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春分

「春眠暁を覚えず」という一節はあまりにも有名であるが、やはり昔から今まで残ってきただけあって言い得て妙なもので、春休み中だった僕は4月の初っ端から歴代二番目くらいの遅さとなる10時半に起床してしまった。しかし日本古来の一節「春はあけぼの」の感性も捨てがたく、やはり朝早く起きてこそ体験できる良さがそこにはある。

気が向いた時に、朝、それも日の出前に起床して外に出てみるといい。春に限らず、新たな楽しみの発見があるだろう。

休みの日の過ごし方は多数派なのは夜更かしをして朝は日が高く昇ってから起きるというほうが多数派だろう。休日も早めの時間に寝て朝早く起きるような人は、しっかり者や時間を有効活用しているなどと言われがちである。しかし、僕は朝4時に起きることがよくある。ここまで早くなると10時に寝ても6時間しか眠れず、それなら朝遅くまで寝るほうが体にいいのではないかとすら思えてくる。世の中には朝は5時起きして時間を活用とか、さらには4時起きこそが良いとか言い出す人や、それを謳う本なんかも出版されているのだが、僕がやっていたのはこのような生活リズムを大幅に変えて健康を目指すものではなくたまに無理やり起きるものだったから、体調は良くならないし昼間は眠い。

ではなぜ4時に起きるのかというと、その理由の多くが始発で旅行するためだ。金銭が厳しい高校生は新幹線なんていう高級なものは使えない。18きっぷが友達。そんな中でなるべく長い時間旅行を楽しむためには始発列車で出発することが必要になる。しかし、旅行というものはこことは違う「非日常」を楽しみに行くものだが、始発で遠くに行かずとも夜明け前の東京でも異世界のように見えることに気が付いた。

始まりは1月のある日、東京タワーの展望台から日の出を見るというツアーに参加したことだった。朝6時、空は暗く、建造物の明かりこそあるけれども昼間の喧騒とは程遠く人通りは全く感じられない。東の空がゆっくりと明るくなり、太陽が一日の始まりを告げるのを見て、皆が眠っている中で自分はいち早く活動を始めていて、眠っている間にこんなに美しく太陽が昇ることを自分だけが知っているのだ、という優越感に浸っていた。


2月、今度は早朝の東京タワーを今度は外からしっかり眺めようと思い立ち、朝5時に浜松町駅へ向かった。やはり人の姿はほとんどなく、ビルの明かりもまばら。増上寺を通り抜け歩いた先にあった東京タワーは、日中とは一転して静寂に包まれる早朝でも変わらず堂々と構えている。誰もいない街の中で自分のためにあるようなものだ。

そして先日、始発に乗って桜の名所である千鳥ヶ淵に向かった。乗り換えの東京駅では、いつもは観光客や通行人がたくさんいる駅前広場には誰もいない。僕がもしこの広場で走り回ったってほとんど誰も知らない。もし寝っ転がったって誰も知らない。これは自分のためだけに用意された巨大な建築物だ。やはりそんな気分になる。

東京駅の向こうは空が明るく色づき始めていた。大手町駅まで歩き九段下駅まで地下鉄に乗ると、空全体が結構明るくなっていた。そう、もう昼の方が長いのだ。夜明け前の暗さや日の出の美しさは、そろそろ始発に乗っても限られたところでしか見ることができない。今度の秋までやってくることはない。だから、季節の楽しみは逃してはいけないのだと自戒しつつ、千鳥ヶ淵の日の出と桜を楽しむのだった。


(写真はスマホでそれっぽく撮っただけです)
(あと春分で書いたものの季節的に清明の方が近い……)

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