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「メモリの無駄遣い」をしていないか

あんたもHUNTER×HUNTERの連載再開を喜んでるかい?

いや、ぶっちゃけね。
全然読んでいても内容がわからんかったのよ。

間が空きすぎて内容を完全に忘れているっていうか、なんなら暗黒大陸編になってからの内容が複雑すぎて理解がおっつかないっていうか。

単行本をじっくり読み直すことで理解が追い付くんだろうけれど、地味にカラー版で揃えたいとか思っちゃったから、話がどえらく遅延してるんだよね。

それでも冨樫さんが天才なのは疑う余地はないと思うんだよ。

HUNTER×HUNTERでも実に印象的な台詞が数多くある。

今回はそのなかのひとつの台詞を使って今の自分を振り返ろうってあがいてみる回だ。

ちっと、自分を眺め直してみようぜ。

メモリの無駄遣い

HUNTER×HUNTERでは念という特殊能力が扱われている。

まあ、そんなのあの超有名マンガについて俺ごときが語るまでもないことだとは思うんだけれどね。

面白いのが、その特殊能力が系統別に特色を設定されていて、どの系統が得意なのかってのがヒトによって違うって設定なんだと思うんだよ。

で、その得意な系統ってのを判別する水見式なる手順があって、その結果に基づいて適切に能力を伸ばしていくって世界観なわけだ。

ところが、その得意な系統とは別の能力を伸ばそうとして、最大限の才能をいかせないって話があるんだよ。

「メモリの無駄遣い」って表現で作品中では表現されている。

ダメから逃げるってこと

そこではたと考え始める。

おおう?
俺はメモリの無駄遣いをしていないって言えるか?

一応、俺はまっとうな生活を送らせてもらっていると思う。

家族は食うことに困っていないし、贅沢はほとんど出来ないけれど、ネットから情報を得たり、食べ物を毎日食べたりは出来ている。

でも、それは俺の能力を最適に運用した結果か?って言われると、正直わからない。

水見式みたいに俺の能力の最適解を判定する方法があれば良いんだろうけれどね。
でも現実にはそんな便利な方法なんて存在しない。

あるのはぶっちゃけ結果だけなんだよな。

どんだけ頑張っても家族が食べられない状態になったらダメ。
どんだけ頑張っても幸せを感じることができていなければダメ。

そうなんだよな。
俺たちはいつだってそう言うダメという断崖絶壁の縁に立っているわけだ。

頑張り方と自分の能力

そう言う意味で考えると、自分の能力を最適に使えるかどうかってのは「運」としか言いようがないんだよな。

例えば、俺はシステムエンジニアだけれども、この仕事はワリカシ俺の感覚にあった仕事だと感じてはいる。

ただ、それが世の中のすべての仕事と比較してそう感じているわけでは断じてない。
そもそも世の中のすべての仕事を把握できてないからね。

それでも俺たちは今やれている仕事を頑張るしかないわけだけれども、その頑張り方が「自分にあっているのか」なんてことを考える余裕がないよな。

さらに言うならば、仕事を含めた多くの作業によって俺たちの能力ってのも日々変化し続けている。

今日の頑張り方と来年の頑張り方は違って当たり前ってことなんだな。

来年の頑張り方を想像する

そんな風に自分の才能ってのがわからないまま、世界の変化に対応して俺たちは生き延びるしかない。

ならせめて自分の才能をその変化に合わせて成長させておきたいところだけれども、そもそも来年の世界を想像するってのが難易度が高すぎる。

じゃあ、どうすんのか?

なりたい自分を想像するしかないよな。

例えば、家族に優しい自分でいたいって感覚があったとする。
じゃあ、優しくなるためには何が必要なのか?

経済的な余裕とかもあるだろう。
家族に対する理解とかもあるだろう。

その必要なもののなかで自分に足りないと分析できるものはなにか?
そして、なぜ足りていないという現状があるのか?

不器用だけれどさ。
そう言うことを考え続けるしか方法がないような気もするんだよな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは「メモリの無駄遣い」をしないためになにが出来るんだろうな?

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