DVやモラハラがあった場合の、別居加害親と子どもの面会交流について

私のとあるツイートに対し、DV被害を受けたことがある方から、その主張自体が加害なのではないか、との御指摘をいただきました。

https://twitter.com/DVkagaisha/status/1288478675776630785

私のツイートが被害を受けた方への加害となってしまっているなら、そのTwitterアカウントの存在意義はないし、アカウントをさっさとやめてしまった方がいいと思っています。
私自身が本当に訴えたいことを見失っているのではないか、訴えるために自分の当事者性を認識し、十二分に注意を払った発言をしていたのかを振り返るために、しばらくツイートすることをやめ、自分の考えを整理しました。

本当に伝えたいことは最後の方に書いてあります。最後までお読みいただければ嬉しいです。

以下、DVやモラハラがあった場合の、別居加害親と子どもとの面会交流についての考察です。

・算定表に基づく婚費、養育費の継続的な支払い
・第三者の立ち会いで子どもの安全を確保
・DV加害者更正プログラムやカウンセリングを受けたり、医療機関への通院の継続
(自らの加害行為を認識し、自分が変わらなければいけないと強く自覚し、積極的な態度で受けている。再加害をしない。再加害をしていると指摘を受けたら、そのことに真摯に向き合う)。
・子どもが怖がっていない(別居親が子どもの前で監護親のことを悪く言わない、又その逆も含む)

監護(被害)親の、子どもを別居親を会わせることの不安や恐怖は当然です。被害を受けた監護親への支援は欠かせません。その不安や恐怖を考えず、ただただ「会わせろ」と言っていては、自らが行った加害行為を何一つ振り返っていないも同然です。また、最低でも「会わせろ」ではなく、「会いたい」です。
過去に別居親と子どもの面会の際に痛ましい事件もありました。
被害者も加害者も適切なケアを受けることが問題を解決する方向へ向かいやすい考えています。

以前からの考えですが、加害者が被害者をケアしたり、被害者が加害者をケアすることもできませんし、それは危険なことです。
ケアをするのは、心理職などの専門家や同じ側の当事者、直接的な加害被害に関わっていない第三者、社会であると思っています。その上で、監護親が少しでも安心した状態で子どもと別居(加害)親が会える条件を考えたのですが、足りないことがあれば是非とも教えていただきたいです。


基本的な考えとして、AさんとBさんが会うのに、別人格であるCさんがそれを制限したり、許可を与えたりできるものではないと考えています。
ただし、そのAが未成年であり(CがAの監護権を持ち日常的に養育している)、Bが明らかに危険人物であったりした場合、Cの判断でAとBの接触を制限するということもあり得るだろうと思いますし、実際はそのようなことが多いと思います。子どもへの直接的な虐待だけではなく、目の前で行われる夫婦間のDV、夫婦ケンカも面前DVとして、子どもへの虐待です。
BからCへの一方的なDVを、子どもであるAが目撃し、Aが恐怖を抱いたり、Bへの憎悪の念を持つこともあります。
では、それしかなかったのでしょうか。

BがAへの親としての愛情を持っていなかったのか、Aを思いやる気持ちを持っていなかったのか、最初に挙げた条件を全て満たしているBが今はAに対しどう思っているのでしょうか。
子に虐待(面前DVを含む)をしたからと言って、その親を子から長期間引き離す、絶対に加害親に会わせないことは、その子自身の発達からもすべきでないと考えます。また、もう一方の親のみの判断によって会わせないことを判断すべきなのでしょうか。

虐待をしてしまった親への支援「MY TREEペアレンツ・プログラム」を開発、実践している森田ゆりさんの著書『虐待・親にもケアを』には、
「虐待された子どもたちの大半は、親から虐待されても、その親を求め、慕い、その親が変わってくれることこそを願っているのです」
「虐待を受けたために分離措置になった子どもたちの多くが心から願っていることは、親に変わってもらいたい、そしてその親と一緒に暮らしたい、なのです」
とあります。

