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2020年5月5日の日記「僕がアナログで描く理由」

最近朝起きる時間が不規則だ。8時ぐらいに起きることもあれば、8時ぐらいに寝ることもある。おそらく夕食の後に小一時間寝てしまうことが原因だと思う。

朝起きると朝食が用意されている。当然ながら家族とは時間がずれるので一人で食べる。今日は赤飯が用意されていた。

あれ…?おかずは…?

いや、用意してもらっているだけでも有難いことなのだ。感謝しなければ。

最近触れたエンタメは何だろう?自粛でも自粛じゃなくてもあんまり変わりが無いように思う。周りに娯楽施設も無いし、飲みに行くことも無い。となるとやはり自宅でYouTubeやネットフリックスを見ている。

韓国系ドラマがネトフリで流行っているみたいだけど、1話だけ観て脱落してしまった。なのでちょいちょい日本映画を見ている。最近観て良かったのは、『葛城事件』『八日目の蝉』『37seconds』あたり。やっぱり僕は誇張した演技の作品よりも、リアリティのあるものが好きみたいだ。

いや待てよ…。今一番続きを楽しみにしている作品はなんだ…?

『M~愛すべき人がいて~』だ!

リアリティもクソも無いけれど、これはこれで楽しめる。というかめちゃくちゃ面白い。浜崎あゆみの自伝をもとにしてるから当然浜崎あゆみが主人公なんだけど、自分のことを「アユ」って言うのは分かるけれど、周囲の人間も「アユ」って呼ぶのも地味に面白い。「あなたがアユね?」的な。

とりあえず、1話だけでも観て欲しい。最初は臭い演技をバカにして観ていたけれど、そのクサさが癖になってくるはずだ。今では普通に感情移入して、セリフに感動している自分がいる。


漫画の画風について考える。

今時代はデジタル化の波が押し寄せていて、アナログで描いている人の方が珍しいかもしれない。もちろん統計を取ったわけでは無いので分からないけれど、体感として。

僕は今の連載をアナログで描いている。アナログとは、いわゆる紙とペンで描いているのをイメージしてもらえればいいと思う。僕は謙遜無しに絵が下手だと思っている。どこを基準にするかによるとも思うけれども、一般受けする絵では無いと思う。

僕はこれまで描いていた読み切り作品は基本的には一部の例外を除いてアナログで描いていた。読み切り作品を何のために描いていたかと言えば、投稿するためだ。32ページの1コマ1コマに文字通り魂を込めて描いていた。審査する人の目に留まって欲しいからであり、受賞したいからであり、漫画家になりたいからである。

ふと自分が昔描いた作品を見返すと、技術は稚拙だけれど愛おしさが込み上げてくる。それはたぶん一生懸命描いた記憶が蘇ってくるからだと思う。

初めての連載はデジタルで描いた。その一番の理由は楽をしたいからだった(デジタル=楽、ということでは無いし、デジタルを否定するつもりもない)。なぜ楽をしたいと思ったかと言えば、それまで1コマ1コマ丁寧に描いていたけれども、読む人はそんなに背景なんて見ていないのでは?という疑惑が自分の中にあったからだ。

商業誌を立ち読みしてみる。背景がスカスカでも人気の作品はいくらでもあった。

電車でスマホで漫画を読んでいる人を多く見かけるようになった。もちろん人にも寄るけれど、1Pをものの数秒でスクロールされるのを見ると『数時間かけて描いたであろう絵が一瞬で…!』と、なんとも言えない気持ちになる。だけど当然ながら読むペースも、どこに注目するかも読者に任されている。自分だって、数十億円かけて作られたであろう映画を冒頭の数分で観るのをやめてしまうことだってあるのだ。どれだけ時間やお金をかけたは受け手にとってはどうでも良くて、面白いか面白くないかが全てだ。

これからさらにデジタル化が進めば、背景の価値はもっと下がるかもしれない。例えば、現代を舞台にした漫画だったら写真をそのまま使えるかもしれない。今は写真から線画抽出する技術があるけれど、それが一般化すれば1クリックでだれでもリアリティのある画面が作れるようになるかもしれない。

でもだからこそ、アナログの価値が増すんじゃないかとも思っている。

僕が自身の過去作品が愛おしいように、読者として他の作品を読む場合においても最新作よりも初期短編集に惹かれる場合が多い。それは「昔は良かった」的な懐古厨的なことではなくて、無駄なカケアミや無駄な背景の描き込みに萌えるのだ。それは多分、かつての自分のように「雑誌に掲載されたい!」「人を感動させたい!」という情念のようなものが伝わってくるからだと思う。それがやがてプロになり、洗練されてすっきりとした絵柄になる(もちろん例外もあるけれど)。その変遷は読みやすさや効率化を考えれば必然であり、正解ではあるのだけど、そこにどこかもの悲しさを感じることがある。

僕がもう一度アナログで描いている理由は、その一見無駄と思えるような作業をもう一度やってみようと思ったからだ。数秒で読み飛ばされたとしても何か残るものがあると信じている。

そう言えば最近、都留泰作さんの『ナチュン』という作品を読んでいる。

驚異的な描き込みでクラクラしてくる。一体どれほどの時間をかけて描いたのだろう?絵柄的にアシスタントを使うのは難しそうだからひょっとしたら一人で描いたのだろうか?だとしたら偉業過ぎないか?でもアフタヌーンってことはそれもありえそうだ…。漫画を読んでワクワクしていた頃の感情を呼び戻してくれる作品だ。

ちなみに都留さんは『ムシヌユン』というぶっ飛んだ作品も描いている。

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漫画家として、似顔絵師として、フリーランスとして、30代男としてこの時代を生きる人間ドキュメント。日々考えていること、恋愛やお金に関するこ…

夕飯が豪華になります。