人たちの多くは「ガンダムは皆があたりまえにみている」という認知の歪みを持っているわけです。世の中にはそういう人が多いと思えば、深いことを考えずにビジネスシーンでの1つの共通言語になると思って1度は見ておいた方がいいでしょう。
ただ、それだけ多くの日本人を惹きつけた「機動戦士ガンダム」には、見るに値するだけの理由がちゃんとあり、それはガンダムという作品の中に詰め込まれたメッセージ性にあると思います。次に、この作品のメッセージ性の読み解き方を少し解説していきます。
青春群像劇としてもガンダム
ガンダムでは、時々脇役の登場人物にフォーカスが当たるエピソードがあります。例えば、ホワイトベースを降りたときにカイ・シテン、例えばテキサスコロニーで兄と再会したセイラマスなどですが、多くの場合、フォーカスの当たった物語で淡く抱いていて希望のようなものを喪失し、そこをターニングポイントとして大人として歩み始めます。多くのキャラクターが少年・少女時代に青春の幻想をみて、それが幻であることを知って大人として成長する群像劇が機動戦士ガンダムです。
28話「太平洋、地に染めて」は屈指の銘エピソードでした。ネタバレなしでは詳しく語れませんが、カイはこの物語で過ちを犯し大切なものを何かを喪失してしまいました。カイ・シテンの青春の物語はここで終わり、以降大人としてふるまうカイの物語はガンダムの中では語られることはありません。
セイラさんやミライさんなどにもこのような物語があり、主役のアムロやシャアには、もっと多くを失いもがき続ける複雑な成長の物語があります。
実は、スポンサーが玩具メーカーであるガンダムは、おもちゃを売るためにに戦闘シーンが毎回描かれるのですが、戦闘シーンを抜きにすると、こういった少年・少女の挫折と成長の物語としてつながるように作られています。
ここを、自分なりに様々な解釈をしながら物語の深みを理解していけるガンダムは青春群像劇として優れた文芸作品だと私は思います。
青春といえば恋愛ですが、恋愛についてもガンダムは語られています。そして、恋愛の先にあるのはセックスですが、子供向けの番組でそこをはっきり描くことはできません。しかし、匂わせがあったりする点もガンダムの面白いところです。例えば、マチルダさんのところから浮かれた気持ちで部屋に戻ってきたアムロの部屋の前で待っているフラウ・ボウのシーンは、フラウがコートを羽織っているという演出で何かをに匂わせています。
このシーンだけ見て、彼女がセックスを誘おうとしていたかははっきりしないのですが、富野監督はこのコートの下は「裸か裸に近い状態」と後に語っていたそうです。ガンダムの特徴としては、描きすぎず視聴者の理解に任せるような表現が多く、そのため様々な考察ができるので、その辺りが文学的だなと個人的には思っています。
理系の人は絶対見ておくべき優れたSF設定
ガンダムの世界では、有人で操縦する人型のロボットが戦闘をします。なぜ、有人の人型のロボットが戦うかというと、そうしないとおもちゃの企画が成り立たないからなのでしょう。ガンダム以前のロボットアニメは当然のように巨大ロボットと主人公が出会って物語がスタートします。しかし、ガンダムは違います。巨大ロボット同士で戦わなければならない必然性がSF設定により納得感のあるものとなっています。それがガンダムを知らない人でも知っているかもしれない有名なSF設定「ミノフスキー粒子」です。
ガンダムの世界では電波が無効とされるミノフスキー粒子の発見によって、宇宙空間にて有視界戦闘が行われるようになったため、接近して格闘も行える人型の「モビルスーツ」が戦局を大きくかえる兵器となったわけです。
この様に、ガンダムには一見荒唐無稽になりそうな物語を納得感あるものにするための様々なSF設定がなされており、それはある程度理科系の知識があると、一層楽しめるものとなっています。
例えば、モビルスーツの動力は核融合エンジンという設定になっています。モビルスーツの核融合の燃料として使われるのはヘリウム3という設定になっています。ヘリウム3は木星でできることからガンダムや続編のZガンダムなどでは木星帰りの人物が登場します。何もしらないと「なぜ木星?」と思ってしまいそうですが、木星でヘリウム3を採掘しないとガンダムの世界は成り立たない構造になっています。
