
私たちには諦められない夏がある。
2020年、新型コロナウィルス感染症拡大を受け各地の主要な大会が中止に追い込まれるなか、新潟県燕市のアーチェリーショップ、DYNASTY Archery<ダイナスティーアーチェリー>代表・加藤さんは
・練習効率を上げるトレーニング器具、バックテンションリマスターの発売と学生割引の実施
・耐久性の高いアローマットの開発
・近射で楽しみながら上達できる練習“ダイナスティーチャレンジ”の提案
と、アーチェリー界を盛り上げるアイディアを次々と実現させてきました。
しかしながら、いちショップの立場からできるアクションには限界があります。選手たちのモチベーションを維持し、業界を盛り上げるには、今一つ決め手にかけるとも感じていました。
そんなとき、以前より親交のあった竹倉さん(サマーシュート実行委員長)から、
「学生のために、失われた全国大会の代替試合を立ち上げませんか」
との提案を受けました。
こうして立ちあがった企画に佐々木淳二さんと大日方海さんが加わり、チームの中心メンバーがそろいました。
実行員会紹介
加藤健資(写真真ん中)29歳 実行委員長 DYNASTY代表、元新潟県代表、高校生より全日本大会に出場。2013年で現役を引退、2019年にUniTubeを始める。
竹倉寛敦(写真右端) 実行委員長 株式会社stand up A guy’s代表取締役、高校生当時、インターハイ、全国選抜、国体などに出場。2019年から16年ぶりにアーチェリー復帰
佐々木淳二(加藤の右グレーの服)副実行委員長 アートディレクターとして勤務する傍らコンパウンド部門の選手として活動中。全日本選手権3位、全日本社会人準優勝、リモートアーチェリー大会の初代チャンピオン。
大日方海(写真左後ろ茶色の服)サマーシュート実行委員 23歳 長野県国体代表、高校生よりアーチェリーを初め、高校、大学共に多くの全国大会に出場。現上田西高校アーチェリー部コーチ
「決まったからにはどうにか実現させる」
その後、企画の立ち上げから企画書の作成、クラウドファンディングの準備までおよそ5日という異例の速さで進んでいき、1週間後にはYouTubeチャンネルにて企画概要の発表となりました。
企画の立ち上げから発表まで、とんとん拍子にも見えますが、大会の成功について確信はありましたか?
竹倉:確信は微塵もありませんでした。ただ、決まったからにはどうにか実現させる、というだけで。意地みたいなものですね。
加藤:その時点ではサマーシュートが上手くいく可能性なんて全然なかったですよね!(笑) そもそもやれるの? っていう。
新しい”アーチェリー”のカタチ
これまで新型コロナウィルス感染症の影響を受けるなかでも様々なアクションを起こし、また多くの話題を戦略的に作ってこられましたが、どこまでの構想が頭にあったのでしょうか?
加藤:戦略……、そもそもの僕のとこのダイナスティーのスタンスとしてあるのが『おもしろいことを、誰よりはやく』ということ。そしてなにより、選手に最前線で寄り添う存在でいたい。
これが僕らのやりかたであり、生きる道なので、戦略というよりは、他の業界よりもはやくやる。誰よりもはやくやって、その上でクオリティは絶対に妥協しない。あのとき僕の頭にあったのはこれだけでした。竹倉さんはどうですか?
竹倉:そうですね。スピードについては、確かにこだわりました。あとは、
スポーツとは結び付きの弱い業界や、アーチェリーを知らない多くの人たちにも届けたかったというのがあります。
だから、プレスリリースを通してメディアに取り組みを知ってもらったり、これまでアーチェリーと関わりがなかった企業に協賛していただくことによって、選手にとっても『これまでの大会とは一味違うぞ』と認識してもらう。このあたりまでは戦略として考えてましたね。最終的にはそれ以上に大きなことになって、実は私たちが一番びっくりしてるんですが(笑)
佐々木:はやく学生のためのデカイ大会をやる! という勢いで動いていたので、戦略という戦略は……(苦笑)
ただ、一般の企業様からご協賛をいただく以上はビジネスですから。私はデザインの分野を担当していたのですが、ご協賛いただくにふさわしい大会として発信できること、参加される選手に新しい体験をしてもらえること、これについてはかなり意識していました。
印象とは裏腹に、実際はかなり手探りの状態でもあったと
竹倉:そうですね。(大会の成功について)確信はなかったです。
ただ、加藤さんの言う通り、(スタッフの)みなさんの能力が非常に高いチームで、ひとつひとつの仕事を思った方向にストレスなく進めていけた。そういう環境があったので、確信はない一方で『失敗する』という感覚はなかったですね。
「皆に絶対に成功させる!という強い意志があった」
かなりの仕事量だったかと思いますが、スタッフどうしの衝突やトラブルなどはありましたか?
