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「かわいい」なんていうフィクション

 5月のぬるい空気は気持ち悪い。身の引き締まる寒さでも、燃えるような暑さでもなく、僕を取り囲み感覚を奪う実験室のような、不気味な暖かさだ。ふと見上げた空もまた、均一な明るい灰色で間接照明のように僕らを包み込む。現実じゃなくて、誰かに仕組まれたフィクションの世界だったりして。春と夏の境目って、そんな季節だ。
 さて、フィクションと現実の区別が融け落ちていくこんな季節。僕の大好きなフィクションの話でもしようか。あるところに男の子がいた。親にとって子供はかわいいもの。その子だってかわいがられて育った。男の子は年を重ねるにつれて、自分がどういう人間に育つと「良い」のかに気付いていく。その最たる例は、そう、「かっこいい」人間だ。男の子は賢かったから、だんだんと、かわいいものを気に入ってると馬鹿にされ、かっこいい感じに振る舞うことがみんなから求められているのだと感じ取ってしまうのだった。
 でも、やっぱりかわいいものはかわいいんだ。その男の子は、保育園のタンスにあったプリンセスみたいなひらひらとしたお洋服をじっと眺めていた。幼稚園のお遊戯会で、女の子がスカートをつまんで挨拶する(カーテシーと呼ぶらしい)のを真似たくなって、自分の半ズボンの裾を弄って虚しくなった。学童保育は荒れていたので乱暴ないたずらがよくあったが、その中でいじめられていた他の男の子がネックレスを模したものをかけさせられて嫌がっていた時、それを羨ましいなんて思ってしまった。周りの男の子はみんな女の子らしいと思われることを嫌がる中で、その男の子だってそれを嫌がるべきだと思っていたけど、かわいい服装への憧れは決して拭えなかった。
 世の中は広いから、その男の子はしだいに、本当に女の子みたいな見た目、恰好をした男の子だっていることを知る。女子小学生の中に紛れている、女の子の恰好をした男子小学生を当てるテレビの企画だとか、物語の中に登場した女の子に間違われる男の子だとか、そんなシチュエーションが自分のところに現実として降りかかってくるのを望むようになった。まるで、シンデレラが魔法使いの手によってドレスをまとった美しい姿に変身するように!
 なんていう、フィクション。

 最初から全部フィクションだったら良かったのだろうか。女の子と見紛うような男の子はフィクションの中だけの存在で、僕がそれに憧れていたのも嘘。今からでもそういうことにならないか?ならないな。

 女装は本当はありふれた行為だった。中高は男子校だったが、文化祭でだいたい誰か女装をしていた。ネットには女装男子の画像が流れてくることも珍しくはない。大学も自由な空間で、女装は様々なところで見かけられた。
 一方で、小学生の頃から、あるいは幼稚園の頃から望んでいた僕は、小学校、中学校、高校、そして大学の2年間、結局行動できないまま過ごしてしまった。言い訳なんていくらでもある。気持ち悪い姿になるのが怖い。他人からの自分のイメージが変わるのが怖い。正直労力を割くほど望んでなかったのかもしれない。望ましいのは、誰かに女装「させられる」機会が訪れること。ちょっと嫌がりながらも、まあそんなに僕を女装させてみたいなら、みたいな感じで、あくまでおふざけの一環として女装に持ち込む。そんな魔法使いのお出ましを、フィクションみたいな展開を待っていた。
 馬鹿馬鹿しい。自分から行動に移せないほどに弱く、意欲もない冴えない男子大学生が、かわいい恰好になることだけは憧れていた。その情けなさを引きずって、大学2年生が終わろうとしていた。大学は自由な空間で、女性らしい服装をしている男性(元、と付記すべきかもしれない)は様々なところで見かけた。男性として生きても特に不自由ない僕なんかに比べて、ずっと深く悩んでいる人が多いのかもしれない。そんな苦悩を経た人たちと比べることさえ失礼か?それでも、行動に移せないままの僕に比べてどれほど立派なことかと考えてしまう。
 大学3年生になって、4年生、就職か院進かを経てその先も、今までいつもそうだったみたいに、憧れの人たちを眺めたまま過ごすことになるのだろうか。結局のところ男性だから、それでも良いのかもしれない。でも、それでは今後ずっと自分から女装できなかったことに引け目を感じたまま、つまらない人生を生きることになるんだ。それでは悔しすぎる!

 魔法使いは都合よくやって来ることはない。もう大学生なのだから、自分から行動を起こさなければならない。ネットで最低限のメイクの方法を調べて、店頭に行く勇気がないから通販で安めの化粧品を買って、初めてのメイクに挑む。鏡に映る男性。男なのに気持ち悪い?今に始まったことではないだろ。ベースメイクを終えて白く浮き上がった顔が鏡に映る。気持ち悪いか?行動しないよりはマシだから、続けろ。アイシャドウを乗せてアイライナーを引き、目の印象を変えていく。ビューラーとマスカラをかけるその手の動きからかわいさがあふれ出ている。口紅、チーク、これで十分だろうか?ウィッグを被り服を着て、鏡の前にいる人間の顔を恐る恐る見た。
 とても自分だ。それが第一印象だった。でも、少なくとも自分の顔はようやく直視できる程度に服に似合うものになったと思った。それだけでも十分だった。かわいい。時々男らしいところが見えると嫌気が差すものの、少なくとも僕のことを、確かにかわいいと思っていた。そう思わないと、僕が救われないんだ。
 でも、かわいくなったら次にどうしよう。かわいいと思っているのは僕だけか?みんなにもちゃんと見てもらわないと分からないよ。きっと僕はそこそこかわいい。本当だ。信じてくれ。でも写真を上げる勇気がない。やはり、あわよくば女装をさせられたかった。受動的な、情けない独り言をTwitterに投げる。君が僕を無理やりにでも女装させてくれれば、この姿がかわいいのか、真っ先に君が判決を下してくれたのにな。自分から何も言わないのにそんな都合の良い物語はなかった。