プログラムに違いこそあれ、自らの加害行為を認め、自分が変わらなければいけない、自分を変えたいと自覚し、そのためのプログラムを受講している点では、MY TREEペアレンツ・プログラムに参加している虐待親も、DV加害者更生プログラムに参加している加害者別居親も同じです。

我が子に会いたいという思いは、子どもの親として、次世代に生命を繋ぎ続けてきた生物として、当然の欲求であり、誰もその思いを否定する方はいないと思います。
子どもに会うに相応しい親かどうかが問題になるでしょう。

別居親と子どもが会うことは、別居親の要求を満たす前に、子どもの、親に会いたい、大切にされたい、自分のことを認めて欲しいとの、要求を満たします。子どもの発育上、非常に大切だと考えています。
それは、
「別居親に子どもを会わせる」ではなく、
「子どもに別居親を会わせる」ということになります。

「夫婦で仲良く子どもを育てればいいのはわかってる、私だってそれをしたかったけど、あの人のせいでそれができなかった」
その通りだと思います。では、今現在のBはどうでしょうか。本当に変化していないのでしょうか。

「あの人のことは絶対に許さないし、一生関わりたくない。変わるはずがないし、変わったかどうかすら知りたくない」
あなたはそう思っていても、子どもにとっても同じでしょうか。
親から子への虐待が明らかになった場合、通常であれば、児童相談所が介入し、一時的に分離の措置を取ったとしても、基本的には親子再統合を目指すはずです。
敢えて別の言い方をすれば、
両親2人で子どもを虐待していれば行政が介入し親子再統合への支援をしてくれるが、
片親のみからの虐待(面前DVを含む)と両親間DVが絡んだ場合、一方の親のみの判断によって、親子再統合が閉ざされてしまう可能性がある、
とも言えます(家族再統合ではないです)。


虐待が子どもの生涯にわたり大きな影響を及ぼす可能性が高いことが、明らかになっています(マルトリートメント、逆行的小児期体験《ACE》など)。
そして、虐待してしまうような親をただ批判するだけではなく、虐待しないように、いかに親を支援するかが、多くの人が共有する課題となっています。
同じように、DVをしてしまうような人間を批判することだけで満足するのではなく、いかにDVをしないように専門家や公的機関、社会が支援することが重要なのではないでしょうか。
それは離婚後の被害者の安心にも繋がります。

子どもにとって、片方の親を遠ざけ、「私や私の(もう一方の)親に酷いことをした人」と思い続けていくことが本当によいことなのでしょうか。
「私の(別居)親は悪い人間だ、怖い人間だ」という考えを持ちながら成長していくことが、子どもにとって本当によいことなのでしょうか。

「酷いことをしてしまったけど、それに気が付いたよ。パパが間違っていたんだよ。だから毎週お勉強に通っているんだよ」
自分の過ちに気付き、自分に向き合い、自分の問題を解決しようとする親の姿は、子にとって何よりの生きる見本ではないでしょうか。
人生において、失敗をしないことももちろん大切です。失敗しないように親がいます。しかし、失敗をしてしまったときにそれにどう向き合うか、その失敗を(次世代も含めて)次にしないためにはどうすればいいのかを考えることも大切ではないでしょうか。
生きるって、そういうことではないでしょうか。


虐待と夫婦間のDVが絡む場合(多くの場合関係しているのですが)、加害親の変化を見れる第三者が民間団体のみに限られていることも、問題の解決に結びつかない原因だと思います。
家裁が関与しても、加害親が変化したかどうかまでは見ないし、見れないでしょう。
加害親の変化を見れる第三者の関わりが重要になります。現段階では、民間のDV加害者更生プログラムのみになります。

