2024-05-28 メモ書きより

2024 5/28(火)AM10:58〜 職場にて(※職場で仕事から逃避しメモ紙に書いた内容です)
自傷の表現があります


久しぶりに自傷をしようと思い立ち、先日百均で買ったカッターナイフを開けた。リストカットをするには時期が悪いよなァ(半ソデの気配)と考えつつ、アームカットは痛そうだから嫌だなと思うなどした。
そもそも私はカッターでの自傷になれていない。というかやったことがない。大分昔、高〜大学生頃はカミソリで薄く皮フを傷つけていたように思う。その時も度胸がなくて、みみっちい地味な大きさの傷しかこさえられなかったんだ。あとらしい跡(痕…?)はよく見ないとわからない程度でつまらないなと変に覚めた目で見ている。けれど傷の凄惨さばかりが心の痛みを語るわけでもないことはとうに理解しているのであった。
深くは切れないので少し上から勢いをつけてトントンとたたくように切る。Gって偉大だ…。少しずつ腕に赤い線が浮いてきて、なんとなく 満たされないものがちょっとだけ楽になったような気がした。痛いのも跡が残るのもイヤ、だめ、とわかって、何故手首なんぞ切ろうというのか。それはやっぱりいつもの免罪符さがしなのであった。心の傷では休むに足りず、それがしゃくで悲しくて 他人に明かせる苦しみを探して身体を壊してしまうのであった。痛くないなんていうけれどそういう人たちは“ガチ”なんだろうな。私は“ガチ”になっていないのだろうな。

朝食を摂れずに薬だけのんで会社に向かった。お散歩バギーに載せられた園児たちが横断歩道で警察官に手を振っている、かわいいなと思った。
今日病院

会社のPCで劇症型溶連菌の記事を読んで腕の傷が急に怖くなりてきとうに消毒をした、ヒリヒリする、
寄進念慮を持ちながら死に方を選びたいの矛盾がすさまじい
眠くて字が溶けてきた。これくらい家でも眠かったらいいのに

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?