 ないはずだった。
 フォロワーから勧誘が降りかかってきた。内容は、学祭でコンカフェを開くからそのキャストをしようというもの。女装男子も割といる。もはや救済に近かった。自分が情けなく喚いていたのを、拾い上げてくれたんだ。呆れ顔をしているだろう。僕が君だったら呆れ顔をしてしまいそうだ。こうやって救いの手を差し伸べてくれてようやく、僕は自分の女装姿を見せることになるんだな。結局自分から言う力はなかった。それでも、叶うんだ。15年来の憧れが。そんなことを本気で嬉しがっていることを見せるのは気持ち悪いだろうから、なるべく素直に勧誘を受け入れた。

 ピンクのブラウスに黒のフレアスカート、レースの付いたニーハイソックスとヒールを履き、ウィッグはハーフアップにして大きくて黒いリボンの付いたバレッタで留めた。僕の姿が、手鏡に、窓ガラスに、誰もいない男子トイレの洗面台の鏡に映る。それらがちゃんと「かわいい」ことを確認した。来るべき学祭の日、普段決してできない、いかにもなかわいい服装で、客を迎える。女装は「僕はかわいい」と思っていないとやってられないんだ。君は知らないだろうが、僕は15年間ずっと、女装したさを公にできずに来たんだ。この姿を君の目に刻まないと気が済まない。覚悟しておけ。
 「仕草がかわいい」だって。いつもこんな仕草できないし、この姿に似合うのはこうだからね。「脚が細いね」だって。痩せすぎに分類されるくらいだからね。「メイクは自分でやったの?」だって。いつもよりも良い道具を貸してもらって自分でやった。似合ってるかな。女装して構内を歩くのは初めての経験だ。知り合いの前で手を振っても僕だと気付かれず、低い声で名乗ってようやく気付いて驚かれるのも経験した。いろいろな知り合いから「かわいい」を浴びせられた。僕は他人に「かわいい」なんてあまり言わないのに。こんなに他人からの「かわいい」を引き出せた日はなかった。こんなにもらっちゃって良いのだろうか。幸せな疲れの中で眠りについた。

 なんていうのも、フィクションだったのかもしれないね。

 夢から覚めた。さあ現実に戻ろう。昨日の自分の写った写真を冷静に見返す。前髪が雑だ。目つきが厳しい。最後の方はメイクもかなり落ちかけている。女装は写真やメイクが本当に上手く決まった時には確かにかわいいと思えるが、その理想形から少しズレるだけで一気にかわいさから遠ざかり、不気味な姿に至ってしまう。これが現実。ああ、気持ち悪い姿を晒した。あの「かわいい」は本気?口に出さなかっただけで気持ち悪がっていた?教えてよ。いや、教えないで!本当は気持ち悪かったなんて言われたらどうしよう。そんなの考えなければいいのに、考え始めると苦しみは止まらない。
 「仕方ないから女装している」なんて逃げられれば良かった。それならかわいくなくても気にせずに済んだかもしれない。でもそれは嘘だ。憧れた、かわいくなりたかった、その結果がこの映りじゃあ自分が許せないんだ。そもそも女装してかわいくなるなんてのはフィクションなのか?僕が現実とフィクションの区別も付けられずに、勝手に憧れて、勝手に傷ついたのか?こんなんじゃ笑われちゃうな。
 でも、こんな姿だけじゃないんだ。比較的まともな写真を見て落ち着こうとする。
 ちゃんとすればかわいいんだ。鏡で確認したあの時の僕は確かにかわいかった。みんなかわいいって言ってくれた。それが嘘でも、僕はすがるように信じるしかないんだ。
 なあ。君も信じてくれないか。写真なんて僕のかわいい振る舞いの一部だって映していないんだ。君も僕のかわいさを見てくれただろう。あの瞬間は夢じゃない。
 これが現実だとしても、現実はこれだけで終わりじゃないんだ。またあのヒールに足を入れる日がきっとやってくる。その時にはもっと隙のないかわいい姿を見せつける。次こそは、写真映りも、メイク直しも気を抜かない僕を見せてやる。どの場面を切り取ってもかわいい女装男子への絶えない憧れを、追えるだけ追ってやる。
 だから、どうか、見捨てないで。

 夏が来る。本物の暑さと日差しの中で、現実と向き合う夏が。これは現実だ。自分から動かなければ都合よく動いてくれない、どうしようもなく厄介な、でもまだきっと追い求め甲斐のあるこの世界で、僕は生きていく。


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