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 確かにそういう理由なんだろうな・・・でもその事に違和感を感じた理由とは

 先回書いた立ち食い寿司屋さんでなぜタブレットが導入されたのかを僕なりに思った事を書いてみます。

 ・外国からの観光客さんの為 
 外国の観光客さん対策だろうなと思いました。日本語で注文するのは大変かもしれませんが、タブレットなら母国語に翻訳できますし、画像を見て注文出来る事はメリットかなと感じました。

 ・働く人の確保が難しい
 タブレットであらば、働く人の人数は最小限ですむと思います。実際にタブレットは、レジと繋がっていますしそういうやり取りがネットワークでできるのは人手不足を補う為だろうと思います。

 ・衛生的な面から
 口頭でも注文の場合、紙にいくらのネタを注文したのかを注文書に書くのでその度に鉛筆に触るのは、衛生的な面からすると気になるお客さんは少なからずいるだろうなと僕は感じました。ちなみに僕は、そういった職人さんの作業も立ち食い寿司屋さんというお寿司屋さんを楽しむ一部だと思っていました。

 ・職人さんの負担を減らす
 メモ書きやお客さんの注文を覚えておいたりするのは、案外大変な作業だと思います。そういった作業の負担を減らせば、職人さんは、お寿司を握る作業に集中できる効果があるのかなと思いました。

 ・売れているもののデータを取りやすい
 タブレット入力なら、どういった人がどんなお寿司を食べるのかがデータ化しやすいメリットは大きいと思います。これは、食品ロスを減らす意味もあるでしょう。

 たくさんのメリットがあると僕は思います。でも僕が違和感があったのは、
 お客さんと職人さんとの会話のやり取りがなくなる・・・つまりお寿司を食べる時にあった文化が終焉していく事・・・さらに言えば、お寿司文化が崩壊していく序章だなと感じたからでした。

 その職人さんとお客さんのやり取りという交流エネルギーがタブレットを挟む事によって遮断してしまう事・・・つまり人と人がつながる事を遮断している事・・・その遮断をしている事に気づかせないように少しづつそういった所から人と人との繋がる事をさせないようにしている・・・便利という事の裏側にある大切な事を人から奪う為にこの世の中の様々な所で人は人との繋がりを失くすような事をしれっとされているのだろうなと・・・感じたのです。

 こうやって小さい事・・・些細な事から便利という名の元に人にとって大切なものに触れさせないようにこの世の中は、動いていますね。

 読んでいただきありがとうございます。


 

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