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53歳

今年中、正しくは53歳のうちに新しいオリジナルアルバムをCDでリリースしたいと思っています。今の時代、CDなどというパッケージは古いものなのかもしれませんが、やはり自分はCDというものが好きです。もっと言えば、本当はレコード、LPで作りたいのですが、さすがにそれは聴ける人も限られてしまうし、音圧が低くなってしまうのではないかという不安もあるので、やはりCDかなぁ、と。まぁそれは今回お話したいこととは異なるので割愛しますが、とにかく近いうちにアルバムを作りたいと思っているのです。

では何故今なのか。その理由を示す2枚のアルバムがあります。
ひとつは小田和正さんの「個人主義」というアルバム。
そしてもうひとつは浜田省吾さんの「My First Love」というアルバム。
どちらも私の敬愛するアーティストであり、両アルバムとも名盤です。
小田さんと浜田さんとではジャンルが違うように思われる人も少なくないかもしれませんが、自分的にはかけ離れた音楽性であるとは思っていません。寧ろ非常に近いポジションであり、オフコース時代も含めシャッフルして聴いても何ら違和感はありません(尤も私の場合、好きな音楽は何でも好きなのでそもそもごった煮感があるのですが)。

そんな2人のアルバムがどう関係しているのかを、今回はお話したいと思います。実はこの2枚のアルバム、テーマも背景も状況も共通しているような気がしてならないのです。

まず小田さんの「個人主義」。これは2000年4月21日にリリースされました。当時小田さんは52歳。小田さんは9月生まれですから53歳になる年にリリースされたということです。このアルバムは前オリジナルアルバムから6年ぶりとなるアルバムで、小田さんの新境地を開いたものと言われております。何が新境地だったのか。それはアルバムタイトルにも示されている通り、個人的な想いが込められた曲が多く収録されていたからでした。

それまでの小田さんは「個人史を歌うようなことはしたくない」というような人でした。小田さんのヒット曲にラブソングが多かったのは、そんな理由もあったのかもしれません。とは言っても、実は小田さんの曲こそメッセージの塊なのではないかと思います。「自分を歌った曲は無い」としても、「自分の心の内を歌った曲」は数多くあり、オフコース初期の「首輪の無い犬」「秋ゆく街で」「ひとりで生きてゆければ」などは、青春の苦悩と喪失感を歌った秀逸な曲です。そんな曲が他にもたくさんあり、個人的にはオフコース時代から、小田さんは自分の気持ちを歌にする強い男、というイメージでした。

自分的にはそんなイメージの小田さんでしたが、一般的にはヒットシングルのようなラブソングのイメージが強かったのかもしれません。しかし、この「個人主義」というアルバムでは、そんなイメージを払拭するかのように、個人的な想いをストレートに表現した作品が増えていきました。

そんな中に「19の頃」という曲があります。その曲は外国の音楽に夢中になり、身も心も虜になってそれを追いかける19歳の自分を振り返る歌なのですが、思いは叶わず、夢は波間の向こうに消えていきます。この歌の主人公の夢は、自分の音楽が海の向こうの外国に受け入れられるということだったのです。それは小田さん自身の夢であったのかもしれません。
その「19の頃」で小田さんは、

この道を今 ゆくほかはない 自分の場所へ辿り着くためには
19の自分に別れを告げて もう一度ここから また歩き始める

「19の頃」 作詞・作曲・編曲 小田和正

と歌っています。これは間違いなく、小田さんの決意です。
その決意とはなんなのか。
それは自分のやるべきこと、やりたいこと、やれることと求められることが明確になって、覚悟を決めたということなのではないでしょうか。

見よう見まねで外国ポップスのコピーを日本で始め、やがて自分達のオリジナル曲を作るようになり、多くの人達に聴いてもらえるようになった。それでも思いはやはり欧米にあり、自分達の音楽を世界という土俵に乗せたい。そんな欲求は、ごく自然なものなのでしょう。それは野球でもサッカーでもマラソンでも同じことだと思います。

しかし自分の存在意義を考えた時、自分はどこへ向かうべきなのかが朧げに見えてきます。欧米の音楽を追いかけるということはやめて、自分の音楽を求めてくれるこの国の人達のために音楽をやるべきではないのか。もちろん、今までもそうだったはずです。しかし気持ちのどこかに、「世界で勝負がしたい」という思いはあったのかもしれません。

欧米の音楽に憧れた若者が世界を目指す。それは小田さんが若かった当時、ごく自然なことだったと思います。何故なら、ポップミュージックという土壌が当時の日本には無かったからです。現在のように日本人アーティストなどいなかった時代、「アーティスト」などという言葉すら無かったでしょう。小田さん達の世代は、自分達が礎となり、道なき道を切り拓いていった世代です。彼等の前に道はなく、彼等が作った道を後から多くのアーティスト達が続いていきました。

オフコース時代の曲に「決して彼等のようではなく」という曲があります。1982年の曲です。その中で小田さんは、

何を見ても何をしても 僕は僕の言葉でする
やりたいこともやるべきことも 今僕の中でひとつになる

「決して彼等のようではなく」 作詞・作曲 小田和正 編曲 オフコース

と歌っていますが、まさにそれでしょう。20年の時を経て、その時が来たのだと思いました。

長くなってしまうので詳細は省きますが、2000年のこの時期に辿り着くまでの数年間、小田さんにはそれまでになかった様々なことが起こりました。それらを経ての決意。それが53歳になる年。現在の小田さんのスタイルは、この時期に始まったのではないかと思います。小田さんにとって、2000年の「個人主義」は再スタートの時期だったように思えてなりません。

