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数字に縛られる人生は嫌

先日、銀行に行ったら待っている間、別室に案内されて営業の方から金融商品を紹介された。
紹介されたのは相続税対策のための商品。
娘のための商品らしい。

あの……娘はまだ中学生なんですけど?っていうか、夫、まだ50なんですけど?
早めに対処したほうがいいというのはわかってはいるものの、どうにも気持ちがついていかない。
だいたい夫にも話しにくい。

結婚前は金融業界にいたけど、私は金融商品がすこぶる苦手だ。
投資についても学んだし、資格もとったけど、最後まで興味がもてずに終わってしまった。
むしろ学べば学ぶほど「私はこの世界、ダメだわ」としか思えなかった。
もっと言えば、嫌いにしかなれなかった。
私、何やってんだろって虚しい気持ちにまでなってしまう。
でも、どうして自分がそんな気持ちになるのかわからなかった。

先日、ヨーグルから「金融機関から電話がかかってくる」ときいた。
投資の案内らしい。
ヨーグルは投資も株も外貨も何もしてない。全て日本円で保有している。
金融機関も何かしらアクションをかけてくるだろう。

さすがに私も「いくらか投資にまわしたらどう?私が管理するわ」と提案してみた。

ところが、いつも私の言うことに「いいよ」とか「凛子の好きにしなさい」と言う彼が「僕は凛子がそういうことを一切しない人だと信じているから、君に全てを任せているんだ」と反対してきた。

あらら、珍しい。

「確かに私は投資には積極的になれない性格だけど、最近の日本をみているとそうも言ってられない気がするの。これだけ円の価値が下がっている今は、いろんな形に分けて財をもっているほうがむしろいい気がする」

私の言葉に一理あると彼も思うのだろう。
しばらく悩むものの「やめよう。投資に回すぐらいなら、二人で美味しいものでも食べに行こうよ」と、もうお金の話はそれ以上したくないと仕事にさっさと戻ってしまった。

さて、この話を母にしてみた。
すると、さすが母。私の心にピッカーンとくる一言をくれた。

「そういや、お母さんもね、実は株をやってたのよ」

あら、それは知らなかったわ。っていうか、あの母が株だなんて!!
大丈夫か?と心配になりました(笑)

「でもね。この前、もう全部やめちゃったわ」

「あらら、どうして?何かあったの?」

「別に大儲けしたわけでも大損したわけでないんだけどね。ただ毎日、朝起きて、株価をみて数字が上がったとか下がったとかで喜んだりガッカリする人生が嫌になったの」

なんと、シンプルな!

でも、私が金融商品を好きになれなかった理由はまさにここにあるんだと思う。
行員時代、数字を右や左に動かして儲けが出ただの損しただの、私はいったい何を生み出しているんだ?と、自分の仕事の輪郭が突然ぼやけてしまったあの感覚がまざまざと甦った。

学生時代、テストの点数や偏差値が上がったり下がったりするたびに、一喜一憂する過去の自分を「勉強を自分からつまらないものにしちゃったな」と後悔したことも思い出す。

数字を意識せずに生きることは不可能だけど、数字に縛られると楽しいものも楽しくなくなること、どんな魅力のあるものでも色あせてしまうことを私は経験から学んでいる。

私は自他ともに認める真面目な人間だ。几帳面でもある。
おそらく株や投資を始めたら勉強するだろうし、社会の動きを敏感に察知しようとアンテナを張るだろう。そしてあれこれ考えるだろう。
そんな私は投資をするのに向いているんだと思っていた。

でも、むしろ「しばらくほっておこうか」ぐらいの気持ちでないと、やっていけないのかもしれない。
投資には長期的な目が必要だということは学んだ当初からしつこく教えられてきたが、私はきっと日々の細かい動きに気を揉んでしまうだろう。
そして、数字の動きに一喜一憂してしまうに違いない。
きっと私は投資をすることには向いていない。

「投資なんて考えずに、そのお金で美味しいものでも食べに行こうよ」

ヨーグルらしいと呆れてしまったけれど、こういう考え方をする人だから私は彼と一緒にいるのが心地いいのかもしれない。