ガンダムの世界ではなくてはならない「スペースコロー」も、実は70年代の物理学者「ジェラード・キッチェン・オニール」が考案したシリンダー型のスペースコロニーが元ネタのなっており、当時の最先端の科学が物語に反映されています。
ジェラード・キッチェン・オニールの考えるスペースコロニーは地球と月の重力の均衡している5つのラグランジュポイントに建造するというもので、ガンダムの世界のコロニー群も各ラグランジュポイントに建造されている設定で、ジオン公国の本拠地であるサイド3は地球から見て月の裏側にある最も遠いラグランジュポイントにあるという設定になっています。ガンダムの世界の宇宙の地図も何気なしに聞き流してしまいそうな部分ではありますが、理科系の知見に基づいてすごく綿密に寝られており、これを読み解いていくのもガンダムの楽しみ方の1つでしょう。
因みに、「逆襲のシャア」で登場したマスドライバーもオニール氏のアイデアだったりします。
リーダーシップを学べるビジネス書的な物語
ガンダムを知らない人でも知っている名セリフ
「親父にもぶたれたことないのに」
のシーンで主人公アムロの顔を2度もひっぱたいた人物ブライト・ノアは、チームリーダークラスのリーダーシップを学ぶのに良い教科書になると思います。弱冠20歳で半人前の見習い将校だったブライトは、周囲の将校の戦士によってやむなくガンダムの母艦であるホワイトベースの艦長代理となってしまいました。そんな彼は、戦局や地球連邦の無能な上層部の命令で常に難局に立ち向かわなければならなかったわけですが、その行動からリーダーとしての立ち振る舞いを学ぶことができます。
「親父にもぶたれたことないのに」にしても、生きるか死ぬかの局面で駄々をこねる部下がいる中でのリーダーの立ち振る舞いが問われたシーンです。2度殴る流石には現在の感覚でいうとパワハラだし舞台は軍隊という特殊な組織なのでマネしちゃいけないことですが、厳しく指導すべき時は恐れずに厳しく指導するということをやっています。そのうえでブライトはアムロに、
「それだけの才能があれば、貴様はシャアを超えられる奴だと思っていたが…残念だよ」
と伝えます。厳しい言い方ですが、ちゃんと褒めているわけです。アムロはこの言葉で自分がなぜガンダムのパイロットという役割を求められているか理解します。ポイントとしては、自分の立ち位置を相手にしっかりと理解させたところにありますが、このシーンから有能だけど困ったチームメンバーとの向き合い方を知ることができるわけです。
他にも、ブライトはチームリーターとして優れた行動を多く行います。どのような難しい状況でも、そこを打破して成果を出すという1点に集中すること、絶対に成功する保証がないリスクのある決断も行える勇気、厳しいだけでなく仲間への思いやりもしっかりと持つこと、様々なリーダーとしての立ち振る舞いを学ぶことができます。
そして、チームリーダーよりもさらにハイレベル(高い職位)なリーダーシップを学べる人物もいます。それがシャア・アズナブルです。彼はかなり拗らせた人物なので真似してはいけないポイントも多々ありますし、高官なのに現場に下りすぎる悪い癖もありますが、それが許されるだけハイクラスのリーダーとしての成果を上げています。
シャアが最も優れている点は、常に戦況を広い範囲で考えて行動します。自身がコントロールできるリソースが限られているときは、他のリソースも活用しながら目的の達成を目指しますし、作戦が失敗するリスクも考慮して次の手を打ちます。最もわかりやすい例でいうと、第5話「大気圏突入」では、敵が最も嫌がるタイミングで奇襲を行いつつ、奇襲で敵を討ち漏らした対策として大気圏への侵入角度を変えて自軍の勢力圏へ誘導するという二段構えの作戦を実行しました。
この時のシャアの名言
「戦いとは、いつも二手三手先を考えて行うものだ」
という言葉は、組織のトップレベルの層のリーダーには常に心掛けて欲しいところです。
