リドリー・スコット「女性映画の系譜」としての『最後の決闘裁判』。真実は一つ!



リドリー・スコットの新作『最後の決闘裁判』はよく黒澤明『羅生門』を引き合いに出される。
大まかのストーリー、それは「妻マルグリットが夫ジャンの不在中、夫のかつての親友ジャック・ル・グリに暴行を受ける。そのことを妻から知らされた夫は激怒し、国王に決闘裁判ですべての決着をつける」というものだ。だが、果たして妻の告白は真実か?

このヒロイン、マルグリットをジュディ・カマー。夫ジャンにはマット・デイモン、その元親友ル・グリをアダム・ドライバーが演じる。
製作や脚本にマット・デイモンの盟友ベン・アフレックが共同でクレジット。名作『グッド・ウィル・ハンティング-旅立ち』を想起させるところもファンの心をくすぐる。

話を本題に戻そう。もしこれが黒澤明『羅生門』の系譜であるなら、問題の暴行シーンは三者三様の視点(ジャンは見ていないから脳内イメージか?)で描かれるはずだが、映画はそうなってはいない。マルグリットとル・グリのそれぞれが主張する「現場」は全く同じ「画」なのだ。
しかも、事後にル・グリがマルグリットに「互いの情欲」と言い放ち、「他言はダメにならない」と口止めするシーンもリピートされる。

そう、これは「藪の中」の真相を追及する映画ではない。「真実は一つ」の作品なのだ。だが、それを証明する手立てはなく「決闘裁判の勝者こそが真実」という当時の法の下、ジャンは自分が負ければ妻が全裸で生きたまま火炙りになることを彼女に伏せ、自分の名誉のために決闘裁判の道を選ぶ。
その事実を知らされていなかった妻は「残された子供のことを考えなかったのか?」と、夫に詰め寄るが怒りと報復に燃えるジャンの耳には入らない。

かくして始まる馬上の決闘裁判。
一進一退の死闘に、ギリギリで勝利したジャンと妻マルグリットの顔に笑みがないのも当然だ。自分の人生が夫に勝手に決められたことへのどうしようもない怒り。

ここで少し離れてリドリー・スコットの映画を振り返ってみるとしよう。
映画史に残る孤高のヒロイン『エイリアン』、自由への飛翔『テルマ&ルイーズ』、剃髪も厭わず海軍特殊部隊の訓練プログラムに挑んだ『G Iジェーン』。この『最後の決闘裁判』はこれら、リドリー・スコットの「女性映画」の系譜に属するものと見て取れる。

エンドロール直前に軽く触れられるジャンとマルグリットの「その後」。戦いにおいて早逝のジャンに対し、平穏な人生を送るマルグリット。
自分の頬が緩んでしまったのもそこに理由がある気がした。

       (2021.10.15)

※夫にジャックへの挨拶のキスを命じられたマルグリットの唇すれすれの危険な行為は、彼に電流を走らせただろうなと、そこは分からないでもないが…。💦

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