年齢を重ねて思うこと
あんたは「いやぁ我ながら歳くったなぁ」なんて思う瞬間あるかい?
最近、俺はありとあらゆる体調が少しづつ悪いのよ。
目は霞むし、手元はブレるし、足元はふらつくし、首も腰も痛いし、時々耳鳴りがするし、ちょっと歩いただけで息切れがするし汗だくになるし、食欲もないし、記憶力に至っては目立って悪くなっている気がする。
わかりやすいところで行けば、めちゃくちゃ肌荒れしやすくなっている感じってのがある。
髭剃りの刺激がまずいんかな?って思って在宅勤務を良いことに一時的に髭を剃らないでみたんだよ。
そしたら、もうこれ以上無いくらいわかりやすく自分が加齢しているってのが見えてきた。
今回は歳を重ねるってことを考える回だ。
まあ、俺たち誰もが避けることが出来ない加齢ってやつを眺めてみようぜ。
髭が教えてくれた加齢
まあ、まず肌荒れしてんならチョコラあたりを飲んどけって話かも知らんけれど、いわゆる肌荒れ系のサプリの効きが薄らいでいる感じが強いんだよな。
で、髭剃りを控えてみたら生えてきた髭に変化が如実に出ていたんだよ。
顎下の髭が真っ白になってた。
髪の毛もまあまあ白髪が目立ってきてはいたんだけれど、白髪の密度が髪の毛とは比較にならん感じだったんだよね。
おうおう、俺もいよいよオッサンからジジイにレベルアップか?
死を意識させる詩
何か知らんけれどさ。
ガキンチョの頃から気になっていた舞の詩があるんだよ。
ってやつだな。
織田信長という知らないヒトはいないくらいの歴史上の人物が好んで舞ったという敦盛。
そのヒトの命は刹那に過ぎないという感じの詩に何か感じるところがあったんだろうな。
ちなみにこの敦盛の登場人物の一人である熊谷次郎直実って御仁が自分のご先祖様かもって話を祖父から聞いたのも影響があったのかもしれんね。
※辿っていくと天皇陛下にもつながるらしい
※計算上ほぼ日本国民の全員くらいの人数が天皇陛下とつながっているらしい
で、このガキンチョの頃にこの敦盛を聞いたときに、「ああ、俺は50までしか生きられないんだね」って解釈したんだよね。
実際にはそうじゃあなくて、「俺たちの世界の50年なんて天界にとったら一瞬だぜ」って意味なんだそうだ。
とはいえ、そんな誤解をそのままに、そのガキンチョの頃の間違った解釈に従って、「ああ、あと何年で命がなくなるんだなぁ」って思いながら生きてきたんだよね。
残りの人生でしたいこと
仮にあと10年で人生が終わるとする。
逆算して俺は俺の命を使って何をしたいのだろう?
何かを飲み食いしたいとか、どっかに旅行に行きたいとかってことだろうか?
飲み食いにしても旅行にしてもなんかしらの学びってのを俺に与えてくれるとは思う。
ってか全ての経験は学びそのものだもんな。
ポイントは「俺はこんな風に学びましたよ~」ってのを他の誰かにどう伝えるかってことだよな。
いや、「おまいら間違っとんじゃ!俺の学びを知っとけ!」ってんじゃなくて、「そんな生き方があるんだな」って感じてもらえる様に動く感じ。
そういう意味でいくと学びって言葉を使うことがあんまし適切じゃないってことかもね。
こんな風なことがあってこんな感じ方をしたんだよね、って方が自分の感覚にも近いし、読むヒトにとってもなんかよく分からない不快感みたいなものも起きにくいのかもしれない。
俺の命がつきたとしてだ。
あんたや家族がこの記事を読むことがあったとしてだ。
その時に「ああ、こんなやつだったよな」って思ってもらえたら、それが満点だと思うんだよ。
そうか。
俺は俺がいなくなった時に、時々あんたや家族に俺を思い出してほしいって思ってこれを書いているわけだな。
めちゃくちゃエゴだな。
それでも俺は発信するというエゴを止めはしないと思うんだけれどね。
なあ、あんたはどうだい?
あんたを覚えている誰かがいるかもしれないという魅力に抗えると思うかい?
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