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バッシング

bashing と bussing の2つがあるとは知りませんでした。前者は叩くこと。後者は下げること。カタカナにすると違いが全然わからないところが、なんだかおかしいですね。

「下げる」バッシングは飲食店の業界用語、だそうです。昔、ファミレスでバイトをしていたことがあるのですが、この言葉は聞いたことはありませんでした。空いた食器を下げること。ウエイターとは別に、下げ専門の人、確かにいますね。日本では見たことありませんが。(そういう給仕がいるレストランに入ったことがない、というのが正しいかも)

圧倒的によく聞くバッシングは、叩く方。下で仕えるんじゃなく、上から、しかも叩く、って、言葉じゃなくって「手」でしていたら、すぐ捕まりそう。でも、手ではないし、しかも、しかも、壁の向こうの誰だかわからないところから叫んでいるようなものだから、すぐには捕まらない。

1、2か月、自粛で家にこもっている生活が続いて、ストレスたまるとなおさら、ネットがはけ口、発散できる場になっちゃうのかもしれないのですが、それにしても、このまま、ますます進行してしまうとしたら、残念な感じがします。

一時帰国すると、電車の中の雰囲気が、その時々によって違った感じを受けていたことを思い出します。とてもピリピリした感じがしていたこともあったし。いまは、どうなんでしょう。

もしかしたら、愛されている安心感が、ちょっと不足しているのかな~、などと、想像してしまいます。もしも、もしも、今の日本に帰ったら、互いにかみつき合い、互いに食い合っている、なんてことだったら、パウロの声に耳を傾けなきゃ、と思うのですが。

律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。 気をつけるがよい。もし互にかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互に滅ぼされてしまうだろう。わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。(ガラテヤ人への手紙5章14‐16節)

一時帰国、どうしようかな~



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