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#38 お金と電気のお話(北海道電力ブラックアウト)

猫のように生きてみるラジオより:
お金の正体。お金は存在しない(たぶん運動である)https://voicy.jp/channel/767/462417

しゅうへいさん:
・お金は(形として)存在しない。電気エネルギーみたいなもの
・お金は使われて何かと交換されて初めて価値を生む
・死蔵したままで使われずに終わったお金は、何の価値も生んでいない
・お金を形あるものと思っているから、執着して無闇に貯め込もうとするのでは?

■ブラックアウトはなぜ起こった?

「北海道胆振東部地震 全域ブラックアウト事故」
直接的には地震で一部の火力発電所が止まったことにより、発電供給量が減ったため全体の需給バランスが崩れて、そのアンバランスに他の発電所が耐えきれず、結果的に道内全部止まってしまった。

お金は天下の回りものと言いますが、電気も天下の回りもので、回ってないと停電します。
お金は誰かが使わないでしこたま貯金してしまうと、流れが止まってしまってダメ。
電気も消費者がいっせいに使うのを止めると停電する可能性がある。
(この事故は発電が減ったので全部止まった話だが、逆に消費が減っても全部止まる)


■お金と電気は似ている

お金は、流通して消費や交換されているお金が生きているお金で、価値を生み出している。
経済社会の血液として機能している。
血液は止まると死んでしまうから止められないが、人々は貯金するので経済を止めてしまう。
そこで銀行が預かったお金を外にばら撒いて流通させ経済を生き返らせる。
このようにお金は常に流通して流れていないといけないんですね。

電気も同じで、発電所でつくられた電力は交流なので貯めておけない。(直流は貯蔵可能)
売れ残りを回収するシステムがないので、発電された電力は全部使い切らないといけない。
※直流に変換して蓄電池に充電貯蔵するのはOK。これは発電所から見たら消費されたのと同じ。


■電力システムの特徴

  • 発電所は、消費される電力量をあらかじめ見越して発電量を決めている

  • 発電所は、簡単に発電量を多くしたり少なくしたり調整はできない

  • 発電所は、同じエリアにいろんな形で複数存在していて、協力して電力供給している

  • 発電所は、発電(消費)量が急に変わると調整が間に合わないのでそのまま発電し続ける

  • すると発電量と消費量のアンバランスが発生する

  • 発電機は、アンバランスが一定の範囲を超えると停止してしまう

電力システムは発電と消費のバランスの上に成り立っているので、バランスが崩れると止まる。
発電と消費、どちらが部分的に止まっても停電する。
※ただしすぐ停電してしまうわけではなく程度問題で、北海道の全域停電はずっと原発が止まっていて余力がなかったためかも。

●アンバランスで発電機がどうして止まるのか?
こちらの記事がわかりやすい。↓


■交流も直流もお金そっくり

しゅうへいさんの言うとおり、
お金は、金本位制が崩れた時に形のないものに変わった。
紙幣や貨幣はモノではあるけどお金の実体ではなく、現在はお金の実体は存在しない。
しかし「信用創造」の下、数字だけのお金が経済の実体と呼応している。

発電所から供給される交流電力と、蓄電池に充電して貯蔵する直流電力。
お金と比べてみるとおもしろい。

交流:
・モノとしての形がない
・動的なエネルギー 貯蔵できない(フロー)

直流:
・蓄電池などパッケージに入れてモノとして取り扱える
・静的なエネルギー 貯蔵できる(ストック)

交流は「流通しているお金」で、直流は「貯蓄されたお金」
交流はいま現実に使われている電力なので、額面通り過不足なく価値を生んでいる。しかし直流はいま使われていないので、現時点では全く価値を生んでいない。
あるのは潜在的なポテンシャルだけ。しかしそれがずっと保存できる保証はない。蓄電池が壊れるかもしれない、災害に遭うかもしれない、自然放電だってする。また、交流への変換効率は100%ではないので必ず価値は目減りする。

その価値がいつ発揮されるかはわからないし、いつ消滅するかもしれない。
あるいは忘れ去られてしまうこともあるかも。
いま流通しているものは実体と呼応しているけど、保存しているものはそうではなく、まだ何物でもない状態。
まさに、お金と同じだと思います。



以上、
しゅうへいさんの話がとても示唆的だったので、いろいろ考えてみました。