加藤:トラブルは数知れずありましたが、衝突とかはなかったですね。強いて挙げるならフードコートの設置を反対されたのと、サブアリーナの開放で少し意見が割れたくらいです。あとは事務局(竹倉さんが代表を務める会社)の女性スタッフに叱られないよう、誤字脱字の添削を必死にやってました(笑)
竹倉:やめてください。私が叱られます(笑) フードコートとサブアリーナについては他ならぬ私が反対しましたね。保健所申請にかかる時間や人手不足、予算等がその理由でしたが、結果的にはやってよかったと思っています。加藤さんの意見が正解でしたね。
佐々木:その割には誤字脱字が結構あったような……(笑) 皆に『絶対に成功させる!』という強い意志があって目指す方向が一緒でしたから、多少意見の相違はありつつも、大きな衝突はありませんでしたね。
「成功したのは全員が自分の限界に挑んだから」
チームからは時折「苦しい」という言葉が聞こえてきましたが、特にどういったことが苦しかったですか?
加藤:苦しかったことは滅茶苦茶たくさんありました。まず、このコロナ禍に人を集めることの是非についての意見をたくさんいただきました。TwitterやYouTubeの動画コメントに否定的な意見をいただくこともありましたし、実際のところ僕自身、こういう(コロナ禍の)先の見えない状況で企画を進めていってもいいのか、という考えは常に頭の片隅にありました。
開催が目前に迫っても、想定していたよりも選手が来られない、学校からの許可が下りない、っていう声が次々上がって……。スピード感を重視したがゆえに関係各所への連絡や手続きの上での粗さが徐々に目立つようにもなってしまい、様々な方にお叱りの言葉をいただいたこともあります。その節は大変申し訳ございませんでした。
竹倉・佐々木:(うなづく)
加藤:そういった話で、ここでは詳しくお話しできないんですが、(大日方)海くんが相当に大変だったはずなんです。会場や備品や車両の手配から何から、なにより当日の視野の広さには本当に驚かされました。海くんがいなかったら早々に崩壊してましたね。
大日方:ありがとうございます。でもそれはみなさん誰しもに言えることですよ。本当にギリギリの綱渡りの状況で、何かひとつでも欠けてたら、もうどうなってたか分からないという。なんとか渡りきれたのは全員の限界を超えた働きがあったからです。
開催地、菅平について
会場のお話が出ましたが、栄えある第一回の開催地が長野県・菅平に決まったのにはどういったいきさつがあるのでしょうか?
