公立学校の未来①
「ごちそうさまでした!」と言ったあとすぐに、僕のところにきて「ひとくちちょーだい」と言う「ごちそうさま」の意味がわかってない長男に一口あげちゃう高司です。
#続けて次男もくるからあげちゃう
さて、今日は「公立学校の未来」について考えていきます。
何度かにわたり投稿していきます。
まずは、西川先生の投稿を読んでほしいです。
https://www.facebook.com/100001711434979/posts/3181584578575225/?d=n
これを読んでどのように感じましたか?
僕は一つ気づきがありました。
【▼偏差値はどこからきた?】
昨年の話です。
学年を組んだおじいちゃん先生=ドンキさんがよく飲みに連れて行ってくれました。
飲むといつも明治維新の話になります。
出会った頃は面白い考えだな~と思いながら興味深く聴いていました。
教科書に書かれている以上の内容をいつも語ってくれました。
話をするペースはゆっくりで渋い声なので、とても聴き心地がいいんです。
そのせいか、何十回と同じような話を聴いていると眠くなっちゃう僕もいました。
#お酒飲むとねむくなっちゃう
#北海道にいっちゃってさみしい
いつも一貫していることは
「富国強兵に向かって行ってきたことをなぜこの時代でもやっているんだ」
だと思います。
明治維新、外国との大きな戦争、高度経済成長、バブル・・・
ここで考えます。
その当時の幸せってなんだろう?って。
もちろん一概にこれとは言えません。
けど、僕が生まれたここ30年近くの幸せと言われるものは
「お金をたくさん持っていて、好きなものを食べたり、いきたい場所に行ったりできる。」
より便利で、より物質的豊かさが求められていた気がします。
おいしい食べ物は金額として高くて、海外に行くことも今でこそ多くの人が行けるくらい安い金額ですが、僕のおじいちゃんやおばあちゃんの頃はそんな安くなかったわけです。
お金が必要なんです。
そのために、「いい大学を出て、終身雇用が保障された大手の会社に入る」が合言葉になっていたのでしょう。
そこで求められるのが偏差値です。
機械のように言われたことができる人
機械のようにたくさん物事を覚えられる人
機械のように・・・
この辺を目に見えるように数値化したものが偏差値と最近は感じています。
※大雑把すぎますよね。髙司の戯言として優しいまなざしでご覧ください。
「偏差値をあげるぞ~!」
とみんながんばってきたわけです。
【▼今の幸せってなんだ?】
先人がそうやってがんばってきてくれたおかげで今の僕らがいます。
ただ、ここで僕らは考えないといけない。
偏差値で求められた人=機械のような人
は機械ができるようになった。
お金をたくさん持っていなくても、
ある程度の物質的豊かさは手に入れられる。
行きたい場所にも行ける。
そこで考える。
「幸せってなんだ?」
それこそ、レオナルドダヴィンチのように、「写真みたいな絵をかける人」が求められていた時代にカメラの登場で
「アートとはなんだ?」
と多くのアーティストが考え直したように。
今日はここまで。
全然公立学校の話にならない。
けど、ここから考える必要がある気がして、こんな内容になりました。
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