雪の坂道を裸足で歩いて泣いて泣いて笑い出した話

もうどうかしてるとしか思えない、というかわかりやすく狂った情緒の沖です。
「沖に沈んでいます」状態。


だから、どうしようもなく、今、寒い。
身体も冷たい。
心も…、皆さんは心って一体どこにあると思いますか?
心臓の辺り?それとも頭?他の部位ですか?

答えとかオチとかはありません。ただの問いかけで放置です。
(昔「本当に好き」になった人の言葉の引用です。寒過ぎて走馬灯見てるんだと思います)
とにかく今私は「身も心も」冷たいです。
死後硬直始まりかけてるんじゃないかな、多分。

今日は午後に双極性の方の定期受診がありまして、夕方寮に戻るところ(母運転)、かなり吹雪いておりました。
寮に少し近づいたところで雪は止んでいたのですが、道は真っ白で凍っていました。
寮にたどり着く前に急な坂と切り返しの必要な箇所があり、二人の悪い予感が的中し、切り返し部でタイヤが滑ってどうにもこうにもいかなくなりました。
一度寮生全員のLINEグループに、到着したが車が動かず外に居る旨を、助けを求める訳ではなく連絡として伝えました。

1人(見守り対象の子)がやって来ましたが、危ないから転ばないよう戻る指示を出し、2人が仕事から帰ってきて車下の坂を登ってくるのが見えた為、LINEしたことと足元の注意を伝えて寮へ先に行くよう促しました。(他の3人は、夜勤2人で職場、1人は休みで寮の中でした)

幸い車通りが少ない坂で、色々あったものの(省略)なんとか母が家へ帰れる向きにまで動かせました。
母が私の荷物を持って先に寮までの短い登り坂を行き、屋根下の玄関外へ置いてから私を支えるため戻って来ました。
省略した箇所でですが、私は一度地面に足を付けて今履いている靴では滑って歩けないとわかっていたので、杖(使い物にならない程道が凍り、滑るためつけない)とブーツを手に持ち薄いタイツの足でドアまでの道を歩きました。
短い距離ですが、たどり着く前に足裏は死にました。

玄関は開いており(基本閉まっているのでそこは配慮されたのかもしれません)、荷物を運び入れて二言三言言葉を交わして母は出て行きました。
…誰も迎えに来ない。ドアの音は静かな方なのでそれもそうか、と思い、足裏が濡れているため四つん這いになって足裏を上にキープしたまま暗いリビングの戸を開け二つの荷を置きました。
…隣の明るいキッチンの引き戸から賑やかないくつもの声(その夜全員居たとして4人)。

リビングの戸を開く、膝をつく、荷を置く音も聞こえないくらい楽しい話をしているのね。

置きっぱなしにしていた衣類の鞄から靴下を取り出し、また膝をついて残りの荷物が置いてある玄関まで移動し、そこで靴下を履き、杖を邪魔にならないよう角に立てかけました。荷を全て持ち上げ、やっと立って歩き、開け放しておいた戸を強く閉め、荷物を叩き落とすように起き、コートを脱ぎ捨てました。
…隣の明るいキッチンの引き戸から、止まない賑やかないくつもの声。

あなたたちはいつも明るくて純粋で優しくて、悪気が無くて…

私は涙が止まらなくなり、体感では1時間程声を出して泣き、ようやく流れを止めた後(その頃ちょうどお喋りが遠のき、キッチンの明かりが消されました)、静かに笑いながら呟きながら(何を言っていたか今は思い出せない)、着替え、毛布に包まりました。

私の言いたいことは、気持ちは、書きたいことは、今書けない。
皆様に伝えるには言葉が必要なのに、もう指が動かなくなってきました。
ここまで書いて約40分、その間身体を毛布に包んで文字を打っているはずなのに、ホットカーペットのスイッチも暖房もつけているのに…どこも暖まらない。

明日、渚に打ち上げられれば、補足を書けるでしょうが…どうだろう。
こんなに冷え切るのは久しぶりで。
もちろん、首も痛み軋むし。

異文化、他者と己との価値観、信頼関係…

本当にもう人間には生まれたくない。


私は無資格で受けた仕事の結果を、中途半端な時期で二度も他者に引き継ぎしたにも関わらず、施設のトップには能力を認められていた。それは感謝せねばならないことだし、実際感謝している。
5月から受け入れる3期生指導を何らかの形で再度依頼されると予想していたが、もう二度と受けないだろう。

結局その方が母のためにも、施設のためにも、新たな実習生のためにも

自分のためにも良いだろうから。

生きてきて一度だけ見た、あの海、深い青が忘れられない。



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