見出し画像

家族の幸せを願う幸せ

あんたにも家族がいるかい?

ヒトは生まれたときから家族とともにあるってのが幸せの源泉だと思う。
そして、結婚なり同棲なりという形で新しく家族を作る。

つまりは自分自身の手で幸せを作り上げるという思いのもと、新しい家族を作り上げる。

この新しい家族ってやつは自分を無条件で愛してくれた生まれてきたときの家族とは意味が違う。
常に自分の家族にとっての価値ってやつと向き合い続ける家族だ。

今回は、この自分の作り上げる家族について改めて考えてみる回だ。

俺たちはどうやって俺たちの家族を幸せにできるのか?
一緒に考えてみてくれよな。

価値観の異なる家族

家族とは言え、別の人格だ。
その価値観ってやつは一人ひとりが異なるものを持っていることが前提だ。

これは子どもとして一員になる家族でも同じことで、子どもの価値観は必ずしも親の価値観と同じものではない。

我が家の息子はインドア派って意味で言えば俺と酷似しているものの、宿題に取り組む姿勢では俺とは明らかに異なる行動をとっている。

いろいろな細かいところでの違いを息子に発見するたびに、「ああ、きちんと育っているってことだよなぁ」と感じたりしている。

実際教えてもいないことを楽しみ始めている息子を見ると、しっかりと自分の考えってやつが形になりつつあることなんだと思えるもんな。

そして、妻の場合はもともと自分との共通点ってのが皆無に近いくらいに違う価値観を持っている。
そこがオモロイことでもあるんだけれどね。

オモロイと思う物語もだいぶジャンルが違う。
マンガというジャンルで共通しているものもあるけれども、「タラレバ娘」はどうも俺としては受け付けられない。
ああいう恋愛ものって女性視点の方がなんつーか物理的表現が多いよな。
#純真オッサン登場

日本舞踊の師範をしている妻を応援したいとは思うが、日本舞踊のあの客を馬鹿にしているのかって演目の演出がどうにも気になってしまう。

対して、妻は自分が政治経済の話をしてみても、一切話を聞いてはくれない。
もぉ、そんなこと興味ないわ~とでも言わんばかりに取り合ってくれない。

まあ、びっくりするくらいに共通点がないわけだ。

家族の幸せを願うってこと

それでもお互いが幸せであることを望んでいると思うんだ。
……だれだ?俺だけが思ってるんじゃないかって言っているやつ。

お互いだって俺が信じているんだからいいじゃんかよぉ~。
#謎の駄々っ子

まあ、はたと考えてみて「なんで家族の幸せを願うのか?」という問いかけに合理的に答えられるかって言うと、そもそも感情に合理的理由なんてつけられっこないじゃんかと言うしかないかもしれない。

妻が笑顔でいることは無条件に嬉しいし、息子がメキメキと成長していく様は頼もしいと思える。
まあ、小学校3年生のメキメキってのはたかが知れているとは思うけれどさ。

家族が、自分なりの方法で誰かを幸せにしているって知れたときなんて、もぉ天にも昇る心地ってやつだ。

その意味では妻の日本舞踊の師範としての活動は色んなヒトに特別な体験を与えているって意味ですごいなぁって思うんだ。

そのどれもが「家族のヒトとしての独立性」ってやつを前提に俺は考えているんだと思うんだよね。

妻は一人の女性として、息子は一人の男子として世の中に関わっている。
その関わりの中で辛いことも多いと思うけれども、それでもある種の前向きさを失うこと無く世の中と向き合っている。

それを家族として眺めることって、やっぱり幸せなことなんだよな。

そこでふと思う。
俺はそんな幸せを家族に与えているんだろうか?

一人の社会人として世の中に仕事を通じて価値を提供しているとは思う。
でも、妻も息子もシステムエンジニアって仕事について理解できているとは思えないんだよね。

まあ、世界が違いすぎて何言ってんだっけってなるのはわかる。
その意味ではシステム屋は孤独な職業ってことなのかも知れないな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちシステム屋は家族に「家族の幸せを願う幸せ」を提供できるんだろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?