他人のため→自分のため
皆さんこんにちは。
本日は、「自分の周りに投資すること」に関しての考えを書いていきたいと思います。
周りに投資することとは?
そもそも周りに投資することに関してですが、金銭的に投資をするとかの意味ではなく、どれだけその人を思ってやれるかということです。
僕の友人で、お仕事を一緒にやっている方がいるのですが、二人とも自分たちの家やものを他人に貸してしまいます。笑
そもそも人が好き、応援してあげたいということもありますが、最近は少し思う部分があって書かせていただきました。
応援したい人がたくさんいる
現在は僕たちは周りの環境に恵まれており、応援したい、この人から学びたいと思うことが多くて自分にできることがあればと思って、家を一時的に貸したりしています。
もっともっと事業が成功すれば、路上ライブをしている人や、プラカードを持って面白いことをしている方々の力になりたいとも思うこともあります。
結果を求めてはいけない
そのように、現在無償でやってあげたいと思うことが多いですが、自分に損失がある(もしくは出てくる)とこの人に投資する意味があるのかを考えてしまうことがありました。
きっかけは自分の家で暮らしてもらう上で、キッチンを汚く使うことや、ベットを家主にゆずらない等細かいことがたくさん目についてしまいました。
自分の立場が上というわけではないですが、「親しき仲にも礼儀あり」をできない人が仕事ができるのかと考えてしまいました。
具体的に今の世の中の仕事では、顧客に失礼がないように最低限しなければいけないですし、気を使えるのかという部分は普遍的なスキルとして必要だと思います。
このように思ってしまう自分は愛がないなと反省しました。
それと同時に、時間や資源は有限であるので、どこに使うと効率的なのかを自分の頭で考えなければいけない世の中で、無償で自分が応援したいという理由だけで他人にギブし続けるほどの余裕を持つことは難しいと感じました。
他人に投資するということの本当の意味
本題に戻りますが、他人に投資するということは、回り回って自分に帰ってくるということを知っていて欲しいです。
(もちろん相手は最低限選ばなければいけないですが。)
自分のために他人にギブをするという考えは僕自信はあまり好きではないですが、資源も有用ではあるので、しっかり見極めなければなりません。
自分自身、それだけの余裕を持ちつつ、いろいろな方を応援できるくらい成功したいと思います。
本日もお読みいただきましてありがとうございます。
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