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2020年5月30日「いなくなること」

テラハ

テラスハウスに出演中だった木村花さんが亡くなった件が、連日ネットやテレビで報道されている。色々な人が色々なことを言っていて何が正しいのか分からなくなってくる。ただ、大好きな番組でもあったので、自分の考えも整理しておきたい。

木村さんが亡くなった直後、ネットやテレビでは「誹謗中傷は良くない」「想像力がない」という論調だったと思う。つまりは、誹謗中傷をした人達に対する批判だ。

「誹謗中傷は良くない」については、「そりゃそうだろ」と思った。そんなことは分かった上で攻撃してくる人がいるのが問題なんだ。戦争は良くないとみんな分かっているけれどなくならないのと一緒だ。事実として、木村さんの件以降も炎上するような話題はでてきているんだ。

「想像力がない」という意見について。ここで言う想像力とは、「リアリティショーと言いつつも、番組を面白くするために登場人物は戯画化されたキャラクターを演じているのだから、それを想像できない視聴者が悪い」という意味での想像力だ。言い方をかえれば、作り手の意図を汲み取れない受け手が悪いとも言える。これに対しては僕はあまり賛同できない。

テラスハウスにおける、作り手の意図を考えてみる。

特徴的なのは、番組冒頭に毎回提示される「台本はありません」という文言。つまりは「これから見せるVTRは、台本や演出のないありのままのリアルをそのままお届けしています」という印象を視聴者に与えている。

となると、作り手側にとって良い視聴者は「ここに出演している人たちは自分たちの意思で行動し、発言しているんだ」と思い込んだ人達ということになる。つまりは番組上の人格=現実の人格と思い込んだ人達。だから、番組内の人物の行動や発言の価値観が自分と違っていた時に、現実の人格を攻撃するという行動に繋がってしまう(もちろん全員ではない)。これは作り手側も分かっていたはずである。というか、演者の特異な行動や言動を強調して見せることで視聴者を扇動し、批判を含めた多くの反応を集めることで結果として番組が盛り上がる構造になっていたように思う。

現実の人格を攻撃することを推奨はしていなかったにしろ、そういった空気を作ってしまったことは問題があると思う。番組とは別にYouTubeで「山チャンネル」というコンテンツがある。内容としてはテラハの住人に対するツッコミや皮肉などで構成されており、それに対して”良い視聴者”によってコメント欄が盛り上がっていた。

さらに制作側は、番組内で収まらなかったサブエピソード(木村さんが批判される原因となったトラブルを掘り起こすような内容)をYouTubeにアップしていてる。それが今回の炎上をさらに活性化させる原因にもなった。

まとめると、作り手側はより没入度を高めるために、”台本の無い”リアリティショーという手法を使用しつつ、演者の特異な行動をピックアップするような編集をしていた。視聴者はそれをリアルであると信じ(若干疑いつつも)楽しんでいた。作り手にとっての”良い視聴者”は、SNSや山チャンネル等で演者の立ち居振る舞いについてそれぞれが持論を展開し、それが熱を帯びて炎上することもあったが、それによって番組がより盛り上がる構造になっていた。ということになる。

そういった視点に立った時、「想像力がない視聴者が悪い」という意見には賛同できないと思ったのだ。

最近になって今度は制作側に問題があったという論調になってきているように思う。真偽は分からないが、制作側の意思によって演者が動かされていたというような記事も出ている。

となると、そもそも番組自体作るべきでは無かったのか?という話になる。偉そうに色々書いたけれど、いち視聴者としては番組自体も山チャンネルもめちゃくちゃ面白いと思っていた。全エンタメの中でも最上位くらいに。さらに言えば100%では無いにしろ、番組上の人格=現実の人格とも思っていた。”良い視聴者”の一人だったように思う。今回のようなことがなければこれまで述べてきたようなことを考えようとも思わなかっただろう。それは大多数の人がそうだと思う。