加藤:竹倉さんとふたりで企画を立ち上げて、『じゃあ会場はどうする?』ってなって。それで僕が海くんに相談を持ちかけたのが最初ですね。
大日方:そのころ別件で(加藤)健資さんとは連絡を取り合っていまして。お話を伺って『ぜひ力にならせてください!』と。幸い、父が菅平の観光委員長を務めさせていただいてるのもあって、菅平から協力を得られることが決まり、とんとん拍子で話が進んでいきました。
加藤:サマーシュート開催が決まる以前から海くんとは、自分が使っている弓の写真をTwitterに投稿してもらうコンテスト『#弓コン』を一緒に企画したりとか、コロナ禍でも業界を盛り上げるためのアクションを日々模索していたんです。
そういう繋がりがあったから、海くんなら同じシンパシーをもつ仲間として、信頼して任せられるなと思いました。
大日方:弓コンやりましたね! もはや懐かしい響き……。
加藤:今年の春先がもう三年くらい前のことに感じるよね(笑) あのころは全国のアーチェリー場や学校がどんどん閉鎖されていっていて、その状況のなかで家にいながらでもお互いに高めあえる方法って何かないかな、って生まれたのが弓の写真コンテストだった。
これが期間が決まっていて、たとえば『2か月間アーチェリーができない!』とかなら、(アーチェリーが)好きな人は戻ってきてくれるけど、それ以上でなおかつ見通しも立たなくて……ってなってくると、一度抜けたルーティンを戻すのは難しい。
なかには競技そのものをやめてしまう人が出てくる可能性も十分にあるし、競技人口が減ることによって業界がそのまま萎んでしまうのはなんとかして阻止したいと考えていました。
大日方:私は勤め先の仕事の傍ら、上田西高校(長野県立上田西高等学校)のコーチもさせていただいてるんですが、そういう立場だと、試合に出られずに選手のモチベーションが落ちてきているとか、例年お世話になっている合宿所が困っているとか、それこそもう肌で感じるわけですよね。だから私の目にはサマーシュートは渡りに船とばかりに映って、さっきも言った通り最初はどんどん話がまとまっていったのが……。
長野県内での感染拡大ですね
加藤:そうそう。正直『あ、終わったな』って思った。
大日方:しかも間が悪いことに、サマーシュートの具体案を提示できる段階までもっていけたのがちょうどそのタイミングだったんです。それに加えて協会の皆様との連携がうまくとれなかったのもあって、連盟関係者の皆様にもご迷惑をおかけしてしまいました……。本当に申し訳なかったです。
加藤:さっき『大変だったと思う』って言ったのはそれら諸々のデリケートな仕事を海くんが嫌な顔ひとつせずに全部やりきってくれたからなんです。しかも開催前日は僕ら(加藤・竹倉・佐々木等、県外メンバー)の到着に先駆けて会場の整備までしてくれて。改めて本当にありがとうございました。
多様性があって、ストーリーがある
開催が発表されたあとも新情報が次々と更新されるたび、SNS上や各地のアーチェリー場などで話題になりました
加藤:僕は今年2月にベガスシュートに行って、『そうか、こんな感じか』って思ったより感動しなかったんです。すごくすごく楽しくはあったのですが……。
自分たちならもっとやれるし、もっと外の業界の人に興味をもってもらいたいと強く感じて帰国しました。すごく生意気ですよね。それでいざサマーシュートを立ち上げることになって何をベースにしようか考えたとき、やはり屋外でやるなら音楽フェスしかないだろうと。フェスには多様性とともにストーリーがある。
あらゆる年代の選手たちが様々な垣根を越えて、笑顔あふれる大会になったらいいなって、心の底から思っていました。チームの竹倉さんはイベント運営のプロですし、(佐々木)淳二さんは僕の考えることの一段階も二段階も上で物事をまとめてくださるすごい方々。海くんはちょっと心配しつつも『いいんじゃないですか?』って優しく言ってくれて。
この人たちが最終的にどうにかしてくれるから、僕は生意気にもやりたいことをどんどん言っていくのがいいのかなって思ってました。
竹倉:加藤さんのなかにはその段階から構想があったんですね。私は新型コロナウィルスの影響でインターハイの中止が決定されたタイミングで、何かできないかなと考えはじめて。
その後は前述の通りのスピード感で進行していったので、全体のイメージは走りながら徐々に固まっていく感覚でした。加藤さんの想いをカタチにするにはどんな形がベストかをまず考えてそれを現実にすること、あるいは少し変えたら実現できるものを目指していました。その『少し変えたら』のとこの変更、変更の連続で、本当に佐々木さんには無茶言ってました。
佐々木:とにかくスピード感がすごかったので、私も走りながらイメージを掴んでいった感じでした。『こんなことしたいよね!』というアイディアをなるべく早くビジュアル化してリリースまでもっていく。その繰り返しです。
実のところ、ここまでしっかりとデザインを入れることはアマチュアスポーツの世界では珍しいことですから、このサマーシュートのコンセプトが皆さんに伝わるにはどうしたらいいのか、そういうことをずっと考えながらやってましたね。
大日方:とにかく皆さんの熱量がすごかったです。毎日のやりとりでスタッフ側の意気込みが伝わってくるし、あとは選手たちの期待度が物すごく高かった。期間中SNSでサマーシュートの話題を目にしない日はないといっても過言ではないくらいでしたし、絶対に成功させるぞという気持ちが強くなりましたね。
もっと魅力を引き出したい。一貫してそう思っていました。
6月ごろに緊急事態宣言がされたとき、どんなことを感じていましたか?
