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啓蟄

期末試験期間が終わって、最近は午前中に授業が終わってしまう。その後学校で講座などを受けたとしても、混み始める夕方の電車も坂の上からのいつもの夕焼けもまだ全く見られないような時間に、僕はもう家路についてしまう。その日の風は強くて、それでいて身震いするような寒さをもたらしたりはしないものだったから、ひょっとすると今日が関東の春一番かななんて思いながら、追い風を受けて坂を走り抜けた。

関東では春一番は3月9日だったらしい。風というものは、都会にいても簡単に季節の移り変わりを感じられるから愉しいものだ。しかし、より春の訪れを感じるのは、学校の藤棚の下で蠅が飛んできたりした時などの方である。無機質な都会の街並みには、虫などが蠢きだすのを見出すことは難しい。都会は別に嫌いではないしむしろ好きな部分も多いけれど、やはり地方の町で季節の変化が見せる景色はとても美しいものである。

景色に強い美しさを覚えるようになったのは割と最近のことだ。特別な「絶景」でなくていい、緑が広がり山が聳えちらほらと民家が広がっているような典型的な村というだけでも十分美しいのである。あるいは、一面に紅葉が広がっていたり、あるいは銀世界、はたまた木々の間から見える海などが日常の中に見られること、そしてその中で人々が日々の営みを続けているということが、それだけでも美しいのだ。

ちょうど1年前くらいのこと、友人と北海道に行った。留萌から今は亡き増毛までの道をバスで進み、折り返して廃止された留萌本線の礼受駅へ降り立つ。そこから徒歩で、まだ厳しい寒さの残る北海道の日本海の町を北上する。2時間くらい歩いた。太陽の高度はいつの間にか下がり、左側に広がる海は夕日に染まっていた。それを見ながら友人と「いい日旅立ち」を歌う。この時が初めてだろうか。景色を見て泣きそうになるという経験をした。例えば、丘の上から町を見下ろして気持ちがいいとか、作り直された新地駅前の復興してる様子が快かったとか、そんな感情よりもずっと強く、僕の住んでいる町からほど遠くにある日本の果ての或る町の一日の終わりに対する感傷に浸ったのだ。その後、夕日が綺麗に見える「黄金岬」から美しい日の入りを拝んだのであった。

この旅行の後の1年間で様々な旅をしたが、これがきっかけとなったのか旅行の時に景色に対して抱く感情が強くなったと思う。特に美しい景色に音楽が加わることによる感動の増幅は凄まじいものだったようで、4月末に「朧月夜」の流れる替佐駅から2両編成のディーゼル車に乗った時、僕はまた泣きそうになった。昔からこの旧豊田村に住んでいた人が、遠く離れた土地に行ってしまう、そんな場面みたいだったなと想像を膨らませつつ、緑の広がる千曲川沿いを飯山線で走り抜けたのだった。他にも南魚沼市の一面に広がる水田地帯で無邪気に畦道を走り回ったこと、下流の方がオレンジ色に焼ける足尾線沿いを、雪のちらつく中で隣駅まで歩いたりしたこと、大晦日の一年の締めくくりに4人で立石公園から諏訪湖を眺めたこと、いずれの美しい光景も忘れ難く、端的に言えば「エモい」ものだった。

しかし、僕が行った日本の美しい場所も氷山の一角に過ぎず、この他に途方もない数の「美しい」町があるのではないかと最近になって感じ始めた。僕の知らない町で、全く違う景色の中、日常生活を送っている人たちがそこにいる。都会だって、ちょっとした郊外だとか地方都市だって違った美しさを感じられる。そんな美しい日本の各地域すべてを知り尽くすには、人生を丸ごと使っても足りなくて、結局この日本の美しさだけでも自分が享受できるのは一部に過ぎないかもしれない。なんともどかしいことだろうか。

せめて今年も春を感じる旅に出たいものだ。

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