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愛 アガペー

新約聖書の中で、最初に「愛」という言葉が出てくるのはマタイ3:17 「これはわたしの愛する子」”ἀγαπητός アガペトス”(形容詞)です。名詞が ”ἀγάπη アガペー” 、東京駅の前に建つ「愛の像」にも「アガペー」の文字が彫りこまれています。

聖書のアガペーとは、一つになることへの純粋で強い思慕です。イエス・キリストの誕生に際して、マタイが引用している言葉にも、それが表されています。

すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。
(マタイ1:23)

預言者イザヤの言葉からの引用です。神はわれらと共にいることを強く望んで下さっている。その思いが、イエス・キリストの誕生によって表されたのでした。そして、その子を神は「わたしの愛する子」と呼んだのでした。

新約聖書で「愛」が二番目に出てくる箇所は、イエス・キリストの山上の説教の中です。

『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。(マタイ5:43‐44)

この言葉が、「愛の像」の土台となっているものでしょう。神が私たちを愛して、共にいたいと強く願ってくださっているからこそ、私たちも互いに愛し合い、一つであることを強く願い、その実現に向けて行動する。

男女の愛も、アガペーの愛の一つの表れと言うこともできます。一つになりたいという思いが純粋に育まれているのは、人間が神の愛の産物である証拠です(創世記1:27,28;2:22‐25)。人間に罪が入る前は、純粋にその状態だったのですが、罪によって破壊されてしまいます。罪とは、一つであるものを破壊するものです。愛を破壊し、一致を破壊します。それが、愛の一致の継続を難しくしているものです。男女の愛も、また、世界の隣人愛も。

「愛の章」と呼ばれる、使徒パウロの手紙の部分があります。少し長いですが、その全体を引用します。

1たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。 2たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。 3たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。
4愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。 5不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 6不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 7そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
8愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。 9なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。 10全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。 11わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。 12わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。 13このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。(コリント人への第一の手紙13章)

この愛の実践は、努力してなせるものではありません。今の世にあって、アガペーは、他者から愛されていることを受け止めることによって自分のうちに生まれ、育つものです。他者からの「ひとつになりたい」という純粋な、強い思いを受け止め続けているときに、心の中に作られていく思いが、愛です。その原初が、神が私たちを愛してくれたアガペーでした。パウロの教える愛アガペーの実践は、まず、神の愛アガペーを受け入れることからはじまるのです。

神の愛をまだ信じていない時、「敵を愛しなさい」というキリストの教えが、実践不可能・無理難題な理想のように感じられるものでした。愛されていることを信じ、受け入れることから、アガペーの愛で愛するものへと造りかえられ、成長していく、というのが聖書の教えだったのです。神が望んでいる人間とは神の愛に覆われている新しい人間であり、世界が一つとされることを神と共に待ちわびる人間だとわかって、少しずつ実践へと歩み始めています。



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