加藤:僕としては動き続けることを念頭においていたので一度持っているyoutubeチャンネルを休止して、それ以外は全てに全力で動いていました。
具体的に言えば、まだ世に出てないものが多いので少しここは秘密なのですが、とにもかくにも歩みは止めずに動き続ける、次の動きに一番最初に動けるように準備をしていました。
アーチェリーが好きだし、今の家族があるのもアーチェリー界のおかげ、なかにはそれを迷惑に感じる人もいるかもしれないけど、アーチェリーを盛り上げてもっと魅力を引き出したい。一貫してそう思っていました。
竹倉:そうですね。僕自身もイベント業を営んでる身として、もう少しで業界が動く雰囲気もありますので本業の準備もしつつ、サマーシュートの営業回りの最終確認を行っていました。
加藤:確かに!竹倉さんしかSlack更新してない時期ありましたよね!(笑)
竹倉:いやいや(笑) でも確かに、このあたりのタイミングでようやくテレテックさん(中継、ビジョンカー手配先)の話もまとまり始めて、コンセプトもかなり固まってきている状態でした。ちょっとずつ手札が揃ってきていた、そんな6月でした。
佐々木:緊急事態宣言がくるって予想はしていましたがヒヤヒヤでしたね。本当に9月に開催できるのか誰もわかりませんでしたので。こればかりはどうすることもできないので、精一杯準備するだけでした。
愛があって最強
大会1ヶ月前を思い出すとしたらどんなことがありましたか?
加藤:印刷物と事務的処理に追われていました。淳二さんが(笑)
佐々木:そうなんです。会場で配布するパンフレットや看板など、細部にまでこだわったので毎日入稿に追われる日々でした。
竹倉:淳二さん前々日のテレビ会議の時顔やばかったですもん。
加藤:間違いないですね。2日前、淳二さんだけ顔やばかったの覚えてます。ただ出てくるデザイン、出てくるデザイン本当にクオリティが高くて、毎回「やば!」これ見て!って周りの人に自分が作ったみたいに見せびらかしてました。淳二さんのデザインは愛があって最強です。
それに加えて事務局さんとダイナスティーチームではホテルの一人一人の場所の確認、部屋割り、立ち順など細部の詰めに入ってました。正直にいうと3日前まで人が大幅に入れ替わり続けて実行員の二瓶が発狂し続ける日々でした。実は僕と二瓶は一回それで衝突しています。
全員が学生のため、これからのために必死に戦ってました
いよいよ迎えた大会当日。さきほど加藤さんが『ハプニングは数知れず』とおっしゃってましたが、どんなハプニングが皆さんを待ち構えていたのでしょうか
加藤:僕の一番は大会前日の深夜1時(公式練習予定日の夜)、点数表の作成を終えたあとに『あ! トーナメント表作ってなくないですか!?』って気づいた瞬間です。凍りつきました。
佐々木:ほんと、毎日毎日あんなにメッセージ飛ばしてミーティングやって、ってしてたのになんで誰も気づかなかったのか……。『え? 俺たち毎日仕事してたよな?』って(苦笑)
加藤:それがあってからは僕が『あ!』って声を上げるたびに海くんがビクッとなってましたね。
大日方:そりゃそうもなりますって! その夜はそこから徹夜決定。みんなよく風邪引かなかったなと思います。あとは朝のパニックですね。
竹倉:そうそう。初日(本来の設営・公式練習日)は豪雨のせいで受付も本部もなにもかも準備できない。受付のリハーサルもしたかったのですが、荷物の展開すらできないので、濡れないように施設の管理棟に備品を入れて『明日の朝がんばろう』とその日は解散。そしたら……。
加藤:管理棟が8時からしか開かないという衝撃の事実がその晩の深夜0時に発覚。
竹倉:朝の準備時間15分しかないとか、本当に詰んだと思いました。佐々木さん、大日方さん含めて受付メンバーにはものすごい負担をかけてしまいました。選手の方々もお待たせしてすみません。あとは……、明け方にやっとできたトーナメント表を印刷するために市内のセブンイレブン向かう途中で、危うくレタスを収穫するトラクターと事故る寸前になったとかですかね?
