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2020年5月10日「僕の障害」

所謂病名的なものは無いかもしれないしれないけれど、僕は障害があると思う。本当は軽々しく障害って言葉を使うべきでは無いのかもしれないけれど。

まず、確実にHSPではあると思う。ハイリーセンシティブパーソン。最近よく聞くようになった症状だ。とにかくあらゆることに敏感だ。特に音。映画館では隣に人がいるだけでもうキツイ。ハズレだなと思うしかない。自分より前の列に1人でも人がいるとその人の一挙手一投足が気になって映画に集中できない。出来れば同じ列にも誰も座って欲しくない。後ろに誰かいる分にはなんとか耐えられる程度。だからいつも前から2列目とか3列目を取る。

前住んでいたアパートでは上の階の住人の生活音が耐えられなかった。常にうるさいわけでは無いのだけどいつ次の「ドンッ!」が来るかと思うと心臓がキュッとなる。

次に視線。人の視線が怖い。特に半強制的に向かい合わせになるシチュエーションが苦手だ。高校生の頃は電車で座った時に前に座った人の視線が怖くて心がザワついた。当時、真剣に悩んでいて進研ゼミの赤ペン先生に相談したくらいだ。たしか「思春期には誰にでもあることです。いずれ克服できますよ」的な返事だった気がする。確かに、あの頃よりは大分改善されたけれど今でも気にはなる。

例えばファミレスに行ったとき。

イラスト

雑な絵で申し訳ないけれど、このような状況が本当に耐えられない。分かってくれる人もいると思う。僕だったら即座に反対側の椅子に移動して、視線がぶつからないようにする。

アイドルのライブやフェスに行ったときなんとなく全力で楽しめない。アイドルと自分との関係性よりも、他のファンと自分との関係性を意識してしまうからだ。自分が楽しむことよりも、他者から見た自分が気になったしまう。だから、本当に心から好きな曲の時だけストッパーが外れる感じ。アイドルだと独特のコールや、振りやジャンプのタイミングなんかがズレたらどうしようという恐怖もある。結果、地蔵になる。フェスなんかはほとんどがなんとなく知ってる曲ばかりだから、その状態でノリノリになろうとしてもにわかであるのがバレるのが怖くてできない。


自分から「僕ってコミュ障なんですよ」っていうのはなんかダサいという風潮が最近あると思う。だから僕もあまり言わないようにしているが、事実としてコミュニケーション能力は低い。

僕は自分で言うのもなんだけど勉強はそこそこできた。言い方を変えると決められたルールに従うことは得意だった。勉強にはルール(正解)があって、それの解き方を教えてもらえればあとは努力次第でなんともなる。逆に「自由」が苦手だった。「好きにやっていいよ」と言われると身動きができない。数学でも公式通りに計算することは出来ても、新しい解き方や自分なりの考え方を生み出すのは苦手だった。

なんの授業だったか、俳句を考える機会があり、何かしら書かなくてはいけなかったのだけど僕は何も書かずに提出した。多分いくつか頭に浮かんだけれでも「正解」が分からないから書けなかったのだと思う。

恋愛もそうだ。正解が分からない。恋愛に正解なんてないよと言われるかもしれないけれど、僕からしたらみんな自然と恋人ができているように見えた。僕も恋の方程式(!)を解けると思っていたのだけど、未だに解けないままだ。

これからIT化が進めば、僕のような人間はさらに凡庸な存在になってしまうのではないかと思う。学生時代までは勉強ができればギリ存在価値があったけれど、社会に出たら勉強ができることよりもコミュ力が必要とされる(と、僕は思う)。

計算は電卓で出来るし、知識はグーグルで検索すれば出てくる。そうなると、より人間的は部分、つまりコミュニケーション能力であったり想像力(創造力)の方が重要になってくる。そういった意味では漫画家という職業は特殊技能ではあるかもしれない。

だから、パソコンやスマホがあれば解決できるような勉強は必要ないと思う派だ。それよりもコミュニケーション能力を鍛える授業をして欲しかった。当時の僕だったらそんな授業絶対嫌だけれど。

コミュ力が高ければ、人間関係におけるストレスも減るだろうし、若いうちから友達や恋人が出来るだろうし、リア充や社会を恨んだりしないだろうし、性的倒錯もしないだろうし、つまりは真っ当な生き方ができるわけで、ひいては犯罪抑止にもなるんじゃなかろうか。

さらにやっかいなのは僕は孤独が好きかと思っていたけれど実はかまってちゃんだということだ。誰かと繋がりたい欲求がある。だけど、プライドが高いから自分から絡むのは苦手だ。そうはいいつつ、誰にも相手にされないのはそれはそれでキツイ。だから完全な一人は耐えられない。それは一人暮らしを長く続けてそう思った。今は家族と一緒にいるからなんとか持ちこたえている。これで一人暮らしでなおかつ漫画の仕事も無い状態だったら本当にやばいと思う。

エーリッヒ・フロムの『愛するということ』という本を読んだ。古い本だが名著らしい。

僕には難解だった。だけど「愛されるよりも、まずは愛してみろ」ってことだけは分かった。つまりはキンキキッズは正しかったわけだ。愛されるよりも愛したいマジで。だけど今の僕は一方的に愛されたい状態なわけで、フロムとキンキの教えを無視してしまっている。

最後にちょっとだけ恋愛話。

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