更にシャアが優れているところは、目先の戦況以外にもザビ家内の対立関係など自軍内の政治を見ながらうまく立ち振る舞っています。それが1つの作戦が失敗しても次の行動につながっている点や個人的な目的であるザビ家への復讐にもつながっています。こういったシャアの視界の広さや的確な判断力、リスクマネジメントに関しては、役員クラスのビジネスパーソンのケーススタディの教材として素晴らしいと思います。
ケーススタディの教材として優れているという点で、ガンダムには他にも多くのよい素材があります。マ・クベ大佐、ドズル中将は最終的に敗軍の将となるリーダーですが、実はとても優秀なリーダーであることが垣間見れるシーンを紐解くと良い勉強になります。
リアルな戦争を描く反戦映画
ガンダムは子供向けの戦争アニメとして成立するギリギリのラインで、戦争のリアルが描かれています。その中には第二次世界大戦当時の日本への批判が色濃く含まれています。
まず、ガンダムのスタートは、ジオンのザクにサイド7が襲われるところからスタートし、多くの民間人が巻き込まれて犠牲になります。これは太平洋戦争末期の空襲の悲惨さを描いたもののような気がします。
物語の多くは、ホワイトベースのクルーが地球連邦軍の無能な高官の失策により渦中に巻き込まれて戦うという構造なっています。素人集団であるホワイトベースクルーは赤紙で召集されて戦地へ行くことになった若者のメタファーではないかと思います。そういった素人集団の中で人望のあった人たちが次々に戦死することで戦争の残酷さが描かれています。特に苛烈だったのはオデッサ作戦へとつながるユーラシア大陸中央での戦いです。物資に苦労知るシーンが描かれていますが、これは太平洋戦争の南方戦線の死者の多くが餓死だったという兵站さえ考えずに戦線を拡大した関東軍への批判が含まれていると思います。
戦争を描くという意味では単に反戦を色濃く出すだけでは娯楽としては面白いものではありません。戦況の変化を紐解いていくこともガンダムの面白さの1つですが、そんなガンダムの世界の戦況は戦争映画としてリアリティを持たせるためにアメリカの南北戦争を参考にしたとも聞いたことがあります。
ニュータイプとは何か?
ガンダムファンの誰もがニュータイプって何なんだろう?と様々な考察をしたはずです。これはその後のZガンダム、ZZガンダム、逆襲のシャア、更に富野作品から離れてガンダムUCなどでも語られ続けているテーマです。
このニュータイプにこそ富野監督の作家性が詰め込まれており、この概念があるからこそガンダムが文学的で教養を深める作品になっていると思います。
私の個人的な解釈でニュータイプというのはスピールバーグあたりのメタファーではないかと思っています。富野監督はご自身をシャアアズナブルという仕事ができるが本当のニュータイプになれなかった人物として描いています。
そんな富野監督は本来はアニメではなく映画を作りたかった人で、自分も環境が与えられればスピルバーグになれるといった発言もされていたことから、優秀な能力を持ちながらもスピルバーグのような映画監督になれなかった自分というのを当時はニュータイプといいう言葉を使って描いたのではないかという解釈も成り立つと思います。これは私がやっている解釈の1つにすぎませんが、監督の生きざまのニュータイプというものを紐づけて解釈することでガンダムという作品の物語だけでは見えてこない様々な物語の理解のやり方ができます。その様々な解釈の余地を作っているニュータイプという概念は、作品を魅力的にしている要素の1つだと思います。
まとめ
この記事では、僕らが若いころ教養と思って読んでいた明治の文学作品のように、現在ではガンダムこそ若い人が教養として観ておくべき作品であるということを書く試みでした。その理由は、物語を通して様々なことを知ることができ様々な考察を行うことができ、結果として教養を深めることになるということでした。色んな要素を私の個人的な解釈を盛り込んで書いてしまったので、わかりにくいところや「そうじゃない」ってところも多々あるとは思いますが、自信をもっていえることは、
「機動戦士ガンダム」は皆さん必ず見て下さい。絶対に損はしません。
ということです。そして、若者とガンダム談義ができる日を楽しみにしています。
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