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呪いの言葉と遺伝子(終)

夫は温和な人だ。
非常に論理的で、物事はじっくり考えるタイプ。慎重な性格だけど、すぐに私に結婚を申し込んできたり、家を建てたときや、娘のことや親のことなど話し合うときには「決断力のある人だな」といつも感心する。
感情的になって大きな声を出すことはない。
あまり喋らない。人の話をよく聞く。お酒はたしなむ程度。外でみんなでワイワイ呑むなら、家で本を読みながら一人で静かに呑みたい人。

まだまだあるが、要は全てが父と正反対なのだ。

その夫が珍しく「馬鹿なことを言うな!」と大きな声を出した。びっくりした。おかげで涙が引っ込んだ。

でも、そこはやはり夫。
「ごめん。つい大きな声を出してしまって驚かせた。悪かった」
すぐに元に戻ってしまった。

「凛子さん。お願いだから、僕の大事な人をそんなふうに言うのはやめてほしい」

そう言って、私の隣りに座る。
夫は大事なことは、必ず私の側にきて目線を合わせて話そうとする。
私はその度に夫は目が大きいなと思う。
漫画みたいにくっきりした二重瞼で、これが娘に遺伝したらすごい美少女になると思っていたら、娘の目元は私そっくりになった。

「あなたは僕が結婚したいと初めて思った女性だ」

ある人から聞いたのだが、夫は独身時代、周囲に「ご結婚されないんですか?」ときかれると「結婚するつもりはないです」と答えていたらしい。
きかれたらそう答えていただけなのに、人の口は面白いもので、あるとき仕事関係のパーティーで初対面の方に「独身主義だったあなたを結婚させるなんて、奥様はどんな女性なんですか?」ときかれたようだ。
私は珍生物と思われているのかもしれない。

「もう何度も言ってるけど、僕はあなたの聡明さに何度も救われた。僕の仕事がここまで上手くいったのもあなたのおかげ。あなたの助言と支えがなければ今の僕はなかった。他の女性だったらついていけないって僕は離婚されていた」

ある男性に、旦那さんの仕事をここまで理解する女性は珍しいと言われたことがある。
もちろん仕事のことだから家族の私にも言えないことは多いが、基本的に私は夫の仕事にかんする知識は常に頭に入れているつもりだし、夫が何か困ったときは力になれるように学ぶ姿勢は崩さないでいる。
こういう女性を男性は苦手とする人も多いと思うが、幸いなことに夫をはじめ私の周囲の男性は学びたいと言う私にいろんなことを教えてくれた。
先日、友人が「夫の仕事が意味わからない。サムとかトムとか人の名前みたいな計算してる」と言うので思わず笑ってしまった。確かに人の名前みたいだ。でも友人は、それを詳しく知りたいとは思わないらしい。

「僕にとってあなたはとても大事な存在なの。お願いだからそんなふうに自分を言うのはやめて」

夫の言葉を聞いて思いました。
私はこの言葉を父から欲しかったんだろうな。
幼少期の「あなたは唯一無二の存在なんだ」という親からの言葉は、どれだけ人生において大きな力になることだろう。
残念だけど私はその力を与えられなかった。でも、諦められないでいる。
だから私は父との記憶からついつい探してしまうのだろう。

「もし、僕がそばにいたら」と夫が続けた。

「お義父様があなたを卑下するようなことを言えば、僕は即座に否定したし、あなたを守った。でも、それはもうできない。だからお義父様の言葉は凛子さんが自分でなんとかしないといけない。でも僕はあなたはそれができる人だと思ってる」

ありがとうね。
夫は私を強い人だと信じている。それが本当に嬉しい。

「お義父様も凛子さんも遺伝子の話をするけれど、凛子さんの話は遺伝は全く関係ない。お義父様の性格に難があるという印象は受けるけど」

天国の父。ごめん。夫の代わりに謝っとくね(笑)
でもね、私、ちょっと笑っちゃったわ。

そして自分が今までいかにアホらしいことを気に病んでいたか、恥ずかしくなったわ。
遺伝とかそんな大層な話じゃないのよ。
もっと単純な話だって、夫の言葉でやっと気がついた。

お父さん、性格悪いわよ(爆)

ただそれだけの話なのよね。

そもそも、いつまで学歴にこだわってんの。
もう40歳も過ぎたおじさんが、10代の子供じゃあるまいし、東大がどうの京大がどうの、聞いてるこっちが恥ずかしい。
さっさとその世界から足を洗っておいで。

でもね、お父さんの気持ち、ちょっとわかるよ。

夫が「社会人が学歴に異様にこだわるのは『私は社会にでて、まだ何も成しえていません』と宣言するようなもんだと思う」と言っていたけど、父は何かを成し遂げたいという気持ちが人一倍強かったように思う。
「何者かになりたい」という思いが強すぎて、他人からの称賛の声に異様に執着していたように思う。
それは実の父親から愛情を得られず、母子家庭で古い価値観がはびこる片田舎で育った父の幼少期の環境から育まれたものだろう。

お父さん、あなたは世間から見たら何者でもないかもしれない。
ただの普通の人。
勉強しないし、仕事は続かないし、お酒ばっかり飲んで、性格悪くて、周囲からはむしろ「どうしようもない人」みたいに思われてたかもしれない。

でもね。お父さん。あなたは私の大事なお父さん。
私にとって誰も代わりになれないお父さんよ。

私が夫にとって、娘にとって唯一無二の存在であるようにね。

ねぇ。それってすごく幸せなことだと私は思うのよ。