佐々木:ハプニングの話だけで朝まで話せるぐらいあるのですが…(笑) 私の一番は表彰式ですね。賞状に名前を書こうとしたら誰も優勝者を知らない。スタッフ全員自分の持ち場を守るのに必死だったから誰も試合を見ていないんです。『高校男子の優勝者って誰ですか!?』って無線で呼びかけても誰からも返事がない。あの時ばかりは『あ、終わったな』と思いました。
なぜ記録の体制を整えていなかったのか……大きな反省点です。ただ全員が学生のため、これからのために必死に戦ってました。
大日方:最終的に『明日も何かしらあるだろうけど何とかするしかない』みたいなメンタルになってましたよね。
加藤:夜寝てる海くんにイタズラで『もう朝だよ』って声掛けたときの顔が忘れられない(笑)
大日方:私にとっては全然笑いごとじゃなかったんですが!!(怒)
最高のスポーツじゃん!!!これって
大会は初の試みの数々に挑戦しながらも無事成功しました。それまでアーチェリーに触れたことがなかった人だけでなく、業界内からも反響が大きかったかと思いますが
加藤:ずっと目指してきたことですから、そういった声が聞けたことは素直に嬉しいですね。
でもイノベーションって、まんなかからは生まれないと思っているので。だから脇っていうか末端っていうか、本当のはじっこはじっこのところから僕らが崩していかないといけない。そういうつもりでやっていかないと変わるべきところも変われないと、本気でそう思っていたので、何と言われようが半年間は耐えようと。
『絶対に大丈夫面白い大会になる』『絶対に大丈夫成功する』って、発表から本番までに300回は自分に言い聞かせてたと思います。
竹倉:私はそんな加藤さんのうしろにいさせてもらってたので精神的なキツさみたいなものはあまり感じなかったのですが、少しでも前に進みたいのに立ち止まらざるを得ないポイントがいくつもあったのは事実ですね。
佐々木:私自身は現役の選手というのもあり、企画発表当初で周囲の反応が読めないうちは矢面に立たないよう、おふたりに気を遣っていただいていたので、その面で申し訳ない気持ちでいました。
こんなに皆が笑っている大会は見たことがない
反響のなかでとくに嬉しかった声はありますか?
加藤:『今までアーチェリーをしてきたなかで一番楽しかった』って言ってもらえたことですね。
大日方:あのあと参加された選手の方に『出てよかったです』って言ってもらえて、本当に色々あったけどやってよかったなと思いました。中継を見ていた方も予想以上に多くて、今回の大会の注目度の高さを改めて実感しましたね。
佐々木:私はスタッフの中で一人だけ試合に出させてもらったので、シューティングラインの雰囲気を肌で感じていましたが、こんなに皆が笑っている大会は見たことがないという印象でした。自分自身も楽しみましたし、選手の皆さんの反応は本当に嬉しかったです。
竹倉:『うっそ、ほんとに? こんなにバタバタだったけどほんとに?』というのが正直な第一印象ですね。本当に実感できたのは翌日に佐々木さんとお酒飲みながら映像の振り返りをしてるとき(笑)
佐々木:ああ、本当に終わったんだなって感じましたよね。
加藤:仕方ないと言えば仕方ないですけど、実は僕、あまりにも必死すぎて人の顔全然見れてなかったんです。でも1日目の最後までレジェンドのみんなが学生を応援していて、自分の出番が終わったからといってすぐ帰らない。みんなで学生たちのために試合を演出してたあの空間って本当に素敵でした。「最高のスポーツじゃん!!!これって」思ってました。
余談ですが、淳二さんが寝てないのに首位をひた走っていてめっちゃ面白かったです。
佐々木:あの日2エンドくらい僕寝てましたもん(笑)
加藤:爆笑
みんなみんな凄くかっこよかった
様々なことがあったサマーシュートの期間中で最も思い出深いことはなんですか?
