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愛されるだけで終わらない

絶賛、ゲラ直し中のヨーグル。

来月の頭には昨年から続いている連載の〆切も控えている。
その中で、別の出版社から新シリーズが始まったのだが、こちらはスケジュール的に連載は厳しいので不定期連載になった。
先日、やっと一作目を書き上げたのだが、終わるや否や、担当さんから「二作目と三作目はいつごろ(原稿を)いただけそうですか?」ときた。

「いつごろ、(二作目と三作目に)取りかかれそうかな?」と、ヨーグルにきかれた。
それ私の台詞です……とツッコミたいところだが、ヨーグルはなぜか部屋の片づけとスケジュールを組むことが壊滅的にできない人なのだ。

「そうね。〇〇社の連載が春に終わって、××社の原稿が夏に終わって、書き下ろしも考えたら、どんなに早くても秋かな」

「じゃあ、二作目は秋、三作目は年末にしよう」

今年、終わってる!
彼と一緒にいると一年が早い。
でも、彼とこうやって仕事の話をするのが私はとても好きだ。
それは私が最も望んでいた彼との関係だからだ。

大学時代、友人の言葉で忘れられないものがある。

当時、一世を風靡した女性歌手がいた。
大物プロデューサーと相思相愛。恋人でもある彼に曲を書いてもらい、彼の指導を受け、彼女は瞬く間に人気歌手となった。

でも大学の友人は、はち切れんばかりの笑顔で幸せそうに歌う彼女をテレビでみて、こう評した。

「男に捨てられたら、あっという間にダメになるタイプね」

その数年後。友人の言う通り、彼女は恋人と別れ歌手を休業。
男性は他の女性と結婚した。

当時、彼女に憧れる女性はたくさんいたと思う。
才能のある男性に愛されて、可愛がられて、恋愛を謳歌して、自分の才能を目覚めさせてもらう。愛する男性に育ててもらい、愛してもらい、守ってもらう。
俗にいわれるシンデレラ・ストーリーだが、今も夢見る女性は一定数いるかもしれない。
女はいつだって、尊敬できる男性が好きだから。
特に私の世代はまだまだ男性優位の社会、かつ超のつく就職氷河期だったこともあり、力のある強い男性に守られ安心を得たいと考えるのは致し方なかったように思う。

彼女の失恋から始まる歌手としての転落は、私に男性との向き合い方を考え直させる契機になった。

どうしたら彼女は彼と別れずにいられたのか、彼にいつまでも愛される女性でいられたのか。
最初はそんなことを考えた。

それが転じて、男性とどう向き合うことが良い恋愛といえるのか。
自分は男性とどういう関係を望むのか、と考えるようになった。

もちろん、私はテレビを通じてしか彼らを知らない。
別れのきっかけがどういうものかはわからない。男女のことなんて、結局は当事者にしかわからないものだし。
でも、友人がテレビで彼女を見て「男に捨てられたらすぐにダメになる」と見抜いたように、何かしら、そう思わせるものが彼女にはあったのだと思う。

ヨーグルと知り合ったとき、私がまず決めたことは「彼と対等でいる」ということだった。
小説家と読者として出会ったのに、そんなことを考える私は傲慢なのかもしれない。でもそう考えないと私たちは続かないと思ったのだ。
彼が私を対等に見ていないと感じたら、彼から離れるぐらいの気持ちでいた。

愛される存在でいることは幸せなことだけど、愛されるだけの存在でいることは不幸なことだと思っていた。

彼に影響されて、私は小説を書き始めた。
彼に添削してもらうようになっても、私の考えは変わらなかった。
彼のことは尊敬しているし、たくさんのことを教えてもらい感謝している。
彼のおかげでどれほど人生が豊かになったかとも思う。

彼は私を愛しているし大事にしてくれるが、私たちの関係で最も大事なことは、彼が私を愛してること以上に彼が私を尊敬していることだと思う。

もちろん、今のままの私を愛してほしい、尊敬してほしいというつもりはなかった。
彼と知り合って、私は本を読み始めた。
とにかく読んで読んで読みまくった。
彼と対等でいるためには、少なくとも彼と対等に言葉を交わせるだけの小説の知識がいると思ったからだ。
彼の読書量には及ばないけれど、少しでも追いつきたい。そうでなければ彼と対等ではいられない。そう思っていた。

出会って間もない頃、ヨーグルに「『偶然』ときいて、どんな小説を思い浮かべますか?」ときかれたことがある。

「横溝正史の『獄門島』です」

今思えば、何故、そんな古い推理小説が頭に浮かんだのか謎なんだけど、今でも頭に浮かぶのはやっぱり「獄門島」だ。
あのときの、彼のはっとしたような顔。そして「僕もです」という彼の言葉。

あの会話が、私たちのスタートになった気がする。