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VRの旅で満足できるか?

近い将来、VRで好きな場所に旅すること、例えばサグラダ・ファミリアなどの観光名所を巡ったり、セーヌ川沿いでの散歩が気軽にできたり、ナポリのレストランでピザを食べたり、地中海を横断してサハラ砂漠へのツアーに参加することができるようになるかもしれない。その地に赴く必要がない、ということは10時間以上もの長距離移動で隣の人のいびきがうるさすぎて寝られないとか、椅子が硬すぎて全く寝た心地がしないなどの不快な思いを一切せずにお気に入りの街にひとっ飛びできるということになるんだろう。

でも僕はVRの旅じゃ満足できないと思う。旅っていうのはその土地の匂いとか空気感、地元の客しかいないちっさいカフェの店主との会話にならない会話とか、迫り来る砂埃と戦ったりだとか、その土地その場所でしか感じ取ることができないものがどうしてもある。いや、知覚すらも体感できるようになるのかもしれない。現地の人との会話だけでなく友人になることだって可能になるのかもしれない。そうだとしてもVRでの旅は実際の苦労をして得た経験には劣る。そういうと旅での感動を味わうまでに行う面倒なこと、苦労があって然るべきだと言っているようだ。でも旅なんて旅行会社のツアーにでも参加しない限り、100%快適だなんてあり得ない。予想だにしないことが起こるなんて日常茶飯事だ。飛行機の遅延、ロスト・バゲージから始まり、いつまで待っても来ないTGV、時間通りに現れない宿のオーナー。Travelの語源がTroubleであるように、トラベルにはトラブルがつきものだ。避けては通れぬし、肝が冷えるようなトラブルも含めてトラベルなのだ。予想通りにいかない所に旅の面白さはある。
いつかマルセイユからエクサンプロヴァンスに日帰りで行ったときのことだ。目的はセザンヌのアトリエ。エクサンプロヴァンスはセザンヌゆかりの地で、それ関連の美術館やその他諸々が観光名所となる。その日はうだるような暑さで(というか南仏の夏はずっと灼熱なんだけど)、気温も38度近くあった。着いた時間は確か既に昼過ぎでその日の最高気温を観測する時間帯だった。バスから降りて小さい街の中心となる広場に歩いて行くと、その日はちょうどレコード市が開かれていた。ジャンルもさまざまの大量のレコードが並んでいる風景は圧巻だった。思わず引き寄せられるようにレコードを漁っていた。そしてマイブラのレコードが20€で売られているのを見つけると相場よりかなり安かったこともあり、細かいところを気にしない大らか精神を持ってそうな、どこか気が良さそうなおっちゃんから購入した。
アトリエは街の中心からは少し離れており、歩くと30分以上はかかりそうな距離だった。こんな暑い中そんなに歩くのはごめんだと思い、猛暑から避難するように近くにあった美術館に寄ることにした。そうこうしている内に17時に閉まるアトリエに行く時間は無くなってしまった(というか暑すぎて行く気分ではなくなったという方が正しい)まあ美術館でセザンヌの絵は見れたし、セザンヌが描いていた風景は見れたから良しとしようと自分を納得させ、暑くて歩き回る気力もなかったためカフェで適当に時間を潰し、夕食の時間までにはマルセイユに戻ったのだった。
後日、日本に戻ってから購入したレコードをかけてみると、曲によってはめちゃくちゃノイズが入っていたり(元々ノイズだらけの音楽だけど)、曲によって音の大きさが違ったりして、聞けたものではなかった。良い子のみんなはレコード市などではなくきちんとレコ屋で買おう。
という感じで、こんなトラブル、というか自分から突っ込んでいった失敗体験になるが、それも含めて旅だと思っている。歩き回れないほどの暑さであることやレコード市が開かれているなんて行くまでに想像できただろうか。セザンヌのアトリエを観に行ったはずなのに、なぜか手に持っていたのはそこのチケットではなく、レコードのみだった。イレギュラーがあるからこそ良いし、そこに後悔はない。
VRでの旅にも興味はあるしいつかは体験してみたい。だけどきっと自分が体験したあの旅ほど心が動かされることはないんだろうという確信がある。それはその時の直感や気分で動いたあの時にしか得られないものだったから。逆にVRでしか得られないものもあるんだろう。でもそれは実際の旅とは似て非なる良さなんだろう。もしかしたら比べるものでもないのかもしれない。

飛行機の中からぼーっと雲の行く末を見守りながら、着いたらどうしようか、などと考える。不安が混じるけど大きな期待、行けばなんとかなるさという楽観、どこか何かが始まるような気がしてそわそわしてずっと落ち着かないような気分。僕はこの時間が好きだ。そんな旅の始め方ができない旅なんてつまらない。


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