そして浜田さんの「MY FIRST LOVE」。これは2005年7月6日にリリースされました。浜田さんは12月生まれですからこの時52歳。これまた53歳になる年にリリースされたアルバムで、オリジナルアルバムとしては4年振りとなる作品になりました。この時点だけでも小田さんの「個人主義」と状況が酷似しているのが分かると思います。

このアルバムは「浜田省吾」というアーティストのイメージを裏切らない、ストレートなギターロックで構成されています。
浜田さんは意外にも楽曲のアレンジはバラエティーに富んでいて、ストレートなロックもあればテクノやエレクトロダンス系もあり、ガットギター中心があるかと思えばラップもあったりして、様々なジャンルに挑戦しています。

しかしこの「MY FIRST LOVE」というアルバムは、エレクトリックギター中心の気持ち良いほどストレートなロックサウンドです。それは先にも述べた通り、元々の浜田省吾というアーティストのパブリックイメージを裏切らない音作りになっているのではないでしょうか。

しかし気になるのがこのタイトル。日本語に訳せば「僕の初恋」です。
リリース前、そのタイトルを知った私は「ははぁ~ん、きっと『初めて恋した君を今も愛しているよ』というような曲だな?」と勝手に想像しておりました。

しかし実際は「初恋」とは女性に対するものではなく、ロックンロールに恋をした少年の歌でした。それは紛れもなく浜田さん自身のことです。
それは冒頭から、

海辺の田舎町 10歳の頃 ラジオから流れてきたビートルズ
一瞬で恋に落ちた
教室でも家にいても大声で歌ってた
I wanna hold your hands、Please Please me、Can't buy me love

「初恋」作詞・作曲 浜田省吾 編曲 星勝

と歌われ、その後もロックミュージックに対するリスペクトと愛情が続いていきます。2コーラス目にはブルース・スプリングスティーンやジャクソン・ブラウンも登場し、アメリカンロック好きな人には同じような変遷を辿った人も少なくないでしょう(私もそのひとりです)。

しかし、その後大きく展開が変わります。続けて歌詞を引用します。

アメリカ生まれのRock'n Roll やっている俺は誰だ?
自分を探したJ・BOY

「初恋」作詞・作曲 浜田省吾 編曲 星勝

ここに出てくる「J・BOY」とは1986年9月4日に発売された浜田さんのアルバム「J・BOY」のことです。このタイトル曲「J・BOY」は今も歌われる超人気曲で、「ジャパニーズ・ボーイ」を意味しています。この「J・BOY」というアルバムは、日本という国のアイデンティティーを問う曲が多く、バブル経済を迎えようとしていたこの国への疑問と警告が大きなテーマになっていました。パーソナルな問いかけでは、自分自身のアイデンティティーを問う「America」という曲も収録されました。

浜田さんにはきっと、根本的な疑問がずっとあったのでしょう。
どんなに自分のアイデンティティーを掘り下げても、アメリカ文化から逃れられないのは何故なのか?結局のところ、自分がやっていることは、アメリカのコピーに過ぎないのではないか?コピーである限り、自分が独自のものとして存在出来る理由は無いのではないか?「自分は一体何なんだ!」という苦しみと失望を常に感じていたのかもしれません。

しかし、「初恋」のサビとエンディングは次のように歌われています。

俺の初恋はRock'n Roll そして今でも夢中で追いかけてる

「初恋」作詞・作曲 浜田省吾 編曲 星勝

若い頃に自分を苦しめた疑問はいつしか癒え、屈託のない素直なアメリカンフォークロックのアレンジになって、「俺は今も初恋を夢中で追いかけている」と歌われています。それはきっと、ここに辿り着くまでの間に「自分はこれで良いんだ!」という確信を得られたからなのでしょう。
自分の好きな音楽を好きなように創造しても良いのだ!と、そんな確信を得られたのが53歳になる年だったということなのではないでしょうか。

この2枚のアルバムの核になるこの2曲。
同じように洋楽に憧れ、音楽家を志した二人。
洋楽をコピーするうちにオリジナル曲を作り始め、それぞれの世界を作った二人。

小田さんは「19の自分に別れを告げて、今のこの道を突き進む」と歌い、
浜田さんは「俺の初恋はRock'n Roll 今も夢中で追いかけてる」と歌う。

この2曲、正反対のことを歌っているようで、実は同じことを歌っているのではないでしょうか。方法論と表現方法が違うだけです。本質的には「自分が思う自分の世界を追いかける」という決意なのだと感じます。

それが53歳になる年にリリースされたアルバムの核になっている曲。
それはきっと、53歳という年齢が歌わせたのではないかと思うのです。
小田さんも浜田さんもそれまでの自分を総括し、そして答えを見つけ、そしてこれからの決意を表明したということです。

53歳とは一般的に考えて、人生の最終章の入り口なのかもしれません。間違いなく「残り半分」ではないでしょう。
不思議なことに、石原裕次郎さんと美空ひばりさんが亡くなったのは52歳でした。やはりその時期には何かあるような気がします。

残りの人生に対する決意表明なのか、それまでの自分の総括なのか、もう店じまいする準備なのか、それは人によってそれぞれなのでしょうが、自分も自分なりに何らかを考えないといけない年齢になったんですね。
スケールも背景も大きな方々とは全く違いますが、自分なりの意志表明はするべきなのだろうと思います。

ということで、何とか年内にアルバムを出したいと思っている訳です。まぁアルバムだけでなく、日々の色々なこと全てが自分自身なのだということなのでしょう。53歳とはそんな年齢だと感じております。


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