木村花さんの気持ちを考えてみる。

僕も表現者の端くれとして、批判にさらされることもある。プロになった初めの頃、反応が気になって2ちゃんを見てみた。すると作品に対する罵詈雑言が並べられていた。といっても、作品に対する批判であって、僕自身の人格を否定するようなものではなかった。2ちゃん以外にもTwitterでエゴサをしていた時期もある。大多数は肯定的なものだったけれど、その中に1つでも否定的な内容があるとひどく落ち込んだ。それでも、それはこっちから批判を見つけに行って勝手に落ち込んでいるに過ぎない。それが直接のリプとなるとなると威力が増す。相手の熱量を感じてしまうからだ。逆の立場になって考えてみれば、気にいらない人に対して、陰口を叩くのと直接伝えるのではエネルギーの使い方が全く違う。だから、受け手もそれに応じてダメージを負いやすい。

木村さんの場合は、人格攻撃を直接、毎日100件以上浴びていたらしい。僕ならとても耐えられない。

木村さんの気持ちは想像することしかできない。インスタなどもリアルタイムで追っていたわけではないのでどのような心情の変化があったのかも分からない。だけど死んでしまったのは事実で、その理由は「生きるのが辛かったから」かもしれないし、「死をもって何かを伝えたかったから」かもしれない。

木村さんの死によって、ネットやテレビもその話題で持ちきりになったし、国もなんらかの対策に出るという話もある。それだけ自殺(とは断定されていないと思うが)はインパクトがあるし、人々の感情を揺り動かす力があるということだろう。となると、自殺は社会を動かす強力な最期のカードとして使うことができるという考え方もできる。

2ちゃんねる創設者のひろゆき氏は「自殺は間違い」と明言している。

今回の話で言えば、制作者や視聴者が木村さんを追い込んでしまったことは事実だけれど、だからと言って自殺を肯定したり死んだ人を神格化してしまうことは自殺者を増やすことになるのでやめた方がよい、ということになるだろうか。

番組出演者である南海キャンディーズの山ちゃんは、今回の一件を「一生かけて考えていきたい」とラジオで話していた。多分、本心なのだと思う。ただ、そこから距離がある人達はどうだろう。僕含め、この件が一過性のものとして消え去ってしまうことを危惧している。

ワンコ

先日、実家の犬(シロ)が亡くなった。朝方まだ僕が寝ているところに母が伝えに来た。死ぬ直前、普段鳴かないのに「わおーん」と鳴いたらしい。母は「お別れの挨拶だったのかな」と言った。

父、兄が穴を掘ってそこに動かなくなって固まっているシロをそっと置いた。兄が「シロに送る言葉を書いてやっぺ」と言ってタオルとマジックを用意した。僕は「おつかれさま」と書いた。そのタオルをシロに上に被せた。スコップで土を埋めるのを手伝った。出土されたデカい石を墓標にした。その石は白い模様がついた不思議な石だった。父は「シロにぴったりだ」と言った。

僕はシロと長い時間を過ごしていない。散歩も4、5回行っただけだ。だけど、ご飯をあげるときに嬉しそうにこっちを見て寄ってくる姿が好きだった。家の中から見えるシロの小屋を見たとき、いなくなったことを実感して寂しくなった。

電話

ドイツにいる友人とLINEで電話をした。僕が子供の頃は国際電話はめちゃくちゃ金がかかるイメージがあった。だけど今はLINEで簡単に繋がれる。その事実にびっくりした。文明の利器。ドイツはドイツでコロナの影響で大変みたいだ。色んな話(主に僕のネガティブな感情や話題に対する励ましが大半だったけれど…)の中で、「孤独」について話した。僕は孤独だと思い込んでいた。だけど「電話したいと言ってくれて嬉しかった。そう思っている人はたくさんいるはず」と友人は言った。僕が勝手に孤独だと思い込んでいただけなんだ。

あと個人的に、国境を車で移動できるという話を聞いたときに衝撃を受けた。空港での厳重なチェックを想像していたからだ。ちなみに僕は海外はグアムにしか行ったことがない。

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