私は加害者が加害者更生プログラムに通っている時点で、既に変化が始まっていると考えています。
DV加害者の多くは、自分が被害者だと思っています(多くの加害者にとって、ある時点ではそれも間違いではないと思っていますが、それは今回は割愛します)。
自らが加害者であることを認識することが第一歩であり、そう認識できた加害者を社会は受け入れなければならないと考えています。被害者が受け入れるということではないです。

加害者を孤立させればさせるほど、独りよがりの考えをしがちです。また、他者への力として表れなくても、自らを傷つける力として表れることもあります。加害者がそこで自ら生涯を閉じてしまい、それでよしとする社会でいいのでしょうか。私は誰であっても生き抜いてほしいし、自分もそうでありたいです。

2016年に神奈川県の障がい者施設で入居する人々を19人も殺害した元同施設職員の植松聖被告は、逮捕されてもなお自らの加害の意味を全く理解していません。
もし彼がその加害の意味を本当に理解することができたら、どれほど深く苦しみ、悩み、後悔することでしょうか。私は彼を死刑にすることなく、その苦しみと共に生きていってほしいと願っています。

DV加害者にとっても、自らの加害を知った時が苦しみの始まりになります。強制ではない現在のDV加害者更生プログラムに通っている参加者の多くはその苦しみを味わい、同時に自らが傷付けてしまった人生のパートナーの苦しみ知り、苦しんでいます。パートナーの苦しみは自らの苦しみに比べほどにならないほど重いことも知りつつ。
「今の私は、プログラムで参加者同士話し合ったり、カウンセラーに話を聞いてもらったりしてもらえる。私からのDV、モラハラを誰にも言えず、私に直接訴えても、私は全く聞く耳を持つこともなく、そんな中でも幼い子どもを必死に育てていた。一人で耐え、どれほど辛かったのだろうか」


別居親と子どもとの面会の話に戻ります。
加害別居親が子どもと長期間会えないままだと、被害親の多くの方が反対する(現段階での)共同親権を加害別居親が主張するのも無理はない、と思ってしまいます。
むしろ、長期間会えないということが、共同親権の運動へ加害別居親を向かわせる「危険」すらあると思っています。
*(ここでは、私の共同親権に対する何らかの賛否を表明することが目的ではないです)

加害親に、我が子に数ヶ月、半年、年単位で会えない苦しみに向き合わせるのではなく、条件をクリアした上で子どもとの面会を継続することで、自らの行いを振り返り、加害の重さと更正に向き合わせることができないかと思っています。
支援者の協力の下、争いではなく、傷ついている子どものために親としてできることは何でしょうか。
信頼できる支援者の存在で、加害者であっても変われることを知ってほしいです。
その加害者の変化と婚姻関係の継続が結びつかないとしても、子どものため、本人のため、新たな被害者を生まないために、加害者には変わる必要があります。


「DV加害者更生プログラムの目的は子どもとの面会交流を可能にすることが目的なのか」という御指摘もいただきました。
最大の犠牲者を子どもと考えるなら、加害の要素が限りなく低くなった親と子どもの面会を長期間制限することは誰の利益にもならないどころか、子どもの不利益が更に継続するものだと考えます。
面会を可能にすることが目的ではなく、面会が可能になるほど加害者が変わることがプログラムの目的だと言えます。

「加害者が変わるなんて信じられない、変わるはずがない、実際にプログラムに通った人を知っているけど変わらなかった」
それは加害者本人の変わりたいという気持ちが不十分だったか、そもそもそのプログラムが不適切なものなのではないでしょうか。
私は少なくとも心理学に依拠しないDV加害者更生プログラムは、参加者を不完全にしか変えられないのではないかと思っています。


