61.ローマ3:30 民族間で見かけはさまざまでも信仰は一つ
ユダヤ人のライフスタイルは、実は律法、さらに言えばモーセの慣習によって決められており、彼らが信じる「国の復興」という救いは、まずアブラハムからの子孫の証としての割礼に従った行いを土台としていたのです。
しかし、最終的にイエス・キリストの贖いによって、信じる者は皆救われて神の国に入ると神は定められました。
国々、民族の間に上下差別はない。たとえ、ライフスタイルや礼拝の次第に国ごとの違いがあるように見えても。
(実は「真の礼拝」とは神への供え物として自己を献げる日常生活のことだとパウロは後で書いています。ローマ12:1)
大切なことは、イエス・キリストへの信頼、つまり、イエスが和解の道として神から定められたキリストであり、完全な贖いを、すべての人のためにただ一度成し遂げてくださった方であることを信じることです。この方を信じる者は、滅びることなく、永遠の命を持つのです。
考えてみましょう:パウロは、信仰において国民の間に上下差別はない、と言います。では、高齢者と若者の間に上下差別はあるのでしょうか。
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