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黄泉から

月遅れのお盆さんですね。
この時期になると読み返したくなる短編があります。それは久生十蘭の『黄泉から』。

敗戦翌年の7月でしょうか、お盆の時期です。主人公の一族は次々と亡くなってしまい、いとこのおけいという娘だけになってしまいました。しかし彼女は婦人軍属になりニューギニアに渡り、そこで病死。主人公は洋行から帰りそれを知ります。

今日1日は彼女を追想しようと予定を全て断り、新盆の支度をしようとしますが、古いしきたりを過去の記憶から引っ張りだそうとしてもうまくいかない。自己流で…と「女の子だから甘いもの」と考えて用意しますが、飾る写真が一枚もないのです。

彼女の同僚が彼のもとを訪ねくれて、ニューギニアの様子や最期を教えてくれました。
主人公はこの後、彼女の魂は家庭塾生としてお世話になっていたルダンさんの家にも行くだろうと考えて、女中に懐中電灯ではなくあえて提灯を用意させます。ラストシーンに胸がいっぱいになりました。

光太郎は提灯をさげてぶらぶらルダンさんの家のほうへ歩いていったが、道普請の壊(く)えのあるところにくると、われともなく、
「おい、ここは穴ぼこだ、手をひいてやろう」
といって闇の中に手をのべた。

『黄泉から』久生十蘭

最初にこの話を知ったのは『世界堂書店』というアンソロジーでした。米澤さんの解説をそのまま引用させていただきます。

十蘭には、「パリもの」「南方戦線もの」「落魄した一族もの」とでも呼ぶべき小説群がある。本作はその三つを同時に味わえる、贅沢な一篇となっている。 が、そんな分析はどうでもいいだろう。新盆にはじめて知った恋心、ちぐはぐな棚飾り、そして南の島に降る雪。豊かなイメージが、かなしむにも遅すぎる物語を控えめに彩っていく。
ゴーストストーリーでありながら、何も「出て」は来ない。本当はゴーストストーリーですらないのかもしれない。けれど、姿形は見えなくとも、相手を思いやることは出来る。 死んだ彼女の弔いにリキュールを買う会話が、不思議に胸に残っている。

『世界堂書店』より