最初の条件に戻りますが、これらの条件だけではカバーできない現実もあると思っています。以下はその例です。
婚費、養育費の支払いがないからと言って、絶対に会わせないとしていいのかも疑問が残ります。
支払える十分な収入があるにも関わらず支払わないのは論外ですが、
住宅ローン、車のローン、奨学金返済などがあり、収入はあるが払えない場合もあると思います。
住宅は引っ越す、車は手放すことで支出を抑えられますが、復縁を望んでいる場合、家を手放す決断をすることは別居親にとっては難しいと理解できます。
実際に十分な収入がない場合はどうでしょうか。働けるのに働かないも論外ですが、リストラにあった、自営業が立ち行かなくなったもあり得るでしょう。
働くどころではなく、病やケガで入院し、勤務先に在職し続けられる制度もなく、仕事を辞めざるを得ないこともあり得ます。
様々な理由により、働くことができず、収入がない。そのようなときのセーフティーネットとして、生活保護があります。別居親や離婚した親が生活保護を受給する可能性もあります。
生活保護費からは、養育費は支払えないでしょう。
では生活保護費を受給するようになったら、子どもに会えないということでいいのでしょうか。
そのような方が、自費で加害者更生プログラムに通うことも難しいでしょう。
収入を得ることができなかったら、いくら自身の加害行為を悔い、自らを改めようと強く思っていても専門家の支援も受けられず、また子どもにも会えなくてよいのでしょうか。それは誰かにとっての幸せになるのでしょうか。ここでも行政の関与が欠かせません。


そんな稀なケースを考えるのではなく、圧倒的に多い婚費、養育費を払ってない別居親はどうするの?という多くの声が聞こえます。
そういう別居親にこそ、私は訴えます。
子どもに会いたいなら最低限、婚費、養育費を払いましょう、と。
あなたが考えるように、子どもとの別居が「連れ去り」であっても、払いましょう、と。
算定表に基づく金額を払いましたか?何回払いましたか?
子どもを「連れ去った」妻はなんと言っていますか?DVをでっち上げていますか?虚偽DVですか?
DVが身体的な暴力だけでなく、暴言や態度による精神的な行為や、十分な収入を渡さないこともDVになると知っていますか?
大声を出したり、物を壊したり、壁を叩いたりしませんでしたか。睨みつけていませんでしたか。
「お互い様だ!」本当でしょうか。
身体的に差のある、あなたの言動を相手がどのように恐怖に感じるかを理解していますか?
家庭という密室の中で、自分よりも大柄で、腕力もあるプロレスラーのような人物と対峙しなければならなくなったら、あなたはどう感じますか?

私は別居中のあなたに、是非お子さんに会って欲しいです。子どもに、両親から大切にされているという実感と共に育って欲しいと心から願っています。
あなたの我が子に会えない苦しみ、絶望、憤りに寄り添いたい。
あなたが自分のしたことがDV、モラハラだと思い当たる節が少しでもあるなら(いや全くなくて)、加害者更生プログラムに連絡を取ってください。
本当に、本当に、あなたがDVもモラハラもしていないのなら、プログラムで「あなたは加害者ではない」と言ってくれるはずです。

プログラムは、あなたのお子さんに会いたいという目標に近づくだけでなく、あなた自身のこれまでの人生を振り返り、社会にはびこる無意識、偏見、差別、格差を認識し、これからのあなたの生き方を大きく変えるものだと思っています。
その変化は、これからのあなたの人生がどのように進んでいくかに関わらず、あなただけではなく、お子さんにも大きく影響します。
そして、それは社会を変えていく小さくとも確実な一歩でもあると信じています。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。
大げさな話だとは全く思っていないのですが、戦争や暴力、差別と同じように、あらゆるハラスメント、いじめ、虐待、DVは人類が克服すべき課題の一つだと思っています。そのために、あなたには何ができますか?
私は自分がしてしまったことを決して忘れず、そして訴え続けます。
「あなたが望みさえすれば、あなたを助けてくれる人は大勢いるし、あなたは変われる。苦しみに一人で向き合う必要はないよ。一緒に今を生きていきましょう」
DV加害者更生プログラムに連絡を。