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ツアーを振り返る

健太です。
ちょっと日が経っちゃったけど。
「ボクとキミのツアー」。12/8、ジョン・レノンの命日に、札幌公演にて、全13公演完走しました。来てくれたみんな本当に本当にありがとう。

こんなに、完走したな、ってしみじみ思ったツアーはない。
それだけ、僕ら3人にとって、そしてまなんにとっても、深い意味のあるツアーになったんじゃないかな。この約2ヶ月は、ニコルズを強くしたと思う。4人の結束も、音楽も。そしてもっと強くなるきっかけをくれたと思う。
こんなことになんて、ならなければ良かったことに絶対に違いないんだけど。
こうなってしまった以上、それをどれだけプラスのものに変えられるか。そんなことを考えて臨んだツアーでもあった。

ネタバレになっちゃうからツアーが終わるまで書かなかった話を書こうと思う。長くなると思うけど、自分の気持ちとしても書き残しておきたい。


ツアー直前のほんの数日間の話。
まなんのことがあって、このツアーがどうなるか、そのとても短い時間が勝負だった。
3人で果たしてちゃんとツアーをやれるのか?
どんな風にやるか、どうやったら3人でちゃんとニコルズが表現できるのか。とにかく脳みそフル回転、浮かんでくるアイデアを次々にイメージして、明確にイメージできないもの、可能性を感じないものは容赦なく却下していく。ああだこうだと練っている時間はなかったから、それを寝ても覚めても繰り返した。
前のブログでも書いたけど、いくら「3人でもツアーをやるのだ!」という決意があっても、3人で表現するニコルズを、僕自身が納得できる形まで仕上げられなかったら、ツアーはやめようという固い決意が僕の中にはあった。それがファンのみんなへ、まなんへ、そして自分たち自身への誠意だと思ったから。

ふるいにかけていって、思ったよりたくさんのアイデアが残った。そしてその中から、より良いものを選んで、ブラッシュアップして。
なんとかツアーに出る前日、これで行けるはずだと確信できた。

「青い空」から、まなんがいないだけのそのままの3人編成のバンドで始めてしまうこと。
まなんのイメージの強い「いいのかしら」では、ベースラインをエレキギターでなぞりながら弾くというアレンジでやること。
「ゴーインホーム」では思い切って楽器を減らして、会場のみんなと一緒に曲を完成させること。
...全曲思いのこもったあるアレンジだ。

そして僕がベースを弾くことも。
やっぱりライブで伝えたいのは、何よりも歌のメッセージ。
今のニコルズが歌いたい曲、届けたい曲、というのが選曲の第一の基準だったから、これなら3人でうまくやれそうだ、というアレンジ優先で曲を選んではいない。最初に、今やりたい曲を上げられるだけ候補に上げて(この時点でかなり精査する)、そこからさっき書いたように、どの曲をどうアレンジすれば3人で形にできるかを考えていった。
僕がベースを弾いたのも、それらの曲を3人で一番いい形で届けるための手段の一つ。
でもこれは本当に迷った。まなんのベースの素晴らしさは僕が一番よく知っているつもりだから。それなのに僕が弾く意味とは。他に手段があるんじゃないか、とかももちろん思ったし。
でも、僕が結局思い至った一番大切なことは、まなんが戻ってくるまで、バトンを繋ぐということ。そう考えたら、これも楽しんでやればいいじゃないか、と思えた。

僕は普段から、そんなにしょっちゅうではないけど、曲のアレンジのためにベースを弾く。だから短い期間でも死ぬ気で練習すれば、ちゃんと形になるんじゃないかということで決断した。
僕が弾くベースはまなんのベースとはまるで正反対の、男らしく押しの強いベースだと思う。でもそれがこの編成でのベースとしては良いかもしれない。だからみんなに、この編成ならではの良さを感じてもらいつつ、やっぱりまなんのベースじゃなきゃね、と思ってもらえるんじゃないかと思った。

でもステージに立ってベースを弾く以上、ベースを持ったらベーシストになりきるつもりだった。やるからにはとことんやる。どんな楽器だろうが、クオリティの高い演奏をしたい。自分の演奏をしたい。当たり前だけど、こんな状況だから許されるというような甘えは完全に排除して臨んだ。
めちゃくちゃ練習した。慣れない楽器で、体のあちこちにガタがくるくらいやった。身体中痛くなったし、指も皮膚が裂けた。ここまでまさに「必死」にやったのは久しぶりだったな。自分がやるからには。自分の中の譲れないものを絶対に守りたかった。自分のベースを弾くんだ、と言い聞かせた。
それでもいざライブではたくさんミスをしてしまった。ミスをする度、悔しくて悔しくて、帰ってからどうしようもない気持ちで落ち込んだ。どこでどうミスをしたかははっきりと心に刻まれている。うやむやにせずちゃんと復習し、繰り返し練習した。でも、それでもミスをしてしまうのだ。その度にやっぱり付け焼刃なのかと、自分の考えの甘さと不甲斐なさを悔やんだ。何より、まなんに申し訳ないと思った。
でも決断してやり始めた以上、貫くことも責任だ。ライブを重ねる度、掴めるものもあったし、楽しさも喜びもあった。全てのものをバネに、13公演をやり切った。

ベースを弾いて良かったと思っている。
おかげで、必死で練習することの大切さを改めて知ったし、ベースというものに対しての理解も深まった。やっぱり家で弾いているのとは全然違った。
ベースの存在について、楽曲の中での居場所、リズムの感じ方、リズムの構築における役割、ニュアンスの支配力、アレンジの立体感、いろいろなものをベーシストの視点で、体で覚えることができた。これはまた音楽人としての自分のステップアップに繋がったんじゃないかと思う。
もちろんギターの必死の練習も同時進行しなければならなくて、それにはとても混乱させられたけれど、そのおかげでより深く広い視野で考えられたんじゃないかと思う。

しかし。
この、僕がベースを弾くということが一番のキーポイントになったわけではない。
このツアーを敢行する本当の決め手になったのは、実は他の曲。
アコースティックでの新しいアレンジの「フォーエバー」だ。

ボクらはもしかしたら ずっとフォーエバー

まなんが不在の今だからこそ、声を高らかに歌いたいと思ったこの曲。
それを3人編成で、より深みを持って届けられる新しいアコースティックアレンジが思いついたとき、「いけるかも」って思えた。
そして実際にスタジオでやってみたとき、「いける」と確信した。
この曲のこのアレンジによって、今回ツアーで演奏する全ての曲が一つに結びついたように感じた。『ボクのうた』の曲たちと、既存の代表曲たちを「フォーエバー」が一つにしてくれたのだ。そういうことってあるんだよね。
この新しいアレンジの「フォーエバー」は、今回のツアーにおいて、音楽的にも、そして精神的にも、僕らの柱になった。これがあったからこそ、ツアーを成功させることができたと思う。


ツアーを終えて振り返ってみて、3人でツアーをやり切るという決断は間違っていなかったと思っている。
でも、色んなことを考えながらの毎日で、ずっと感情が忙しかった。
そんな僕を、どんなときも、支えてくれたのはファンのみんなでした。

本当にありがとうございました。

息をつく間もなく、ニューイヤーコンサートへの準備が始まっている。
結成15周年のスタート。
そして…。
絶対に忘れられないコンサートになる。
みんなで集まりましょう。

最後まで読んでくれてありがとう。

D.W.ニコルズ 鈴木健太

FENDER 1973 MUSICMASTER BASS
(12/8 札幌COLONY にて)

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