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使徒行伝ノート「さらに地の果てまで、わたしの証人となる」

著者ルカ

ルカが、第1巻「ルカによる福音書」を著してから、その続きとして第2巻「使徒行伝」を書きました。

2巻セットのこれらの著者が誰なのかということは、第2巻目の「わたしたち」(使徒16:10-17, 20:5-15, 21:1-18, 27:1-28:16)という言葉からルカだとわかるようになったものです。パウロに同行していた医者が、ルカだったのです(コロサイ4:14)。

テーマ

第1巻目は、イエス・キリストが、地上で行い、教えた事柄、使徒たちに聖霊によって命じたのち、天に上げられた日までのことを記したもの。神の国の福音の中心、イエス理解がメインテーマです。第2巻目は、イエス昇天後の事柄を記している唯一のまとまった記録です。福音の異邦人世界への拡大、世界宣教を、この最初期に弟子たちはどう理解していたか、どう進展していったかがメインテーマ。

今から4000年前に神がアブラハムに約束した祝福を受け取るのは、神の命令に従って割礼を受けたアブラハムの子孫、ユダヤ人だ、というのが旧約の基本でした。それが、神の御子イエス・キリストの贖いはすべての民のためであることが明確にされ、さらにイスラエルに与えられた律法の意義も、キリストの贖いの準備のためという面の理解が明確にされ、異邦人への律法の適用がイスラエルとは違うものである性格が新たに示されることになるのです。

構成

ルカは、福音宣教の進展全体の構成を、地域、あるいは民族に注目しながらまとめていると考えられます。第2巻では、はじめに「エルサレム」「ユダヤとサマリヤ」、そして「地の果てまで」の3部構成です。

これは、主イエスの地上での最後の言葉にしたがっている内容となっています。「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレムユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒1:8)。

ルカの福音書が、エルサレムを最後に、その前が「ガリラヤからユダヤへ」、その前が「ガリラヤ」、始まりが「ユダヤとガリラヤ」となっていたのと、ちょうど逆の位置づけとなっています。

これは、神の国の単なる地理的な拡大というだけではなく、ユダヤ人、サマリヤ人、異邦人への福音適用が、誰の目にも明らかなように拡大していったことが描かれているのです。「エルサレム」と「ユダヤ」は、ユダヤ人。サマリヤは、ユダヤ人と異邦人の混血民族であるサマリヤ人。「地の果て」は、異邦人全体を表します。そこに、神が賜った公の証印が、聖霊でした。

聖霊

はじめに、ペンテコステの日に弟子たちが聖霊に満たされます(使徒2:1-4)。次がサマリヤで(使徒8:17)。異邦人コルネリウスとその家族に聖霊が下って、異邦人にも聖霊が与えられることが知られるところとなりました(10:44)。これによって、神の祝福はすべての民に与えられることが明らかとされ、いよいよパウロによる大胆な異邦人伝道がスタートします。 それで、使徒行伝のキーワードは「聖霊(あるいは御霊)」。

「聖霊」、あるいは「御霊」は、使徒行伝で53節(口語訳)出てきます。ルカの福音書では17回。ちなみに、マタイ9回、マルコ6回、ヨハネ11回。主イエスが地上で活動なさっている間は、弟子たちは直接、主イエスの導きのうちに歩み、教えられていました。昇天後、主の約束のとおりに聖霊が彼らを導くようになります。世界宣教が聖霊に導かれて、ユダヤ人をはじめとしてすべての人になされ、神の祝福がもたらされるようになる最初期の記録です。

ちなみに、「使徒」41節、「弟子」29、「異邦人」29、「教会」19、 なお、「パウロ」176、「ペテロ」66、「イエス」96、「キリスト」25、「神」175、「主」103、(以上口語訳)。

ルカ福音書・使徒行伝が書かれた背景

これらの文書はもしかしたら、ローマで捕えられている使徒パウロの裁判にあたり、必要な目撃者証言資料として高官テオピロに献呈した文書であったかもしれません。

それで、公文書としての性格も強く持ち合わせているように思えます。年代を明確にしている点は、しばしば歴史家としてのルカの特質として語られるのですが、これも、公文書として不可欠な要素と言えます。

イエス・キリストの捕縛から裁判までの記録は、個人的な発言はごく限られたものだけにとどまり、公の発言がメインになっています。(さらに、ルカの後巻使徒行伝では3回の異なる場面でなされたパウロの弁論記録がそれぞれ掲載されています。)さらに、パウロがローマで裁判を待っている状況の記述で使徒行伝は突然終わります。その裁判に焦点が合わせられていることが予想される締めです。

それで、公文書に必要な、イエス・キリストの活動時期を明確に指定するためにも、皇帝を初めとし、関わりのあった政治的人物のリストが加えられて、事実関係の背景などを容易に想起できるようにしたのではないかと思えます。「歴史文書」というよりは、裁判の資料としての「証言書」と言うほうがよりふさわしいかもしれません。

パウロ書簡などもそうですが、具体的な必要に対しての回答を与えるために書かれた文書が、普遍的な価値を備えて、一般にも読まれるようにコピーが作成され、流布するようになったように思えます。

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