加藤:たくさんありすぎて決めきれないんですが……。一つ目は上山選手、重定選手、末武選手(上山・重定両選手は東京パラリンピック日本代表内定選手、末武選手は両名のコーチを務める)が団体戦で射っている後ろ姿が今でも忘れられません。『アーチェリーかっけえ!』って心底思いました。
二つ目は、上山選手がGA(ゴールドエイジ。小学生中学生以下の部門)参加の熊倉くんにユニフォームを渡していて『うわ!本当にスターやん!』ってなりました。パラ関係で来てくださった3人は本当にかっこよくて。(ロンドン五輪)メダリストの蟹江選手も優しくて、大井選手、大貫選手、小笠原選手も立場抜きに戦ってくれて本当にレジェンドの人たち全員みんなみんなかっこよかったです。あと野村選手の計らいには感動しました。。
竹倉:今までにないカタチの大会ですから、特に学生の選手たちなんかはやはり戸惑いもあったようなんですが、アンケートやSNSの感想を読んでいると心から楽しんでくれたみたいで本当に嬉しかった。いつか『サマーシュート一回目出たんだよ!!』って言ってもらえるような、そういう大会にできたかなって思っています。
大会を振り返って
大会本番の2日間の運営面で一番思い出深いことはありますか?
佐々木:内輪話で申し訳ないのですが、大会当日朝まで話し合ってギリギリまで作業していたことでしょうか。あの時は本当にピンチで全員必死でした。
今となっては「何で皆あんなにポンコツになってたんだろうね」って笑えるのですが……。あの状況を乗り切って、さらに一体感が増したように思います。
竹倉:本当に二瓶さんが大学生最後なのに、これだけ裏方に回ってサポートしている姿は感動した瞬間ですね。本当に彼は今回のMVPだと思いました。
加藤:二瓶は大学最後の王座出場権を持っていたのに学校の方針で出れなかったんです。サマーシュートにも出ることができない。そんな悲しみをずっとダイナスティーで共有していたのでメンタルが不安定になっているのを見て本当にかわいそうでした。それもあって大会の当日二瓶のスピーチは涙を堪えることができませんでした。
第二回について
またサマーシュートを開催するとしたらどんな大会にしたいですか?
竹倉:今回を超える、まだ誰もやったことない企画を実現させたい。みんなをびっくりさせたい、というのがやはり根底にありますから。それからスタッフを増やしたい(笑)
加藤:ですね。今回こういう形で一度お見せして、方向性は間違っていないと確認できましたから。エンターテインメントとしてのアーチェリーの可能性はまだまだこんなもんじゃないと思います。そういう大きなことを成し遂げるには今回以上のボランティアとスタッフが必要ですね(笑)
佐々木:こんなスポーツの大会があるんだ! ってみんなに感じてもらいたい。でもそのために必要なのはやっぱりスタッフ(笑)
大日方:スタッフはマジで募集します。
今後の活動について
大会を終えて、これからの活動の展望については?
竹倉:それはもう加藤さんの一言に期待で!
佐々木:なにが出てくるのかな~? スタッフではありますけど、なんなら我々が一番楽しみにしてるくらい。
大日方:楽しむことにかけては私たちスタッフもみなさんと同じスタンスですからね。
加藤:それはもう少ししたらのお楽しみということで!
半年に渡る大きな大きなプロジェクトのなかで、実行委員会の皆様、新潟審判団の皆様、ボランティアの皆様、道具を貸してくださった方々、選手の皆様、クラウドファンディングで協力していただいた方々、協賛企業の皆様。本当に本当にありがとうございました。
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